第七章 4
「お願いです……。あいつを、リタを助けてやってください……」
「…………」
「あいつ、今……魔法が使えないんです……。だから……」
(だからどうして! こんな時まで私の心配をするのよ……!)
なんとかここから助け出そうと、リタは手あたり次第に瓦礫をどかそうとする。だがどれもがっちりと噛み合っており、リーディアの時よりも余裕がない。
するとランスロットの声が弱々しくなった。
「全部、俺の……せいなんです……」
「……?」
「俺が、ヴィクトリア様に会えると、浮かれていたせいで……。あいつが苦しんでいることに、全然気づいてやれなかった……」
「…………」
リタは思わず手を止める。
ランスロットは光のない目から、ぼろぼろと大粒の涙を零していた。
「こんなことなら、ちゃんと……あいつを選んだ理由を、言っておけば良かった……。俺が、もっと頑張ってほしいなんて、勝手なこと、考えたから……。だからあいつはきっと……自分で自分を追い詰めて、そのせいで……」
(……もしかして、ずっとそんな風に思ってたの?)
リタへの接し方が悪かったから。
最下位だから選んだと、わざと思わせたままにしたから。
自分のせいで、リタは魔法が使えなくなった。
(そんなわけ……ないじゃない……)
ランスロットはいつだって、リタのパートナーとして隣にいてくれた。
心無い言葉からも、敵の攻撃からも守ってくれた。
第一――彼の本心は、ヴィクトリアの時にもう聞いてしまっている。
(もう……なんなのよ……)
今度こそ、魔法の研究だけを楽しむつもりだったのに。
恋愛も結婚も、何もかも忘れて、自由で穏やかな人生を謳歌するはずだったのに。
勝手にパートナーに選ばれて。
あげく――こんな超・年下から心配される始末。
(私……本当にダメな奴じゃない……)
やがて意識を失ったのか、ランスロットは言葉を発しなくなった。
リタは彼の手を握りしめたあと、そっとその場をあとにする。
中庭の開けた場所に歩み出ると、上空を悠然と舞い飛ぶ冥獣たちを静かに睨みつけた。
(冥獣だかなんだか知らないけど――)
ボロボロになった杖をまっすぐ地面に突き立てる。
その上に両手をかざすと、リタは大きく息を吸って目を閉じた。
(――伝説の魔女を、なめんじゃないわよ!)
「雷の精霊よ! 我が声を聞き! 我が願いに応じよ‼」
中庭全域に、美しい青色の巨大な魔法陣が広がる。
「真に欲するは神の裁き、とおがみなり、悪しきものをすべて撃ち落とせ――霹靂神‼」
詠唱が終わると同時に、鈍色だった曇天が突然青白い光を内包し始める。
次の瞬間、空にいた冥獣すべてに落雷した。
ギャアアアというすさまじい絶叫とともに、彼らは次々と墜落する。
(――次!)
黒い霧のように冥獣が崩れ去るさまを見ながら、リタはなおも早口で呪文を紡ぎ続けた。
ぱんっと手を叩き、舞踏のように一回転する。
青い魔法陣の上に、今度は緑と黄色の魔法陣が展開された。
「土の精霊よ、荒れ果てた大地、尭風舜雨、我が学び舎をあるべき姿に――一陽来復」
「風の精霊よ、淀んだ大気を洗い流せ、逆浪、回瀾――黄塵万丈」
リタの命に従い、中庭に落ちていた瓦礫が瞬く間に元の姿に戻っていく。同時に強いつむじ風があちこちで巻き起こり、土煙と冥獣の残滓を鮮やかに散らした。
それは天上にまで届いているのか――次第に雲が晴れ、隙間から青空が覗き始める。
(まだよ……!)
