第二章 二人だけのダンスホール
パーティー当日。
時刻はまもなく夜を迎える頃合いで、この時期特有の少し強い風が吹いていた。
(なんだか緊張してきた……)
エドワードが寄こしてくれた迎えの馬車に乗り、リタはひとり王宮へと向かう。王都の大通りをまっすぐに走っていくと立派な正門が現れ、リタは客車の小窓からそれを見上げた。
(全然変わってない……懐かしいな)
冥王を倒したあと、勇者ディミトリ、修道士シメオンとともにこの王宮を訪れた。報告を聞いた当時の国王陛下はいたく感激し、しばしここに滞在するよう三人に頼んだのだ。
そこで勇者と王女が知り合い――あとはご存じのとおり、である。
(うう、古傷が痛む……)
馬車は正門を越え、そのまま内部にある遊歩道を走っていく。
春の花々が咲き誇る庭園や初代国王陛下を讃える銅像を通り過ぎ、やがて石造りの大ホール前へと到着した。馬車が静かに停まり、扉を開けた馭者が恭しくリタの手を取る。
降り立ったその場所はまさに玄関の真正面で、開け放たれた立派な扉の左右には厳めしい顔つきをした守衛がギラギラと目を光らせていた。その警戒具合を見て、リタはこっそり自身の衣装をあらためる。
(だ、大丈夫……よね?)
首と肩を大胆に露出した、春の若草を思わせる緑色のローブ・デコルテ。袖はふんわりと膨らませたあと、絞った裾を白いフリルで飾り付けていた。胴体部分はコルセットを限界まで締めており、その下はパニエとスカートを重ねたボリュームのあるシルエットに仕上げている。
ただし髪は結うのが間に合わず、普段どおり下ろしたままだ。
(うう……まさかローラにあそこまでダメ出しされるなんて……)
今から数刻前。
寮の自室にいたリタは、魔法でパーティー用のドレスに着替えていた。だがいざ髪を整えようとしたところで、偶然遊びに来たローラにその姿を目撃されてしまったのである。
(でも『おばあちゃんのドレスですか?』ってあんまりだと思うんだけど……)
そこでリタはようやく、自身のドレスの知識がン百年前で止まっていることに気づいた。しかし今から流行りのデザインを勉強し直すなど不可能だ――と絶望していたところ、制服を買った時に一緒に届けられた大量のドレスを思い出した。
ランスロットからなかば無理やりに準備されたものだ。
(絶対に着る機会はないって思っていたけど……ランスロットに感謝しないとね)
守衛に招待状を見せ、びくびくとエントランスに足を踏み入れる。
見上げると首が痛くなるほど高い天井の中央には、均一にカットされたクリスタル・ガラスを組み込んだ豪華なシャンデリアが下がっていた。どうやら魔法で灯りを宿しているらしく、夕刻だというのにまるで昼間のような明るさだ。
(すごい……こんなの初めて見るわ)
エントランス内では派手に着飾った貴族たちがあちこちで歓談しており、リタは居心地の悪さをひしひしと感じながら奥にある会場へと急ぐ。するとそんなリタに向かって、誰かが遠くから声をかけた。
「リタ! 良かった、来てくれたんだね」
「エ、エドワード殿下……」
「本当は寮まで迎えに行きたかったんだけど、色々挨拶があってさ」
シャンデリアに負けないほどのまばゆい金髪を揺らしながら、白い礼装姿のエドワードが駆け寄ってきた。騎士科生徒たちが着用している騎士服と構造は近いが、金糸の刺繍や紋章付きの飾りボタンなど随所に繊細な装飾がほどこされている。こう見るともう完璧に王子様だ。
「待っていたよ。さあ、こちらへ」
「ちょっ、あの」
あっという間に手を取られ、会場のど真ん中を連れ立って歩かされる。当然周囲の視線はリタに一点集中し、すでに弱っていた胃がいっそうキリリと痛んだ。ここまで注目されたことはヴィクトリア時代にもなかったかもしれない。
(た、助けて……)
荒波を行く巨大帆船のように、エドワードの行く先にいた人々が次々と進路を譲る。引っ張られるリタが恥ずかしさのあまり目を回しかけていると、途中でエドワードがぴたりと足を止めた。
リタはおそるおそる顔を上げ、そのまま前に視線を向ける。
「エドワード殿下? いったいどうされて――」
だが目の前にいた人物を見て、リタはすぐに口を閉ざした。
