第二章 3
「すみません、私、ちょっと行くところがあって」
「どこかな? わたしも付き合おう」
(うっ、逃げ道が……)
とっさについた嘘だったため、具体的な何かなど出てくるはずがない。だが中途半端なことを答えれば本当にどこまでもついてきそうだ。悩みに悩んだリタは、最終的にありふれた言い訳を繰り出した。
「えーっと、その、お、お花を摘みに……」
それを聞いた途端、エドワードは「はっ」と目を見張った。
「ごめん、わたしとしたことが気づかなくて」
「い、いえ……」
「場所は分かるかな。焦らなくていいから、ゆっくり休んできてね」
道を譲ってくれたエドワードに頭を下げ、リタは三賢人に見つからないよう、こそこそと壁伝いに移動する。人の少ないところを狙って歩いていくと、やがてホールの窓際へと到着した。
窓を開けて外に出る。
そこには立派なテラスと月が輝く夜空が広がっていた。
「ふう……ちょっと休憩」
窓を閉めてしまうと、耳に入る会場内の喧騒が一気に小さくなる。そのまま手すり側へと歩み寄ると、リタは「はあ」と両肩を落とした。
「さすがに疲れたわ……」
王太子殿下との面会。何百年ぶりのダンス。そして立場が逆転した子どもたち――。
この数時間で起きた目まぐるしいあれそれを思い出しながら、リタはそっと手すりにもたれかかる。目の前には吸い込まれそうなほど暗い夜の中庭と、それとは対照的に人工的な灯りに照らされた大噴水が広がっていた。
「……今日、来ない方が良かったのかな」
ランスロットと話がしたい。
ただそれだけだったのに。
リーディアと連れ添う彼の姿を思い出すと、なぜか胸の奥がモヤモヤする。
(なんだろ、この気持ち……)
すると背後でキイ、と窓枠の動く音がした。
慌てて振り返ったリタは、思わず「えっ」と口にする。
「セオドアさん……ですか?」
「あなたは……」
騎士科二位でリーディアの元パートナー。彼もまた招待客の一人なのだろう、学園の制服ではない深碧色の礼装を身にまとっていた。ただしランスロットやエドワードたちのようなきらびやかなものではなく、とても控えめなデザインだ。
彼はリタの方に歩み寄ると、静かに隣に立った。
「リタ・カルヴァン様。あなたも参加されていたのですね」
「は、はい。セオドアさんもいらしてたんですね」
「ええ」
そこで会話は終わり、二人の間に長い沈黙が流れる。無言の圧に耐え切れず、リタの方から話を振った。
「あの……あらためて、すみませんでした」
「? 何がでしょう」
「その、私のせいでパートナー解消されてしまって……」
しどろもどろと紡がれるリタの言葉に、セオドアは「ああ」と両眉を上げた。
「リタ様のせいではございません。こうなることは承知しておりましたので」
「承知していた?」
「『再選考』の前にリーディア様からお話がございました。ランスロット様と組むので自分とのペアを解消したいと。それに応じただけのことです」
(それは一方的というのでは……)
だらだらと冷や汗をかくリタをよそに、セオドアは淡々と続ける。
「それにリーディア様は、幼少期からずっとランスロット様のことをお慕いしておられました。オルドリッジに入学される際も、絶対にランスロット様のパートナーになるのだと必死に勉強されていたことを覚えています」
「そ、そこまで……」
「はい。ですからこうなることは、ある種必然だったかと」
たしかにリーディアのランスロット愛は、傍から見ても分かりやすいほどだった。ランスロットのパートナーになりたいと努力してきたのに、その座をどこの誰とも知らない成績最下位の人間に奪われては、怒り心頭になるのも無理はない。
(申し訳ないというか、なんというか……)
ううーんと眉根を寄せていたリタだったが、そこで「はて」と首をかしげた。
「あの、さっき幼少期って言いました?」
「はい」
「もしかしてお二人は、この学園に入るより前から知り合いなんですか?」
リタの質問に、セオドアが平坦な声で「ええ」と答える。
