第八章 三百八十年越しの告白
パチパチと、二人の間で赤い炎が踊っていた。
夜空には今日も数えきれないほどの星が輝いている。
新しい薪をくべながら、修道士が口にした。
「ヴィクトリア、あなたも早く休むといい。見張りはぼくがしておきますから」
「ありがとうシメオン。でもまだ大丈夫よ」
橙色に照らされた彼の顔を見る。
柔らかそうな焦げ茶の髪に、いつも微笑んでいるかのような目元。
胸元に下げられた銀の護符が、彼の足元に小さな光の環をゆらゆらと描いていた。
「それにしても、ずいぶん遠くまで来たわね。冥王までもうすぐかしら」
「はい。噂によると」
「最初はすごく怖かったけど、最近はすっかり慣れちゃった」
「……すみません。何の関係もないあなたを、こんな危険な場所まで連れてくるなんて……」
「わ、私が行きたいっていったから気にしないで! ほとんど後方支援だし、それに戦いの時は勇者様が守ってくれるから、安心して魔法も使えるし……」
「……ええ。彼は本当に強い。幼なじみとして、ぼくも誇りに思います」
修道士はわずかに沈黙し、ふっとヴィクトリアに笑いかけた。
「それにしても、どうしてついて来てくださる気になったんですか?」
「えっ?」
「だって最初は、あんなに嫌がっていたじゃないですか。もちろんぼくたちがしつこくお願いしたのは悪かったなーと思いますけど、あなたにはぼくたちのように冥王を憎む理由も、倒したい理由もなかったはずです」
「そ、それは、その……」
ヴィクトリアが言い淀んでいると、修道士がにやっと笑う。
「もしかして――ディミトリのこと、好きなんですか?」
「はっ⁉ えっ、なっ⁉ なんで、そのこと……」
「おや、図星だったようですね」
「ぎゃー‼」
先に寝ている勇者を起こさないよう、ヴィクトリアは小さく悲鳴をあげる。それを見た修道士は、こそこそっと顔をこちらに近づけた。
「すみません、まさか当たってしまうとは」
「も、もしかして、勇者様にもバレて……?」
「いえ、あいつは大丈夫でしょう。そういったことにはびっくりするほど鈍感ですから」
「よ、良かったあ……」
修道士に太鼓判を押され、ヴィクトリアはほっと胸を撫で下ろす。
安心すると同時に一抹の興味が湧いてきて、ひそひそと修道士に問い返した。
「あ、あの、幼なじみとして聞きたいんだけど」
「はい?」
「どう……思う? 勇者様、私のこと選んでくれる可能性、あるかしら……」
「…………」
ヴィクトリアの真剣な質問を前に、修道士はうーんと眉をひそめた。
「すみません、分からないです」
「それはやっぱり、私に魅力がないと……」
「あっ、そ、そういうことではなくてですね⁉ ええと、あいつとぼくは違う人間で、あいつが誰を好きになるかまでは判断できないというだけで、ただ――」
早口でまくし立てたあと、修道士は「こほん」と言葉を切る。
「……もし、ぼくなら、ずっと一緒にいた相手を選びます」
「ずっと、一緒に……」
「だから自信を持ってください。あなたは優しくて、とても素敵な女性です」
「…………」
修道士はヴィクトリアを見つめ、穏やかに目を細めた。
その顔がいつもより赤くなっていたのは、焚火のせいだろうか。
「さ、そろそろ寝て下さい。明日も早いんですから」
「う、うん……」
なんとなく気恥ずかしくなったヴィクトリアは、そそくさと立ち上がる。だがテントに向かう途中、くるりと修道士の方を振り返った。
「あの」
「? どうしました」
「どうして……私が勇者様のこと好きって、分かったの?」
修道士は目をしばたたかせると、そのまま静かに微笑んだ。
「顔を見れば分かりますよ」
「そ、そうなんだ……」
羞恥の限界を迎えたヴィクトリアは、逃げるようにその場をあとにした。
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一人になった修道士は、薪を追加しながらぼんやりとつぶやく。
