エピローグ 前世の因縁はかくも複雑に
一学年、前期の最終日。
教壇に立つイザベラを、リタはワクワクとした目で見つめていた。
「それでは明日より、冬期休暇に入ります。帰省する生徒は、学生課に申請書を提出すること。寮に残る生徒は食堂の使用時間や門限に変更がありますので、事前によく確認しておくように。それでは――先日の筆記テストの結果と、総合成績を返却します」
(きたーーっ‼)
リーディアから順に名前を呼ばれ、それぞれ前に歩み出る。落ちた、上がった、という悲喜こもごもの声を聞きながら、リタはじっと待ち続けた。
やがてローラが呼ばれ、最後に「リタ・カルヴァン」と名前が読み上げられる。急いで前に出ると、教卓越しにイザベラが小さく微笑んだ。
「……よく頑張りましたね」
「あ、ありがとうございます‼」
努力を誉められるのはいくつになっても嬉しいものだ。
筆記テストの回答用紙と、総合成績の結果。
手の中に収めたまま席に戻り、大いなる期待とともに総合成績の紙を見つめる。
(いちばんとはいかなくても、きっと結構いい順位のはず――)
大きく息を吸い込み、おそるおそる二つ折りのそれを開く。
そこに書かれていたのは――
「……下から、五番目?」
何度も確認するが、数字の間違いはない。
最下位ではない。
最下位ではないが――ちょっと悪すぎないだろうか?
(ど、どうして⁉ 実技の追試だってちゃんと出来たし、筆記試験だって――)
慌ててもう一枚、筆記テストの回答用紙を開く。
右上に書かれていたのはなんと百点満点中、一桁の点数だった。
その理由にリタは愕然とする。
(か、回答欄が、ずれてる……‼)
なんというケアレスミス。
あろうことかリタは、かなり最初の時点で書く欄を一つ飛ばしていたのだ。
そんなこととは知らないローラが、嬉しそうにこちらを振り返る。
「リターっ! 私、結構上がりました! 実技の成績が思った以上に良くて」
「そう……良かったわね……」
「リタはどうでした? まさか一位とかですか⁉」
その時教室の前の方で、わーっという歓声が上がった。
「リーディア様、また一位だったんですって!」
「当然よね。実技も筆記も完璧。来期はじめの『再選考』が楽しみですわ」
「きっとランスロット様も、リーディア様をお選びになりますとも」
「ふふ、ありがとう。これからも頑張るわ」
微笑んだリーディアが、ちらりとリタの方に視線を向ける。
目が合ったところで、まるで勝ち誇ったかのように「にこっ」と笑ったのだった。
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こうして前期最後の授業を終え、リタとローラは学生寮へと向かっていた。
外はかなり寒く、冷たい風が回廊の間を絶え間なく吹き抜けていく。
「そういえばローラは、冬季休暇何をして過ごすの?」
「二週間くらいは、実家に帰ろうと思います。お父さんたちも心配してたし……。リタはどうするんですか?」
「私は……特に予定もないから、図書館で気が済むまで本を読むつもり」
「うわあ……すごいですね」
するとローラが何かを思いついたように、ぱあっと目を輝かせた。
「そうだ! じゃあどこかで遊びに行きませんか⁉」
「遊び?」
「はい。私とリタと、あ、良かったら男性陣も誘って――」
「ん? 何の話だ」
突然割り込んできた声に、リタとローラは揃って顔を上げる。
見れば向かいから、騎士科の授業を終えたランスロットとアレクシスが歩いてきた。
「冬期休暇、みんなで遊びたいなって話をしてたんです」
「わあ、楽しそうですね」
「ほう、いいな。それならうちの別荘がいくつかあるから、そこを使うか」
「い、いいんですか⁉」
すると楽しげに話す二組に向けて、誰かが中庭側から「おーい」と声を上げた。
駆け寄ってきたその姿を見た瞬間、リタは思わず渋面を浮かべる。
(げっ……!)
