第八章 3
「それでは、学期末の筆記試験を開始します。このテストと、先日行われた実技テストの合計点が後期に向けての新しい成績となりますので、心して取り組むように」
緊張する生徒たちの前に、イザベラは伏せたままの問題用紙を配布する。
やがてリタの前を訪れると、淡々と告げた。
「リタ・カルヴァン。今日から復学したのでしたね」
「は、はい!」
「病み上がりですから、あまり無理はしないように。それから実技テストがまだでしたね。後日、パートナーの騎士候補とともに追試を受けてください」
「は、はい……」
一気に日常が戻ってきた気がして、リタは「ひいん」と情けなく眉尻を下げる。それを見たイザベラが、珍しくわずかに微笑んだ。
「ですが……無事でよかった」
「えっ?」
「怖かったでしょうに、よく頑張りましたね」
(イザベラ先生……)
アニスとの戦いの直後、血相変えて走ってきたイザベラの顔を思い出す。リタもまた小さく微笑むと「ありがとうございます」と返した。
「ですが試験は公正に行いますので」
「はーい……」
目の前に分厚い問題用紙が置かれる。
その時イザベラのローブの裾から、小さな紙がひらりと机上に滑り落ちた。
「あ、先生。何か落とされ――」
すぐに拾いあげて呼び止めようとする。
しかしそこに書かれていたものを見て、リタは我が目を疑った。
(ど、どうして先生が、私の肖像画を……⁉)
もはやおなじみとなった、うねうねした長い髪の恐ろしい姿。
伝説の魔女・ヴィクトリアを描いた肖像画の写しを手に、リタは思わず言葉を失う。
すると神速で戻ってきたイザベラが、目にも止まらぬ速さでそれを奪い取った。
「……見ましたか?」
「い、いえ……」
「そうですか」
心なしかほっとした表情を浮かべ、イザベラは他の生徒のもとに歩いていく。その背中を見ながら、リタは「えええ」と混乱した。
(まさかイザベラ先生も……『ヴィクトリアマニア』なの……?)
全員に配り終えたところで、イザベラが教壇へと戻る。
リタは予期せぬ動揺を抱えたまま、「始め」の合図とともにペンを取るのだった。
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放課後。
リタは満足げな表情で回廊を歩いていた。
(よし、手ごたえあり!)
入試の時にはさんざんだったテストだが、今回は最新知識にすべて更新済み。
術式、魔法理論、素材の名前にも抜かりはない。
(これでついに最下位脱出かも……!)
ふふーんと鼻歌を歌いながら、図書館に続く道を急ぐ。
そこに、中庭の方からランスロットが姿を見せた。
「何のんきに歌ってんだ?」
「あ、ランスロット! 実は今日のテストが割と出来て……。この調子なら、ビリじゃなくなるかも!」
「ほう、それは期待しておこう」
そう言うとランスロットは「そうだ、これ」と脇に抱えていた木箱をリタに差し出した。リボンがかかったそれを受け取り、リタははてと首を傾げる。
「これは?」
「いいから開けてみろ」
言われるままリボンを解き、蓋を押し開ける。
重厚な布に包まれる形で収められていたのは、リタの新しい杖だった。
「こ、これって……」
「前の奴は壊されただろ? だから店に言って、同じ素材と装飾で作り直してもらったんだ。少し強度も上げてもらってる」
「わああ……‼」
すぐに取り出し、すべすべとした心地よい手触りを確かめる。
だがリタは即座に「はっ」と目を見張った。
「ご、ごめん! 高かったよね⁉ その、お、お金は……」
「前にも言ったが、お前が気にする必要はない。どうしても払いたいのなら、卒業後に出世払いしてくれ」
「出世払い……」
これはとんでもない借金を抱えてしまったのでは? とリタは内心身震いする。そこでふと、ランスロットの剣も新しくなっていることに気づいた。
「ランスロットも新しくしたんだね」
「あの時の衝撃で、完全にダメになってしまったからな。かなり使い込んでいたものだし、買い替えられてちょうど良かった」
「そっか……」
すると目の前にいたランスロットが、突然「こほん」と空咳をした。
「あの時はお互い、大変だったな」
「そ、そうだね」
「しかし先生方に聞いても、どうして冥獣騒ぎが終着したのか誰も覚えていないらしい。あの数の人間が一度に記憶喪失になるなんて、普通にありえないと思わないか? まあ、かくいう俺も現場にいながら、何も覚えていないという有様だが……」
「ふ、不思議だねー!」
下手にしゃべるとぼろが出そうで、リタは適当に答える。
しかしランスロットは、さらに独自の推理を展開していた。
「そこで考えてみたんだが、あの数の冥獣を倒しきるには最低でも中隊以上の兵力が必要だ。だが俺が目覚めた時に、そんな多勢の姿はなかった。つまりごく少人数――おそらく魔法を使用して、大規模討伐が行われたと考えるのが自然だろう」
「へ、へえー」
「戦闘に長けている魔女――『赤の魔女』様であれば可能だろうが、あの時は北部の遠征に出ておられて王都には不在だったという。『三賢人』のほかのお二方は戦い向きの魔法ではないし、それ以外で名の知れた魔女となるとかなり絞られてしまう」
「ふ、ふーん……」
「だが例外がいることに俺は気づいた。そう――ヴィクトリア様だ! ヴィクトリア様は以前もこの場所にお越しになったことがある。つまり何がしかの用事があり、あの時も偶然、学園に居合わせていた可能性が高い!」
(ひいいーーっ!)
