第二章 2
続いて連れてこられたのは、実習棟と呼ばれる建物だった。
一階と二階は、実際に魔法を使って授業を行うための教室となっており、三階と四階は各教員の研究室として使われているらしい。
いちばん小さい部屋に入ったところで、イザベラがリタの前に一本の蝋燭を置いた。
「この蝋燭に火をつけなさい。杖は持っていますか?」
「い、いえ」
「ではとりあえず、この初心者用のものを貸してあげましょう。慣れてきたら、ちゃんと自分用の杖を準備するように」
「は、はあ……」
手渡されたシンプルな木の杖を、リタはしげしげと眺める。
だがすぐに「あのー」と片手を上げた。
「これ、杖を使わないといけませんか?」
「魔女の杖には、魔力の出力を増幅・安定させる大切な役割があります。杖なしでの魔法は事故の元となりますので、この学園内では禁止されています」
「わ、分かりました……」
ばっさりと否定され、リタは仕方なく杖を構えた。
(たしかに杖は魔女にとって、なくてはならないものだけど――)
ヴィクトリア時代は自分と馴染みのいい木材をいくつも触って選び抜き、必要な装飾を継ぎ足しては、少しずつ少しずつ杖を作り上げていったものだった。
ただし当時のヴィクトリアはけっして魔力の増幅ではなく――むしろ『多すぎる魔力を制御するため』の調整器として使用していたのである。
(ちゃんと出来るかな……火の精霊は気まぐれだし……。それにこの杖がどんな子か分からないから、杖なしでやった方がまだどうにかなりそうだったんだけど……)
かなりの魔力を抑え、精霊への祈りも省略。
リタはそうっと魔法を口にする。
「あかりよ、灯れ」
その瞬間、ぼわわっという音を立てて机上が火に包まれた。
蝋燭はおろか、それを立てていた燭台までもが跡形もなく消失している。
「…………」
「すっ、すみません‼ ちょっ、ちょっと調整が利かなかったみたいで、あ、あはは……」
「……いいでしょう。次はもう少し弱めるように」
イザベラが「ふうっ」と眼鏡の位置を正し、新しい蝋燭を準備してくれる。
今度こそ、とリタは限界ギリギリまで魔力の出力を絞った。
「アカリヨ、トモレ」
「…………」
すると今度は、芯から煙すら立ち上らない。
リタは「もう少し? あれ? もう少しかも?」とわずかに魔力量を増やしてみたが、結局蝋燭に火が宿ることはなく、イザベラは「はあ」と疲れきった溜め息をついた。
「もう結構。……魔法が使えないわけではなさそうだけど、あまり調整は上手くないみたいね」
「すみません……」
伝説の魔女の肖像画が、ガラガラと音を立てて崩れていくさまを思い浮かべながら、リタはしょんぼりと俯く。
一方イザベラは手にしていた手帳に何かを書きつけると、ぱたんとそれを閉じた。
「これで入試試験は終わりです。入学式は一週間後ですが、明日には学園長の個人面談があります。その時までに身なりを整えておいてください」
「ええと、身なりと言うと……」
「あとで学生課に案内します。そこで学生寮におけるあなたの部屋と、制服についてどうすればいいかを確認してください」
「は、はーい……」
実習棟を出て、中庭に面した回廊を歩いていく。
学生課の受付でイザベラと別れたあと、今度は職員から寮の説明を受けた。
「この学園に通う生徒さんは、原則として皆こちらの学生寮に入ってもらいます。中央の大階段を境に西側が男子、東側が女子の区画になっているわ」
横に五人は並べそうな幅広の階段をトントンと上がりながら、職員は続ける。
「一階に食堂と談話室、遊戯室。それから回廊を渡ったすぐのところに図書館があります。学園の中でいちばん背が高い建物だから、すぐわかると思うわ。これらの施設は男女共用ね。二階には監督生の専用ルーム。二階の一部、三階と四階がそれぞれの個人部屋になってます」
「監督生というのは?」
「騎士科、魔女科の最上級生からそれぞれ三人ずつ選出される、特に模範的な生徒のことよ。学園行事を取り仕切ったり、下級生たちの生活態度を見張ったりする代わりに、他の生徒にはない特権が与えられているの。監督生になるのはとても名誉なことなのよ」
(うわあ、大変そう……)
一人暮らしの方が長いリタにとっては、うんざりするような話だ。
四階にある自分の部屋に案内されたところで、どさっと山盛りの制服を渡された。
「あとこれ、制服がないって聞いたから、卒業生のをいくつか持ってきたわ」
「いいんですか?」
「ええ。この学園、お金持ちの子が多いから。捨てるのも面倒で、寮に私物を残したまま卒業したりするのよね。サイズが合うかは分からないけど、そこは上手く調整して」
じゃあねーと扉を閉められ、リタはようやく一人になった。
あらためて部屋の中をぐるりと見回す。ベッドや鏡台、机、椅子、本棚などはあらかじめ準備されており、一人で寝起きするには十分すぎる広さだ。
リタは「はあーっ」と息を吐き出すと、ベッドに置いていた制服の山から一つを引き抜いた。
(なんか、大変なことになっちゃったかも……)
着ていたローブを脱ぎ、使い古された制服に袖を通す。
たしかにあちこちすり減っていたが、ヴィクトリア時代に使っていたどの衣装よりも生地がしっかりしており、縫製も完璧な仕上がりだった。
多少袖が長いのはまくればいいし、スカート丈が足首まであるのも冷えなくてありがたい。
(でも、学園生活がどんなものか、ちょっと興味があったのよね……)
魔女といえば周囲から忌避される存在であり、リタは学校に行ったことがなかった。
だが昔偶然手に入れた小説の中に、そうした場面が綴られていたことがあり、一度でいいから体験してみたいと思っていたのだ。
「なるほど、これが試験に学生寮、先生に制服……あっ、そういえば図書館があるって言ってたわ! 今の時代の魔法をちゃんと確認しておかないと」
幸い、夕食までにはまだずいぶんと時間がある。
さっそく見に行こうと、リタはもたつく制服姿のまま部屋を飛び出したのだった。