「……ぼくも、もっと戦える人間なら良かったな……」
幼なじみの勇者のように。
そうしたら彼女を守ることも出来たのに。
もしも、もう一度人生をやり直せるなら、その時は――
「なんて……まずは冥王を倒すのが先だよな」
胸元で揺れる護符を、片手でぎゅっと握りしめる。
あの日勇者と誓った。
故郷を滅ぼした冥王をいつか必ず倒そうと。
(それなのに、こんな……邪な気持ちに、振り回されているなんて……)
いつからだろう。
勇者を見つめる彼女の瞳が、とても輝いて見えた。
それに気づいたとき――自分のこの気持ちを、永遠に封印しようと決めたのだ。
(ぼくは選ばれなくていい。それで二人が、幸せになるのなら――)
先ほどの彼女の問いを思い出す。
どうして、自分が勇者のことを好きだと分かったのかと。
「そんなの……見れば分かるでしょ……」
自分も同じ眼差しで、あなたを見つめているのだから。
などとは口が裂けても言えず――
修道士はようやく火が回った薪を、そっと焚火の奥に押しやるのだった。
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目覚めたリタは、仰向けのまま何度もぱちぱちと瞬いた。
(……?)
立派な房飾りが下がる豪奢な天蓋。
ゆっくりと体を起こす。
横たわっていたのは、見覚えのないベッドの上だ。
「ここは……」
白と青で統一された貴賓室。
バルコニー付きの大きな窓からは、穏やかな陽光が差し込んでいる。
高そうな家具たちを順番に眺めていると、やがて一枚の巨大な肖像画へと辿り着いた。
「ど、どうして、私が……」
そこに飾られていたのはヴィクトリアの肖像画。
ただしこれまで見てきたものとは違い、当時の容姿にかなり近い。
癖のない長い黒髪。青い瞳。顔立ちまでそっくりだ。
(まるで、本当に私を知っている人が描いたみたいな……)
すると突然、部屋の奥にあった扉がカチャリと開いた。
現れたのはランスロットで、リタが起きているのに気づき目を見開く。
「良かった。気がついたか」
「ランスロット、ここはいったい……」
「俺の家だ。学園はまだ後処理で混乱していたから、急遽こちらに運んでもらった」
(そっか私、あのあと気絶して……)
ランスロットと学園を救うため、ありえない規模の魔法を連発した。
アニスとの戦いもあり、体に限界がきてしまったのだろう。
「極度の疲労とのことだ。念のため、あとで検査をしておこう」
「あ、ありがとう……。と、ところであの絵なんだけど」
「絵?」
リタが指さした方を見て、ランスロットが「ああ」と顔をほころばせる。
「素晴らしいだろう? 我が家秘蔵のヴィクトリア様の肖像画だ」
「秘蔵……」
「バートレット公爵家を興した始祖様が描かれたという、大変貴重なものでな。世間一般に知られているヴィクトリア様のお姿とはかなり異なるが、俺としてはこのヴィクトリア様が本来の風貌にもっとも近いのではと考えていて――」
「バ、バートレット公爵家の始祖様って」
「なんだ知らないのか。あの冥王を倒した勇者とヴィクトリア様、それに同行していたと言われる修道士様が爵位を得て、バートレット公爵になったんだ」
(しゅ、修道士様……⁉)
愕然とするリタをよそに、ランスロットは得意げに話を続ける。
「始祖様は実に清廉な御方でな。親を失った子どもたちを養育するための救貧院を、各地にいくつも作られた。その後そこから養子を取り、バートレット公爵家の礎を築いてきたわけだが……当のご自身は最後まで結婚なさらなかったそうだ」
「結婚……しなかった?」
「ああ。なんでも、ともに旅をしたヴィクトリア様を深く愛しておられたと」
「――っ⁉」
衝撃的な告白に、リタは唇をわななかせる。