そこに立っていたのは礼装姿のランスロット。濃紺の生地に銀糸の縁取りが見事で、ネクタイはサファイア付きのタイピンで留めている。髪もパーティー用にきっちりとセットしていた。制服姿の彼とはまた違い、『公爵家の名代』にふさわしい出で立ちだ。
「ランスロット……」
「……リタ、どうして殿下と……」
久々に聞いた彼の声はわずかな驚きを含んでいた。
リタもまたいきなりのことで心の準備ができていなかったが、この機会を逃してはならないと急いで彼に話しかける。
「あの、少し話が――」
だが近づこうとしたリタの前に、一人の女性が立ちはだかった。
「あらリタさん、どうしてこちらに?」
「リーディア……」
「まあなんですの? そのボサボサの髪。ドレスは及第点なのに台無しですわ」
水色の髪を艶やかに結い上げ、青を基調としたドレスをまとったリーディアがリタを見下ろしながら小さく笑った。
「そもそも今日は、貴族しか招かれていないはずでは?」
「わたしが来てくれるよう頼んだんだよ。兄上に学園生活の報告をしたくてね」
「まあ殿下が。それは失礼いたしました」
白のロンググローブを嵌めた手を口元に添え、リーディアがふふっと微笑む。そのまま自身の腕をランスロットの腕にするりと絡めた。
「わたくしは父の依頼で来ましたの。ですが知人がいなくて心細いと申しましたら、ランスロット様のパートナーとして同伴させてもらえばいい、と公爵様に頼んでくださいまして。そうですわよね、ランスロット様?」
「あ、ああ……」
「そういうことですので。さ、ランスロット様、まいりましょう」
ぐいっと腕を引き、貴族たちの集まりに戻ろうとするリーディアに対し、ランスロットはどこか決死な顔つきでリタの方を振り返った。
「リタ、俺は――」
しかしリタがエドワードと手を繋いでいるのを見た途端、ぐっと唇を引き結ぶ。そして何も言わずにその場から立ち去った。そのやりとりを見ていたエドワードが、リタに向かって声をかける。
「リタ、良かったのかい?」
「は、はい……」
「ランスロットはちょっと忙しそうだけど、でも安心して。君のことはわたしがちゃあんとエスコートするから」
ね、と軽くウインクされ、リタは思わず瞬いた。再び彼に手を引かれながら、先ほどの二人の姿を思い出す。
(そっか、ここでもパートナーか……)
美しいドレスを完璧に着こなしたリーディアは、ランスロットの隣に立ってもお似合いとしか思えない可憐さだった。そもそも自分の実年齢や変身魔法でこの姿になっていることを考えれば、比較する対象にすらならないのだが――。
「…………」
疲れたわけでもないのに、なぜか足取りが重くなる。
やがて先導していたエドワードが立ち止まり、くるりとこちらを振り返った。
「リタ、紹介するよ」
「……?」
「このリヴェイラ王国の第一王子――ジョシュア兄上だ」
その称号を聞いたリタは、弾かれるように顔を上げる。
そこにいたのはエドワードよりも淡い金髪に透き通るような緑色の瞳。そして黒の生地に金糸で王族の紋章を縫い取った礼装姿のジョシュア王太子殿下だった。
弟に負けず劣らず端整な顔立ちだったが、幸い勇者様とはだいぶ方向性が違う。
「はじめまして。いつも弟から話を聞いております」
「は、話⁉」
「はい。とても勇敢で凛々しい女性を見つけたのだと」
ジョシュアはそう言うと、にこっと極上の笑みを浮かべた。輝くようなそれを目の当たりにしたリタは、太陽を直視してしまった時のように「うっ」と目を眇める。
(エドワード殿下も眩しいけど、こっちもすごい……!)
これが王族のオーラというものだろうか。たまらず膝を屈しそうになったリタはここで負けてはならないと必死に食い下がる。
一方そんな攻防になど気づかぬまま、エドワードが嬉しそうに続けた。
「そうなんです。でもずっとアプローチしているのに、全然振り向いてくれなくて」
「えっ⁉」
「おや、シャイなお前にしてはずいぶん積極的だね。これは将来、本当にわたしの妹になるかもしれないな」
「え、あの、ちょっと……」
どんどん話が進んでいき、リタはあわわわと小動物のようにうろたえる。それを見たジョシュアは再び柔らかく笑った。





