書籍版発売お礼ss①:その手の温かさは、誰のもの?
「……ア、ヴィクトリア――」
(……?)
誰かから名前を呼ばれ、リタはゆっくりと瞼を持ち上げた。
どうやら大きな木の根元で寝てしまっていたらしく、目の前には牧歌的な春の草原が広がっている。暖かい日差しにぼーっとしていると、隣にいた誰かが「ふふっ」と笑った。
「随分、気持ちよさそうに寝ていたね。昨日あまり寝ていないのかな?」
「ええと、たしか図書館で借りた本が面白くて、それで……」
おぼろげな記憶を手繰りながら、リタは声のする方を向く。
だがその姿を見て、思わず言葉を失った。
(ゆ……勇者様……⁉)
そこにいたのは三百八十年前、ともに冥王を倒した勇者その人だった。突然の思い人の登場に、リタは訳が分からないままパニックになる。
そんなリタの様子を見て、勇者がぱちぱちと瞬いた。
「どうかした? まるで悪い夢から覚めたみたいな顔して」
「い、いえ……そ、それより、どうして勇者様がここに……」
「どうしてって……デートの途中だからかな。君との」
「デート⁉ 私との⁉」
驚愕の単語が飛び出てきて、リタはガタガタと震え始める。
一方勇者はにこっと微笑むと、すぐ隣にあったリタの手をそっと取った。
「冥王も倒したことだし、たまには二人で出かけて来たらって修道士が」
「しゅ、修道士様が……」
「言われてみればずっと二人きりになれなかったし、ちょうどいいなと」
ぎゅっと手を握られ、リタはたまらず赤面する。
だがすぐに首を振ると、彼の手を振り払った。
「ちょっと待ってください⁉ お、王女様のことは……」
「王女様?」
「だ、だって、お好きなんですよね、王女様のこと……」
口にしたあとで、リタの心臓がわずかに痛む。
しかし勇者はきょとんとした顔つきのまま、不思議そうに首を傾げた。
「いや? まあ、立派な方だなーとは思うけど……僕の恋人は君だけだし」
「ほあぁ⁉」
「まさか、それまで忘れちゃったの?」
不安そうに眉尻を下げる勇者を見て、リタはダラダラと冷や汗をかく。
(ど、どういうこと……? 王女様とは何もなくって? 勇者様が私の恋人で? 今はデートの途中で?)
いよいよ意味が分からなくなり、リタは自分の周囲を確認する。
艶やかな黒い髪、女性らしい体つき、長く愛用してきた杖――そのどれもが懐かしいようで、ひどく違和感を持つものにも見えた。
(間違いなく私……。だけど……本当に、これだったかしら……)
今朝、鏡越しに見た自分の姿は今と同じだったか。
魔法を使うときに振るっていた杖は、こんなに古いものだったか。
それに――。
(私、もっと別の名前で呼ばれていた気がする――)
ヴィクトリア、ではなくて、もっと簡単な。
でも『彼』からそう呼ばれることは、意外と嫌ではなくて――。
(……彼?)
頭の片隅に靄がかかっているかのようで、リタは必死に振り払おうとする。
銀の髪に青い瞳。融通が利かなくて、馬鹿がつくほど真面目で、でも恋愛ごとになると途端に少年のように動揺するのが可愛くて、なによりも――。
だが懸命に思い出そうとしているリタの顔を、勇者が心配そうにのぞき込んでくる。
「ヴィクトリア? 大丈夫?」
「だ、大丈夫です。でも、あの――」
「戦いばかりで疲れただろう? もう少し寝ていいよ」
そう言うと勇者は手を伸ばし、リタの頭をよしよしと撫でた。まるで本当の恋人のようなその仕草に、リタはいよいよ真っ赤になる。
だが同時に「このままではいけない」と心の中で警鐘が鳴った。
「だ、ダメです! わ、私には今、大切なパートナーが――」
「パートナー? それは一体何なのかな」
「それはええと、その――」
とっさに口にしたものの、リタ自身もよく意味が分かっていない。しかしとにかく拒絶せねばと、頭に置かれた彼の手を振り払おうとした。
「ですから、パートナーは私の――」
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「――私の、なんだって?」
「はっ‼」
次に目が覚めた時、リタは学園の中庭にあるベンチに座っていた。
季節は秋。少し肌寒いくらいの気温だ。
(ここは……)
ゆっくりと顔を上げる。その直後、大きく目を見張った。
「ラ、ランスロット⁉ どうしてここに」
「どうしてって……お前が寝ていたのをたまたま見つけただけだが」
「寝て……」
リタはそこでようやく、自分が夢を見ていたことを思い出した。内容を振り返ったところで、かああっと頬を赤くする。
(夢……夢かあ~!)
なんて都合のいい夢だろう。勇者様とお付き合いしているなんて。自らの厚顔さと恥ずかしさとがない交ぜになり、リタは「うわあああ」と声なき悲鳴を上げる。
ランスロットはそれを呆れたように見つめたあと、はあとため息をついた。
「どうでもいいが、こんなところで寝ると風邪ひくぞ」
「う、うん、ごめん……」
「いい加減、俺のパートナーであるという自覚を持て。じゃあな」
そう言うとランスロットはさっさといなくなってしまった。一人残されたリタは苦笑したものの、ふと自分の体に見覚えのある上着があることに気づく。
(これ、ランスロットの……)
まさか、風邪を引かないようにわざわざかけてくれたのだろうか。
ぽかぽかと体温の残るそれを手繰り寄せながら、リタはとても幸せな気持ちになるのだった。
・
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(……気づかれて、ないよな?)
ランスロットは歩きながら、じっと自分の手を眺めた。
その手に残る暖かさを意識すると、かあっと頬が熱くなる。
(しかしどうして俺は、あんなことを……)
中庭のベンチでリタが寝ているところを、偶然発見した。
どうせまた本の読みすぎで寝てしまったのだろうと近づくと、上着も着ていない無防備な状態だったため、つい自分の上着を着せてしまった。
そこまでは良かったのだが――。
(さっさと立ち去れば良かったというのに……)
くうくうと眠る彼女がリスか子ウサギのようで、ついその小さな頭を撫でてしまった。ふわふわとした髪が想像以上に柔らかく、しばらく手を乗せているとリタが突然目を覚ました――という次第だ。
「まったく……そこいらでほいほい寝ないよう、ちゃんと言っておく必要がありそうだ」
眉間に皺を寄せ、ランスロットが「うむ」と頷く。
冬の訪れを予感させる木枯らしが吹き、彼はひとり「くしゅん」と肩をすくめるのだった。
(了)
書籍版発売お礼ssでした!
明日ももう一つ更新します。





