第二章 5
「えーと? つまりお前は、俺のことを思ってパートナーを解消したってことか?」
「う、うん。でもランスロット、あれからずっと機嫌悪そうだったから……。ちゃんと話をして謝りたいなって思って、ここに……」
「…………」
先ほどの嵐に乗り遅れた風が、ふわりと二人の間に流れる。白い花びらが小さな蝶のように眼前を通り過ぎたあと、ランスロットは首を左右に振りながら弱々しく「はーあ」とその場にしゃがみ込んだ。
「なんだよ、それ……」
「えっ?」
「俺はてっきり、お前に嫌われたんだとばかり……」
「ま、待って? どういうこと?」
疑問符を浮かべるリタを、顔を上げたランスロットが恨めしそうに睨みつける。
「お前がいきなり『リーディアと組んだ方がいい』って言い出したんだろうが」
「だってせっかく組んでくれるっていうし、成績一位同士だし、相性いいのかなって」
「他の相手と組むのもいい経験になるって、なんか必死に推してたし」
「そこまで強く言ったつもりはないんだけど……。でもそれはそうじゃない? 私以外の魔女と協力しないといけないこともあるし」
「……俺と組むのが嫌で、逃げたくなったんじゃないのか?」
「別に違うけど……」
このあたりで二人は『どうやら行き違いがある』とようやく気づいた。
「わ、私はランスロットと続けたかったよ⁉ これまでだってずっとやってきたんだし」
「じゃあもう少し抵抗するとか、反対すれば良かっただろ」
「だからランスロットの不利益にはなりたくなかったの! あと、ああでも言わないと『他の魔女とは組みたくない』って譲りそうになかったし――」
「実際、お前以外は嫌だったんだから当たり前だ」
「うっ……」
あっさりとすごいことを言われた気がしてリタは思わず赤面する。だがやれやれと立ち上がったランスロットに向けて、溜まりに溜まった怒りをぶつけた。
「それはそれとして、ここ最近のランスロットの態度はひどかったよ⁉ 私が話しかけようとしてもすぐ逃げるし、授業で会ってもいっつも無視するし!」
「そ、それは……」
「それは?」
打って変わって強気なリタの様子に、ランスロットが珍しく眉をひそめる。
「……き、聞きたくないだろ、色々」
「色々って?」
「エドワード殿下と組んだ方が戦いやすいとか、楽しいとか……」
「……はい?」
今度はリタが目をしばたたかせる番だった。
「い、言うわけないでしょ! ていうか、別に言ってもよくない⁉」
「それはそうだが、こう、俺の気持ちのうえでというか」
ごにょごにょと言い渋るランスロットを見て、リタは胸の奥に固まっていたつかえが一気に取れたのが分かった。自然と口角が上がってしまう。
「まあたしかに? エドワード殿下は紳士的だし、戦闘でも庇ってくれるし、熱が出るまで雪山で鍛錬させるようなこともしないけど」
「……おい」
「でも私、ランスロットの戦い方、好きだよ」
「……!」
最初の合同授業の時からそうだった。
リタの魔法を信じてどこまでも走ってくれる。跳んでくれる。助けてくれる。庇護すべき対象ではなく、仲間として信頼されているのが嬉しかった。
「はじめてのパートナーがランスロットで、本当に良かったと思う」
「リタ……」
「だからその……仲直りできたらな、と……」
なんだか急に恥ずかしくなり、リタは徐々に言葉尻を弱らせる。するとランスロットが「ふっ」と笑い、まっすぐに手を差し出した。
「俺の方こそ、今まで嫌な態度をとって悪かった」
「ランスロット……」
「仲直り……してくれるか?」
まだ少し不安そうな彼の声。
リタは満面の笑みを浮かべながら、そっとその手を握り返した。
「もちろん!」
ようやくお互いの誤解が解け、リタはほっと胸を撫で下ろす。すると窓の向こうの大ホールで、がやがやとした賑わいが大きくなっているのが分かった。
同じく気づいたランスロットが振り返る。
「またダンスの時間が始まるみたいだな。戻るか?」
「わ、私はいいかな……」
「? どうして」
「あんまり得意じゃないっていうか、苦手で……」
しょんぼりと肩を落とすリタを見て、ランスロットがまたも小さく微笑んだ。
「なんだ。それなら俺が教えてやる」
「えっ⁉ い、いいよ! 大丈夫だから」
「遠慮するな。ほら」
繋いだままの手をぐいっと引かれ、ランスロットのもう一方の手がリタの腰に添えられる。いきなりの急接近に、リタは一気に取り乱した。
「いやあの、本当に大丈夫だから!」
「心配しなくても、ヴィクトリア様のダンスパートナーに選ばれた時のため、俺は八歳の頃からあらゆるステップを習得している。あの方は王宮での生活も長かったし、きっとダンスの腕前も伝説級だろうからな!」
(ご期待に添えなくてごめんなさいねえ!)