「家同士の繋がりが深く、リーディア様のことは物心ついた時から存じ上げております。いわゆる幼馴染というのでしょうか」
「幼馴染……」
「とはいえ自分の家はもっとも格下の男爵位。侯爵令嬢であられるリーディア様にとっては、主従関係のようなものかもしれません」
そう言うとセオドアは、襟元から細い鎖でできたネックレスを引っ張り出した。そこには小さな銀の指輪が通されており、彼はそれを手のひらに置いて見つめる。
「それでも小さいうちはよくお互いの家に行き、追いかけっこやかくれんぼをして遊んでおりました。リーディア様は隠れるのがとてもお上手で、厨房の半地下だとか暖炉のすみっこだとか、いつも苦労して捜し回ったものです」
(へえ……ちょっと意外かも)
今の彼女とはどうにもイメージが合致せず、リタは目を丸くする。一方セオドアは昔を懐かしむかのように柔らかく目を細めた。
「この指輪も、リーディア様からいただいたものです。自分にはもったいないと何度も断ったのですが頑として譲られなくて。……パートナーでなくなった自分が持つには、少々ふさわしくない品かもしれませんが……」
甘く穏やかな声から、どこか思い詰めたような声へ。
表情はほとんど変わらなかったが、そんなセオドアの機微にリタはいち早く気づく。
(セオドアさんって、もしかして……)
彼が指輪を胸元にしまい込むのと同時に、リタは考えていたことを口にした。
「あの、勘違いだったら申し訳ないんですけど……もしかしてリーディアのこと、好きなんですか?」
「……どうして、そう思われたのです」
「リーディアのことを話す時、すごく口調が優しかったので。それにパートナーを一方的に解消されたのに、私たちにリーディアのことをわざわざ聞きにきたりして……。それってきっと、彼女のことをすごく心配しているからですよね」
「…………」
リタの追及を受け、セオドアはわずかに目を見張っていた。だがしばらくすると睫毛を伏せ、静かに口を開く。
「たとえそうであったとしても、この思いに意味などありません」
「……?」
「先ほども申しあげましたが、自分とリーディア様では家柄が違いすぎます。それにリーディア様はランスロット様を慕っておられますし……。前期でパートナーを組むことができたのは単なる僥倖。これ以上を望むのは分不相応かと」
「そんな……」
リタが返す言葉を見失っていると、反対にセオドアが尋ねてきた。
「逆にお聞きしたかったのですが、リタ様はランスロット様と恋仲なのでしょうか」
「はい⁉」
「よくお二人で学園内を歩いている姿をお見かけしましたので」
「そ、それは、以前はパートナーだったから、一緒に行動することが多かっただけで……」
「あとランスロット様は、リタ様のことをいつも気にしておられますし」
発言の意味が分からず、リタは「えっ」と問い返す。
「私のことを気にしてる?」
「はい。魔女科の皆さまが外で実習をされている時など、騎士科の教室からお姿が見えることがよくあるのですが――その際ランスロット様は大抵、リタ様をご覧になっておられますね」
(ど、どういうこと⁉)
平然としたセオドアの驚くべき報告に、リタは思わずパニックになった。
「わ、私が失敗して自分の成績に影響しないか見張っているだけでは?」
「授業中だけではなく、食堂や廊下でお見かけした時もよく目で追っていらっしゃるかと」
「それはほら、あれですよ、私がこけて怪我をして、試験を休んだりしないか不安視されているだけで……」
「リタ様が夜遅い時間まで図書館にいると、心配そうに外で待っておられたことも」
「いや全然知らないんですけど⁉」
最後の最後で思ったよりも大きい声が出てしまい、リタは慌てて口をつぐんだ。とっさにあれこれと理由をつけてみたものの、心臓が先ほどからバクバクと落ち着かない。
(ランスロットが私を気にしてた? ヴィクトリアの姿じゃないのに⁉)
なんだか聞いてはならないことを聞いてしまった気がして、リタは熱くなった両頬を手で覆うようにして押さえる。
するとそんなリタを見て、セオドアが「ふむ」と顎に手を添えた。