はあっ、と大きく息を吐き出すと、リタは杖の先端に手のひらを乗せた。
全身の魔力が一気に吸い取られていく。
頭の奥がぐらぐらと揺れて、今にも吐きそうだ。
だがリタは構わず新たな魔法陣を呼び起こす。
「時の精霊よ! 我が声を聞き! 我が願いに応じよ‼」
それは学園全体を包み込むような、途方もない大きさの円。
複雑で難解な術式が刻まれたそれは、淡く銀色の輝きを放っていた。
「世の理を、私は否定する! 汝のいと尊き力を持って、善良な者たちをどうか救いたまえ! 代償は我が誓い、我が命、我がすべて、望むものを!」
強い言葉の連続で、喉の奥が火を呑み込んだかのように痛い。
あんなに毎日、飴やら薬やら飲んでいたのに。
「千度八千度申し上げる! 冥獣の手により傷つきしもの、瓦礫によって生命尽きようもの、そのすべての体に流れる時間を、ほんのひと時! わずかな星の傾きだけ、元あるべき刻へ戻したまえ。久遠劫よりいでし――神韻縹渺」
願いを告げた瞬間、どこかから穏やかな声がする。
『リタ、本当にいいのですか?』
『エイダニット……』
『これは明確なルール違反。あなたはわたしとの契約を、解除しなければならなくなる』
『うん。今までありがとう』
『……あなたほどの才媛であれば、また新たな人生も送れたでしょうに。この魔法を使ってしまえばもう二度と、生涯をやり直すことは出来なくなるのですよ』
それを聞いたリタは、ようやく静かに微笑んだ。
『もういいの、それは』
『リタ……』
『やっぱり私……自分のためじゃなくて、誰かのために魔法を使いたいから』
三百八十年前は、大好きな勇者のために。
そして今は――
『分かりました。……愛しています。伝説の魔女、ヴィクトリア』
『ありがとう。時の精霊、エイダニット』
リタが囁いた途端、足元に広がっていた魔法陣がひと際強く光った。
あちこちから銀色の粒子が浮かび、中庭で倒れている怪我人たちの上に降り注ぐ。
それはまるで、早すぎた雪のようだった。
「…………」
それを見上げながら、リタはどさっとその場に倒れ込んだ。
限界まで魔力を消費したせいか、今までとは違った意味で声の出る気がしない。
(でも良かった、これでランスロットは――)
杖を支えになんとか体を起こそうとする。
だがそこに、第二王子たちに襲いかかっていた狼型の冥獣たちが現れた。
(嘘……まだ生きてたの……?)
「……っ、炎の……」
呪文を紡ごうとするが、力のある言葉はもう出てこない。
朦朧とした状態のリタを前に、冥獣は容赦なく襲いかかってきた。
(まずい――)
だが直後、冥獣がギャインっと鳴きながらはじき返された。
突如割り込んできた姿を見て、リタは我が目を疑う。
「アレク、シス……?」
「リタ、大丈夫⁉」
アレクシスはそのままリタを庇うように立ちはだかると、冥獣たちに剣を向けた。
「ここは僕がなんとかする、だから逃げて」
「で、でも……」
話している間にも、冥獣たちはしつこくこちらに襲いかかってくる。アレクシスは「ひゃあ⁉」と情けない悲鳴をあげながらも、一匹ずつ確実に仕留めていた。
しかし――
(……?)
剣に貫かれ、次々と霧散していく冥獣たち。
だがどういうわけか、次第にその数が増しているのだ。
(数が減ってない? むしろ――)
アレクシスもその違和感に気づいたのか、焦った様子で口を開いた。
「これ……もしかしたら、誰かが生み出しているのかも」
「生み出している?」
「そもそもおかしいと思ったんだ。ここは『騎士』と『魔女』のための学園。そんな場所にいきなり冥獣が侵入できるだなんて……」
(そういえば……)
優秀な騎士と魔女を多く擁立する王立学園。
当然セキュリティに関しても、他より厳重な警備体制が取られているはずだ。
しかし実際には、あれだけの数の冥獣が接近してきたのをむざむざ見過ごし、実習棟や中庭の破壊を許してしまった。
(視覚遮断魔法を使った? ううん、あれは相当高度な魔法だから、冥獣に扱えるとは思えない……。それにたしかに、前にもこんなことが――)
ランスロットと王都に出かけた日。
あの日も突然、あの巨大な冥獣が姿を現した。
(冥獣はどこかからやってくるんじゃなくて……誰かが作り出している?)