羞恥だか情けなさだか分からないものに苛まれながら、リタはううと苦悩する。そんなリタをランスロットがじーっと見下ろし、やがてぽつりと口にした。
「……それとも、エドワード殿下とは踊れて、俺とは嫌なのか?」
「み、見てたの⁉」
「あれだけ目立てば嫌でも視界に入るだろ」
心なしかランスロットがムスッとしているように見え、リタはいよいよ追い詰められる。
「じゃ、じゃあ……一曲だけね」
「ああ」
やがてゆったりとした前奏が始まり、ランスロットがリタの手をぎゅっと握り込んだ。
「無理に始まりを合わせなくていい。旋律の節目に合わせて――」
軽く引っ張られ、リタはおどおどと一歩を踏み出す。それに合わせてランスロットも足を移動させ、二人はゆっくりとダンスを開始した。
「肩の力は抜いて、男性側の動きに体を委ねるように――」
「こ、こう?」
「ああ。上手いぞ」
床に三角形を描くように、次々と二人の立ち位置が入れ替わっていく。周りに人がいないせいもあるだろうが、同じ曲でエドワードと踊った時には、周囲を見る余裕すらもなかった。
でも今はランスロットの声も、どこかから香る花の匂いも、月が輝く夜空もはっきりと分かる。
(なんか不思議……)
重なり合う弦楽器の音色と静謐な夜の空気。
それらの絶妙なはざまの中に、二人で溶け込んでしまったかのようだ。
(ちょっと、楽しいかも――)
やがて舞踏曲の終焉が近づき、お互い少しずつステップを緩やかにしていく。繋いでいた手をほどきかけたところで、ランスロットが真剣な顔つきで口にした。
「リタ、俺は――」
(……?)
だがそちらに耳を傾けようとした途端、遠くからけたたましい悲鳴と破砕音が響き渡った。二人はすぐさま顔を見合わせると、テラスから大ホールへと移動する。
「エントランスの方⁉」
「ああ、おそらく――」
逃げまどう人波をかき分けながら進んでいくと、助けを求める叫騒に混じって金属製の何かが破壊されるガシャァンという音が鳴り響いた。
ようやくエントランスホールに到着したところで、リタは大きく目を見張る。
「あれは――」
そこにいたのは巨大な猛禽類。ただし常識で考えられる大きさを遥かにしのいでおり、その口からは特徴的な黒い靄が立ち上っている。この怪物は――。
(どうして……『冥獣』がいるの⁉)
三百八十年前、リタ――ヴィクトリアは勇者たちとともに冥王を倒した。
その結果、この世界に平穏が訪れたはずだったのだが――リタが眠っていたここ十年ほど間に、『冥獣』と呼ばれる新しい敵が出現していたのである。
彼らは全身から黒い靄を発しており、絶命すると黒い砂のように変質して消滅する。これは過去、冥王や冥府に属する者に共通して見られた特徴であり、リタも見覚えがあるものだった。
(『冥王教』は……アニスは、もう力を失ったはずなのに……)





