プロローグ 編入生は王子様!?
厳しい冬が過ぎ、暖かい陽光がさし始めた季節。
リタが寮の自室で髪を梳かしていると、コンコンとノックの音がした。
「おはようございます! いよいよ今日から新学期ですね!」
「おはようローラ。朝から元気ね」
制服を着たリタは苦笑しながら立ち上がり、ベッドに置いていた杖を手にする。同じく制服姿の友人・ローラとともに一階へと向かった。
「冬季休暇、長いと思っていたけど、結構あっという間でしたねー」
「本当に。実家は楽しかった?」
「はい! ただ魔法の勉強に専念しすぎたせいで、体がなまってしまったみたいで……。二週間みっちり鍛錬させられました……」
「さすが拳闘士一族……」
寮の玄関を出て、学園の建物同士を繋ぐ回廊へ。周囲にはローラ同様、地元の友人や家族と休みを過ごしたクラスメイトたちが歩いており、その波に乗って二人は中庭へと向かう。
晴れ晴れとした青空のもと、そこにはすでに多くの一年生が集まっていた。
「それにしてもすごかったですよね。ランスロットさんの別荘!」
「まあ……中身は完全に『修行』って感じだったけどね……」
ランスロットたちと過ごしたさんざんな冬季休暇を思い出し、リタはわずかに眉根を寄せる。そんなリタに気づかぬまま、ローラはぐっと拳を握りしめた。
「いったい後期はどんなことするんでしょうか!」
(後期ねえ……)
わくわくと目を輝かせるローラを横目に、リタはあらためてこれまでのことを振り返る。
昨年の秋にここ、オルドリッジ王立学園の魔女科に入学して以降、本当に色々なことがあった。
入試の成績が最下位だったのに、なぜか騎士科一位のランスロットに選ばれたり、授業であやうく校舎を破壊しかけたり、『冥獣』なる謎の敵にたびたび襲われたり、さらにはそれを生み出していた『冥王教』の人間と対峙する羽目になったり――。
(今度こそ、穏やかな人生を送るつもりだったんだけど……)
はは、と疲れた笑みを浮かべながら、中央に向かってとぼとぼと歩いて行く。
するとやたらと人が集まっていた一角から「リタ!」と突然名前を呼ばれた。ぎくっと硬直していると、人ごみをかき分けて銀髪の青年が姿を見せる。
「遅かったな。寝坊か?」
「別に遅くないと思うけど……」
「必要なら、明日から毎朝部屋まで起こしに行くが」
「いややめてね⁉」
新学期早々、真剣な顔で提案してくるランスロットを前に、リタはぶんぶんと首を振った。
(うう、相変わらず真面目なのよね……)
ランスロット・バートレット。
眉目秀麗。成績優秀。品行方正。由緒正しき公爵家の跡取り。軍神エルディスに生き写しとまで言われる完璧超人。そしてなぜか――リタの現・パートナーである。
本来であれば成績上位者からペアを組んでいくため、成績一位の彼と最下位のリタが組むことはまずあり得ない。しかしランスロットはその高潔ともいえる性格ゆえに、わざわざビリであるリタを指名した。
実際は、入学式前に見かけたリタの行動に感心し、選んでくれたそうなのだが――。
(部屋に入られて、『本当の私』がバレたら大変だし……)
身長体重体力、どれをとっても平均以下。おまけに成績は最下位といういいとこナシのリタだが――その正体は、かつて世界を混沌の渦に巻き込んだ冥府の王『冥王』を倒した勇者ディミトリ、修道士シメオンとともにパーティーを組んでいた、伝説の魔女・ヴィクトリア。
長すぎる寿命を終える寸前、最後にこれだけはと思って編み出した若返りの魔法により、二十歳前後の肉体を取り戻すことに成功。その事実を隠すべく、以前とは似ても似つかぬリタの姿に変身しているのだ。
(ランスロットにだけは、絶対知られたくない……!)