「ランスロット、ここにいたのか」
「殿下! どうしてこちらに?」
「いや、学園長に話があってね。終わったから君を探していたんだ」
現れたのは、第二王子であるエドワード。
相変わらず勇者に瓜二つの外見と、放たれる圧倒的な陽のオーラを前に、リタはさりげなくローラの背後に隠れようとする。
するとエドワードが突然振り返り、リタの方をひょいっとのぞき込んだ。
「やあリタ。この前はありがとう」
「は、はあ……」
「君のおかげで助かったよ。しかし――」
そう言うとエドワードはリタの両手を取り、恭しく捧げ持った。
「本当に感激したよ……。まさかこんなに素晴らしい女性が存在していただなんて……」
「で、殿下?」
「ねえリタ? 良ければ来期は、わたしのパートナーになってくれないかな?」
「は⁉」
まさかの爆弾発言にリタはもちろん、ローラとアレクシスが飛び上がる。
「えっ⁉ で、殿下が、リタのパートナーに⁉」
「ちょ、ちょっと待ってください⁉ それはいったいどういう――」
「実は後期から、ここの学園に編入することになったんだ。元々王宮でも鍛錬は積んでいたけど、やはり実践的な戦い方を身につけたくてね。先日の視察は、どんな場所かの下見も兼ねていたんだよ」
(な、なんてこと……)
絶句するリタの一方、エドワードは握る手にぎゅっと力を込める。
「勇敢に敵に立ち向かっていく君の姿に、すっかり心を奪われてしまったんだ」
「え、ええと……」
「聞いたら後期のはじめに、パートナー替えをする『再選考』があるというじゃないか。今のパートナーが誰かは知らないけれど、絶対にわたしの方が優秀だと断言できる。だから――」
「いや、ですから私は――」
まるで勇者様から迫られているかのようで、リタは眩しさをこらえるように目を眇める。
するとそんなエドワードの手首を、ランスロットががしっと摑んだ。
「失礼ですが、殿下でもそれは許可できません」
「どうしてだい、ランスロット?」
「彼女は――リタは、俺のパートナーだからです」
(……‼)
はっきりと断言され、リタの心臓がどくんと跳ねる。
それを聞いたエドワードは「なるほど」とようやくリタから手を離した。
「まさか君がライバルだったとはね。だが相手に不足はない。ここは正々堂々と勝負しようじゃないか」
「あの、殿下?」
「承知しました。殿下といえども手は抜きません。お覚悟はよろしいですか?」
「ランスロット⁉」
中空にバチバチと火花が飛び散っている気がして、リタは左右を交互に見る。
すると二人が同時に、リタに向かって手を差し出した。
「こんな堅物相手では疲れるだろう? 来期はわたしにエスコートさせてくれないかな」
「リタ、分かっているだろうな。甘い言葉に惑わされるなよ」
(ひ、ひいいい……)
助けを求めるかのように、こっそりローラたちの方を見る。すると奥にいたアレクシスが、眼鏡越しに「にっこり」と目を細めていた。
それを見たリタは、言い表せない恐怖に襲われる。
(わ、私は、どうしたら……)
散々迷ったあげくリタは――どちらの手も取らず、その場でくるっと踵を返した。
そのまま全速力で、もと来た道を戻っていく。
「リタ、待ってよ!」
「リタ、待て!」
(絶対、嫌ーっ‼)
追いかけてくる二人分の足音を聞きながら、リタは必死に走り続けるのだった。
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その日の夜。
リタは学生寮の裏庭に立つと、そうっと空を見上げた。
月はなく、砂糖粒のような星々がキラキラと美しく瞬いている。
(たしか、あのあたりのはず……)
杖を取り出し、静かに呪文を唱える。ふんわりと浮かんだそれに腰かけると、そのまま三階部分まで飛び上がった。
ランスロットの部屋に辿り着くと、コンコンとその窓を叩く。
「……リタ?」
「ご、ごめん、こんな時間に……。でもちょっと、話がしたくて」
「まさか、昼間のパートナーの件か?」
「ち、違うから! その……」
怪訝そうな顔のランスロットに、リタがもじもじと口を開く。
「実はその、伝言を預かっていて」
「伝言? 誰からだ」
「ええと、ヴィ、ヴィクトリア、様から……」
「‼」
名前を耳にした途端、ランスロットは目を大きく見張る。
それを見たリタは必死に頭を働かせながら、懸命に言葉を探した。
「えっと、その……デ、デートの時、いきなり帰ってごめんなさいって……」
「……っ‼」
「急に用事を思い出しただけで、デートが嫌だったとか、ランスロットが悪かったとかじゃないって、それだけを伝えてほしいって言われてて……。あっ、デートの内容とかは一切聞いてないから安心して!」
「…………」
押し黙ってしまったランスロットを前に、リタはこくりと息を吞み込む。
だがそのまま、素直な思いを口にした。
「誘ってくれて、嬉しかったって」
「…………」
「こんな自分を、ずっと大切に思ってくれていて、ありがとうって……」
それは嘘偽りのない、リタの正直な気持ちだった。
それを聞いたランスロットは、険しかった表情をふっと和らげる。
「……そうか。良かった」
「ランスロット……」
「てっきり嫌われたのかと思っていたが……安心した」
普段とは違う、子どものような笑みを見せたランスロットに、リタもまた微笑みかける。
だが彼はすぐに眉根を寄せると、ううむと腕を組んだ。
「しかしそうなると、またデートにお誘いしなければな」
「え、また?」
「当然だろう。たった一度のデートで、俺の何を知ってもらえるというんだ?」
(つ、強い……)
諦めの悪いランスロットの様子に、リタは一人閉口する。
だがようやくあの時の誤解を解くことができ、そのことに心から安堵した。
「しかし、ようやく前期が終わったな」
「う、うん」
「まあ、色々大変だったが……俺はお前をパートナーに選んで、良かったと思っている」
「ランスロット……」
「だから、その……」
なぜか言いよどみ、ランスロットが「こほん」と喉を正した。
「来年も、よろしくな」
言葉とともに手を差し出され、リタは一瞬ぱちぱちと瞬く。
だがすぐに手を伸ばすと、しっかりと握り返した。
「うん。……よろしく!」
はじめての頃よりずっと力を込めて、二人は握手を交わす。
その頭上には――遥か昔、修道士と見上げたような満天の星が輝いていた。
(了)
約一カ月、お付き合い下さりありがとうございました!
次回作でもお会い出来たら嬉しいです。





