第七章 5
冥獣たちは人によって生み出され、使役される。
そう考えると、早くに避難したエドワードが集中的に狙われていたのも説明がついた。
これが冥獣を利用した、何者かの、王族への計画的な犯行だとすると――
「――犯人は、この学園の中にいる?」
「それは分からない、けどっ!」
言いざまに、アレクシスが二匹の冥獣を屠る。
「もしそうだとしたら、そいつを潰さない限り、こいつらは一生湧いて出る――それどころか、またさっきみたいな大型も現れるかもしれない」
「でも、犯人なんて……」
言いかけたリタの頭に、ふと過去の映像が甦る。
冥王を崇拝する宗教。入れ墨。
突如暴走したローラ。大量の問題集。花柄の包み紙。
精霊との相性。
炎。冷気。使い魔。合同授業――
(そういえば……。あの人はあの時、どうして……)
やがてリタは、アレクシスに向かって叫んだ。
「ごめんアレクシス、ここ、お願いしていい?」
「リタ?」
「元凶を止めないと――」
言い終えるより早く、リタは立ち上がり、まっすぐ校舎の方に走り出す。
背中でそれを察したアレクシスは、静かに片方の口角を上げた。
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一人になったアレクシスは、その場で「はあっ」と大きく息を吐き出した。
「……良かった。やっと、君に頼ってもらえる男になれたね」
目の前には十を超える冥獣。
だがアレクシスからすれば、そのどれもが陳腐な『模造品』だった。
「でも、いなくなってくれてよかった。僕の正体を知ったらきっと、君は僕のこと、嫌いになっちゃうだろうから……」
そう言うとアレクシスは、掛けていた眼鏡をそっと外す。
折りたたんで制服の胸ポケットに入れたあと、両手の指先を額の生え際に添えた。そのまま長い前髪を、ぐぐっと後ろに撫でつける。
「それにしても、人間っていうのは随分脆く出来ているんだなあ。……この体も」
気がついた時には赤ん坊の体だった。
教会を訪れた祖父に拾われ、人としての生活や約束ごとを学んだ。
「しかしまさか、こんなところで再会できるとは思わなかったよ。うーん、でも成績最下位っていうのは良くなかったかな……」
祖父の友人に勧められ、この学園の入学試験を受けた。
だが結果は最下位。すべて反則負け。
理由は――『対戦者の命を狙ったため』。
「嫌でも見えちゃうんだよなあ、急所。おじいちゃんがくれた眼鏡をかけたら、少しは見づらくなったけど……。入学式もまだのうちから退学になったらシャレにならないから、あの時リタがいてくれて本当に助かったよ」
広がる視界の先に、冥獣たちの核がはっきりと見える。
だがあれは心臓ではない。
(やはり誰かが、冥府の力を貸し与えているな……。出しゃばってくるとすれば公爵殿か、宰相あたりも怪しいが……。いずれにせよ、王の無き間に玉座を奪い取ろうなんて、やることが小さいんだよなあ……)
はあーっと溜め息をついたあと、アレクシスは持っていた剣をくるんと回す。
普段とは違う構えを取ると、にやっと冥獣たちを見やった。
「ほら、おいでよ。今はテストじゃないから、好きなだけ相手をしてあげる」
飛びかかってくる冥獣たちをいとも簡単に切り捨てる。
その動きはこれまでアレクシスが見せたことのない、機敏で無駄のないものだった。
ひるんだ敵が距離を取り始めたのを見て、ふっと片笑む。
「そもそも、戦いにルールがあることが間違っているんだよね。命を奪うか、奪われるか……本当の戦いってそういうものだと思わない? ねえ――ヴィクトリア」
ひと目見てすぐに分かった。
三百八十年前、自分に立ち向かってきた唯一の女性。
どんなに傷ついても仲間を、勇者を守り続けた。
あの時目にした圧倒的な魔法の数々が、生まれ変わった今でも目に焼き付いて離れない。
「ああでも――今回も素晴らしかった。まさか、時をさかのぼれるなんて」
ぞくぞく、と全身が震える。
アレクシスは剣を肩に乗せ、揃えた指先をくいっと手前に傾けた。
「ほら来いよ。誰が本当の王か、教えてやる」
あらわになった美貌で、アレクシスは酷薄に微笑む。
その全身からは、どす黒い靄がオーラのように立ち上っていた。
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アレクシスが冥獣たちを引きつけている時。