目の前に立つ彼をそうっと見上げる。
堅物で努力家、おまけに女性なら誰でも夢中になってしまいそうな麗しい美貌の彼だが、実はヴィクトリアを心から崇拝していた。
その敬愛ぶりはすさまじく、うっかりヴィクトリアのことを尋ねれば四時間ぶっ続けで語り倒してくるし、一般には知られていない超マイナーなヴィクトリア情報も、彼にかかれば湯水のように湧いてくる(噂だけで書かれた文献も多いため、真実ばかりではないが)。
そんなこととは知らないリタは、以前うっかり彼の前で変身魔法を解いてしまい――その結果、普段のクールな彼からは想像もできない狼狽ぶりを嫌というほど目にしてしまった。
(嬉しいような、恥ずかしいような……)
かくして、リタの時は保護者のようにあれこれと過保護に心配され、ヴィクトリアの時は赤面しっぱなしの初心な彼に翻弄される――というよく分からない二重生活を送っている。
「遠慮するな。お前は俺のパートナーなんだから」
「いや、ほんっとーに大丈夫なので……」
するとそんな二人のやりとりを聞いていたのか、先ほどまでランスロットを取り巻いていた人垣の中から、水色の髪を完璧な形に巻いた美少女が歩み出てきた。
魔女科の成績一位、リーディア・プライストだ。
「あらリタさん、お久しぶり」
「リ、リーディア……」
「いよいよ後期が始まりますわね。『再選考』が楽しみですこと」
「ははは……」
水と冷気、二つの属性を使いこなす優等生で、ランスロットの実家である公爵家とも親しいという正真正銘のお嬢様。成績最下位にもかかわらず、ランスロットのパートナーであり続けるリタが疎ましいのか、こうしてたびたび嫌味をぶつけにやってくる。
(前期のこともあったから、少しは仲良くなれそうな気がしてたんだけど……。ま、すぐには難しいわよね)
ヴィクトリア時代に育てていた三人の養子のうち、いちばん照れ屋だったエヴァンシーのことを思い出し、リタはうんうんと心の中だけで懐かしむ。
するとそんなリタの脇からまた別の同級生――アレクシスが話しかけてきた。
「おはようリタ。合宿以来かな」
「アレクシス、ひ、久しぶり……」
「『再選考』ってたしか、今組んでいるペアを解消して、新しい相手と組むやつだよね」
「そ、そうみたいだけど……」
ふうん、と顎に手を添えるアレクシスを、リタはどこか緊張した面持ちで見つめる。
(アレクシス、なんだか最近すっごく変わった気が……)
入学当初、騎士科最下位だった彼にはちょっとだけ仲間意識を抱いていた。
だが前期最後の騒動のあとから、おどおどした気弱さがなくなった気がする。ぼさぼさだった黒髪もいつの間にか綺麗に整えられており、全体的に大人の余裕が現れていた。
「じゃあ、ようやくリタを正式なパートナーにできるチャンスが来たわけだ」
「へっ⁉」
「最下位同士、組んだら上手くいきそうな気がしない?」
「それは、その――」
アレクシスの背後から滲み出る謎の威圧感に、リタは思わず一歩後ずさる。
その直後、学年主任である騎士科担任が叫んだ。
「全員、整列!」
すぐさま列が出来上がり、騎士科担任が満足げにうなずく。遅れて他の騎士科の教師、魔女科教師であるイザベラなどが前方にずらりと並び立った。
「本日より一学年後期が始まるが……それに先立ち、編入生を紹介する」
(編入生?)
小柄な今の姿ではよく見えず、リタはひょこっと頭を横にずらす。だが騎士科担任の隣に立つ人物を目にした途端、「げげっ」と顔をしかめた。
そこにいたのは美しい金髪と緑の瞳をした――。
「本日より騎士科に編入する、エドワード第二王子殿下だ」
(ぎゃーっ!)
ランスロットの悪友であり、ヴィクトリア時代に片思いしていた勇者・ディミトリの子孫――おまけにその顔が瓜二つという因縁の相手の登場に、リタは白目をむきかける。
言われてみれば前期の最後、そんな話をされた気もするが――。
(まさか、本気だったなんて……)
絶句するリタの一方、あちこちから魔女科の女子生徒たちの黄色い声が湧きおこった。
「エドワード王子が同級生だなんて……!」
「なんて麗しい立ち姿……高貴な方はまとう空気まで美しいですわね!」
「天使のような金の髪に、エメラルドに似たグリーンアイ……素敵……」
「ランスロット様と親しいのでしょう? お二人が並んだところを見てみたいですわ」
「もしかして王族の方と親しくなれるチャンスですの?」
「でしたらわたくし、お兄様のジョシュア様ともお近づきになりたいですわ」
「騎士科ということは、もしかして魔女科からパートナーを選ばれるのかしら? きゃーっ! どうしましょう、わたくしいつでも準備できてましてよ!」
「何をおっしゃいますの。殿下はきっとわたくしを指名なさいますわ」
「あーら、そんなの分からないじゃありませんこと」
(なんか……前にもこんなことが……)
なんだか嫌な予感がして、リタはぶるるっと身震いする。
(でも今の私には、ちゃんとランスロットという正式なパートナーがいるわけで……。いくら王子様でもそこまで強制できるはずは――)
大丈夫、と心の中で念じるより早く、騎士科担任が口を開いた。
「より実践的な戦い方を学びたいとのことで、特別に後期から編入することとなった。殿下たっての希望で、学園に在籍している間は他の生徒と同様に扱うものとする。なおパートナーについてだが――リタ・カルヴァン!」
「ほぁい⁉」
突然の名指しに変な大声が出てしまい、リタは一気に周囲からの注目を集めてしまう。遅れて赤面していると、騎士科担任が呆れた顔で腕を組んだ。
「悪いが、殿下とペアを組んでくれ」
「えっ⁉ で、でも私、すでに別のパートナーが……」
「どのみちこのあと『再選考』を行う。そこで今のパートナーとは話をしてくれ」
(そ、そんなー⁉)
あまりに強引すぎる展開に、リタはだらだらと冷や汗をかく。
そんななか、当のエドワードがにっこりと微笑んだ。
「リタ! 約束どおり迎えに来たよ!」
(約束とかしてないんですけど⁉)
優雅に手を振る彼を前に、リタはギギギとこわばった笑みを浮かべる。
それと同時に、じりじりと焦げつくような女子生徒たちの視線を四方八方から感じとり、その場でさああっと青ざめた。
(ま、まずい……)
助けを求めるかのように、そうっと隣の列にいるランスロットを見る。だが普段冷静な彼にしては珍しく、大きく目を見開いたままその場で硬直していた。
それを見たリタは、これが完全に『寝耳に水』の話であることを理解する。
(どうしてこんなことに……)
自分はただ、穏やかな学園生活を送りたいだけなのに――。
こうしてリタ・カルヴァンの一学年・後期が始まった。
第二部始めました!
のんびりお付き合いいただけたら嬉しいです。