じわじわと真綿で首を絞められているかのような。
リタは背中に冷や汗をかきながら、それとなく答えをずらそうとする。
「さ、さすがにそれは、タイミング良すぎないかなー? そもそも、あの時ヴィクトリア様がいたのを見た人がいた訳でもないし……」
「…………」
必死の反論に、ランスロットは一瞬「むっ」と口を引き結んだ。
だがすぐにぐっと拳を握りしめる。
「いや……ヴィクトリア様はおられたはずだ」
「ど、どうして……」
「なぜなら俺は……あの時、あの方に会った覚えがある」
「ええっ⁉」
(な、なんで⁉ あの間の記憶は、全部魔法で消えたはずじゃ――)
動揺するリタをよそに、ランスロットはうっとりと続けた。
「はっきりとした記憶があるわけじゃない。ただ……この体が覚えているんだ」
「か、体……?」
「ヴィクトリア様の細く美しい指先が、間違いなく、俺の手に触れた。あのしなやかで慈しみに満ちた手つき――それだけは忘れられるはずがない‼」
(こ、怖ーっ‼)
時の精霊の効果範囲外だったのか。
はたまたヴィクトリアへの強すぎる愛がなせる業なのか。
理由は分からないが、ランスロットは確信を持ったまま語気を強めた。
「つまりあの時冥獣を倒してくださったのは、ヴィクトリア様……。それに気づいた時、俺はある重大な事実に気づいた」
「じゅ、重大な事実とは……」
「リタ……お前あの時、中庭にいたんだよな?」
「――っ‼」
まずい、とリタの中で警鐘が鳴る。
だが逃げ出そうにも、ランスロットが真正面から見据えてくる。
「ど、どうして、そんな……」
「アレクシスから聞いた。リタが俺を助けたと」
(ア、アレクシス……!)
どうしよう。
いったいどこまで話しているのか。
そんなリタの動揺を知る由もなく、ランスロットはさらに繰り返す。
「お前はあの時、中庭にいた。――ヴィクトリア様がいたのと、まったく同じ時間に」
「……っ!」
もうだめだ。
完全にバレている。
ついにこの学園生活が終わってしまうのか。
蒼白になるリタに向けて、ランスロットの口がゆっくりと動いた。
「お前、もしかして――」
「……っ‼」
「――ヴィクトリア様を呼んでくれたのか⁉」
「はあ?」
予想もしない回答に、リタは反射的に眉根を寄せてしまった。
だが聞き間違いではなく、ランスロットは嬉々とした様子で続ける。
「いやだから、ヴィクトリア様に助けを求めてくれたんじゃないのか?」
「助け……」
「アレクシスが言っていたのは、そういう意味だったんだろう? お前がヴィクトリア様にお願いしたから、俺たちはみんな助かった。全員記憶を失っていたのも、ヴィクトリア様の魔法によるものだと」
「う、うーん……?」
「ああいい。皆まで言うな。きっとまたヴィクトリア様から、大ごとにしたくないから黙っておくようにとでも言われているんだろう? なんて謙虚な御方なんだ。あっ、もしかして魔法を使うお姿を間近で見たのか⁉ どんなだった⁉ びっくりするくらい美しかっただろう⁉ ああ……いったいどんな素晴らしい妙技を使われたのか……。かなうことなら俺もその勇姿を、この目で直に拝見したかった……。くっ、どうして俺は何も記憶していないんだっ……‼」
「…………」
どうしてそうなる。
悔しがるランスロットを前に、リタは「はっ」と片方の眉毛を上げた。
(……もういっか。このままで……)
いまだ熱弁を振るうランスロットと、冷めた目でそれを見るリタ。
乾いた冬の風が、二人の間をひゅうと駆け抜けた。