リタは一人、回廊をひた走っていた。
(もし、私の推理が正しければ……)
やがて図書館に到着し、リタはそのまま建物の中に入る。
窓から壁際の階段を伝い、屋根の上へ。
そこには黒いローブを風になびかせた、一人の女性が立っていた。
(……いた……)
リタはおそるおそる、その人物の名前を呼びかける。
「どうしてこんなところにいるんですか? ――アニス先生」
「あら、リタちゃん」
振り返ったのは、魔女科一年、副担任のアニスだった。
彼女は立てた人差し指を口元に当て、「うーん」と眉根を寄せる。
「冥獣退治に行けって言われてたんだけど……やっぱり怖くって。だからこっそりここに逃げてたの。お願い、他の先生には秘密にしてくれない?」
「……違いますよね。ここは学園内でいちばん高い建物。そして――中庭のすべてが見渡せる位置にある」
「…………」
アニスは相変わらず笑みを浮かべたままだ。
「あなたが……冥獣に学園を襲わせたんですか」
「やだあ、いきなり何を言い出すの?」
「飴、です」
その言葉に、アニスの目から一瞬笑みが消えた。
「私は入学直前、あなたから飴を貰いました。ただ王都に行った際、どこかに落としてしまったんです」
「まあ、ひどい。せっかくのプレゼントだったのに」
「その直後、王都に冥獣が出没しました。周辺にいるはずの見張りを看過して、いきなり」
「大変だったわね。でもそれと飴に、いったい何の関係があるのかしら?」
「……もう一つ。あなたはローラにも同じ飴を渡していた。おそらく私と同様、つらいことがあったら食べるようにと言い添えて」
「…………」
「パートナーからの日常的な暴力に限界を感じていたローラは、あなたからの言葉を思い出し、その飴を食べた。そのあと能力を暴走させ、パートナーへと逆襲したんです」
「ちょっとぉ、まさかそれが飴のせいだっていうの?」
「あの時ローラの体から、冥獣が発しているのと同じ黒い靄が立ち上っていました。これは私の仮説ですが――ローラはあの時、『冥獣化』させられていたのではないでしょうか?」
リタの追及に、アニスは「ふふっ」と可愛らしく笑った。
「偶然でしょ? だいたい、冥獣化なんて聞いたこともないわ」
「じゃあ、あの飴を証拠として見せていただけませんか」
「もうなくなっちゃったわよ」
(そりゃ当然、応じるわけないわよね……)
リタは短く息を吐き出し、もう一つの解法をたどり始めた。
「では質問を変えます。先生は以前、授業でローブに火が燃え移った時、かたくなに脱ごうとしませんでしたよね?」
「そんなことあったかしら」
「精霊との相性を確認した初期の授業です。あの時ローラが過集中してしまい、炎の精霊が暴走したのを、私はよく覚えています」
『レインガーテの証』を使用した儀式。
ローラが生じさせた火は最前列の生徒のほか、教師二人にも及んだ。
「あの時イザベラ先生はとっさに『全員、急いでローブを脱いで!』と命じました。その指示に従い、生徒たちはすぐにローブを脱いでいた。でもアニス先生だけはローブをはたくばかりで、決して外そうとはしなかった」
「…………」
「あなたも魔女であるなら、炎の精霊の恐ろしさはご存じのはずです。万一着衣のままやけどを負えば、完治できない大けがになるのも予測できたはず。でもあなたは脱がなかった――正確には『脱げなかった』のではありませんか?」
静かに言い終え、リタはじっとアニスを見る。
アニスはにいっと口角を上げると、その大きな目を弓なりに細めた。
「そんな小さなこと、よく覚えていたわね」
「…………」
そう言うとアニスは、肩から羽織っていたローブをはらりと落とす。
下から現れたのは両腕を露出した黒いドレス――その肌には、かつて王都で見た『冥王教』の信者たちと同じ入れ墨が、びっしりと隙間なく彫り込まれていた。
「……!」
「さすがに生徒たちに、こんなの見せるわけにはいかないじゃない?」
「……以前王都で冥獣に遭遇した時、冥王教の人たちが口にしていたんです。『使徒様が、我らの新たな希望を生み出してくださった』――と。その時は単に、自分たちに都合のいい解釈をしているだけだと思っていた。でも違った」
冥獣は、冥王復活の前兆。
きっと彼らは『冥獣』がいかにして生み出されるのか、知っていたのだ。





