第七章 3
(私……役立たずだ……)
魔法がないと、こんなに何も出来ないものなのか。
情けない。恥ずかしい。
(早く助けを……誰か、先生を呼ばないと……)
多くの生徒が入り乱れる中庭を走り抜け、避難場所である裏門へと急ぐ。半壊した実習棟はむごたらしい状態で、リタは思わず目をそらした。
すると回廊近くに積み上がった校舎の破片の下に、きらりと光るものを発見する。
(……?)
激流のような人の波を必死にかき分け、リタはその場に駆け寄る。
瓦礫の下にいたのはリーディアだった。
(そうか、最初の攻撃の時、ここに……)
まだ息はあるようだが、折り重なった外壁が大きすぎてとても動かせそうにない。
やがてリーディアが気づいたのか、ゆっくりと顔を上げた。
「リタ……さん……?」
「……! ……‼」
「っ……ああ、なんてこと……」
リーディアは体を動かそうと試みる。
だがすぐに無理だと察したのか、リタに向かって語りかけた。
「わたくしはもう、無理ですわ……」
「……⁉」
「足と手が挟まっていて、動きませんの……あなただけでも、逃げて……」
「……っ‼」
リタはすぐさま立ち上がると、リーディアを圧し潰している瓦礫の端に手をかける。
「――っ! ――っ‼」
(土の精霊よ! 土の精霊よ‼ 聞こえないの⁉ ねえ‼)
口を開け、必死に声を出そうとする。
だがやはり――一つの呪文も出てこない。
リーディアがそれを見て「ふふっ」と力なく笑った。
「やめなさい……魔法も使えないくせに……」
「……っ! ……っ‼」
(どうしてっ……どうしてなのよっ……‼)
瓦礫を押さえていた手のひらに、破片が食い込んで焼けるような痛みが走る。
しかしリタは支え続けることをやめなかった。
「もう諦めなさい……あなた、わたくしからされたこと忘れたの?」
「……っ、……」
「……本当に、嫌な子……」
(どうしよう……誰か、誰か……‼)
やがて奥の方から、がらっと石材が崩れる音がした。
リタの手にさらなる激痛が走り、思わず体勢を崩してしまう。
「――っ‼」
しかし次の瞬間、突然手のひらにかかっていた重さが軽くなった。
慌てて横を見る。
そこにはリタと同じく、懸命に瓦礫を支えるローラの姿があった。
「ローラさん⁉ あなた、どうして……」
「あたしはあなたのこと、好きじゃない、ですけど……。でも……助けられる力があるのに、何もしないのは、嫌、なので……」
「…………」
驚きに目を見張るリーディアをよそに、二人は必死に押しとどめる。
だがこのままでは遅かれ早かれ限界を迎えてしまうだろう。
(せめて、もう少し人手があれば――)
すると額に汗を浮かべていたローラが、両腕を伸ばしたままゆっくりと口を開いた。
「炎の精霊よ……我が声を聞き……我が願いに応じよ……」
(ローラ⁉)
それは精霊に捧げる最上級の魔法言葉。
引き出せる力は倍増するが、一年生のうちはとても使いこなせないものだ。
「真に猛き、炎の力……我が手に――宿れっ……‼」
(まさか、また付与効果を――)
詠唱を終えた瞬間、ローラの手から火柱が立ち上る。
かつてと同じ展開を想像したリタは慌てて止めようとした。
が――
(手、じゃない……)
めらめらと燃え盛る炎。
それはローラの手ではなく、彼女が着けていた黒い手袋から立ち上っていた。
魔法の火は瓦礫のふちをじりじりと焦がし、周囲の温度を一気に上昇させる。
「――っ、どりゃああああっ!」
ローラは吼えながら、手にしていた壁を力いっぱい放り投げた。
地震のような揺れとともに、リーディアを押さえつけていたものが一気に無くなる。
ぽかんとするリタを前に、ローラは汗みずくの状態で笑った。
「前に、リタが教えてくれた魔法陣、ずっと練習してたんです……」
「…………」
「魔法……諦めなくて、良かった……」
なぜか半泣き状態のローラを見て、リタは彼女の肩をとすっと拳で叩く。それだけで伝わったのか、ローラはウルウルした目を細めた。
救出したリーディアに肩を貸しながら、三人はようやく裏門へと到着する。
そこは避難した生徒で溢れかえっており、教師たちが大声で呼びかけていた。
「怪我をした生徒はこちらに! 全員防護魔法陣の中に入ってください!」
「良かった……間に合いましたね」
「…………」
どうやら騎士科の教師や魔女科で攻撃魔法を主とする者たちは、中庭での冥獣討伐に赴いているようだ。リタはきょろきょろと周囲を見回す。
(ランスロットは? まだ来てないの?)
ローラとリーディアには先に魔法陣に入ってもらい、リタはなおも彼の姿を探す。
すると上空を羽ばたいていた冥獣の口から、何やらどす黒い炎が漏れている姿を目撃した。
王都で見た彼らの攻撃方法――だが大きさがあの時の比ではない。
(まさか、あれを中庭に落とすつもりじゃ――)
矢も楯もたまらず、リタは中庭に向かって走り出す。
だが黒い火球は地面に放たれ――直後、耳をつんざくような轟音がリタの鼓膜を襲った。
「――っ‼」
最悪の想像とともに、ようやく中庭へと到着する。
目の前には、この世のものとは思えない恐ろしい光景が広がっていた。
(なに……これ……)
まるで巨大な鉄槌が振り下ろされたかのように、蜘蛛の巣状に大きくへこみ割れた地面。
もはやどこの瓦礫か分からないものが、地表のあちこちに積み重なっている。
冥獣討伐に学園の教師たちが繰り出していたはずだが、この攻撃で吹き飛ばされたのか、誰一人としてその姿が見えなかった。
(そんな、あの一撃で……?)
膨大な土煙と隆起した地盤とで見通しが利かない中、リタはランスロットの姿を探す。
すると巨大な瓦礫の近くに、見覚えのある剣が転がっているのを発見した。
間違いない。彼のものだ。
(まさか――)
空を旋回する冥獣の目を盗みながら、一つ一つ瓦礫の下を確かめる。
やがて隙間から土にまみれた銀の髪を発見し、リタは積み重なっている石片を急いでどかした。
(ランスロット……‼)
かろうじて見えたその姿は、間違いなくランスロットだった。
だが体は四分の三以上瓦礫の下に埋まり、片腕と顔がかろうじて見えているだけだ。
(早く……早く助けないと……)
なんとかして引きずり出そうとリタは彼の腕を掴む。
「――っ! ――っ‼」
励まそうにも声が出ず、リタは何度も彼の腕を引っ張る。
するとランスロットが閉じていた瞼をうっすらと開き、なぜか嬉しそうに微笑んだ。
「ああ……来てくださったんですね……。ヴィクトリア様……」
「……?」
「良かった……。あの時、すぐに帰られてしまったから……俺はなにか、悪いことをしてしまったのかと……すごく、後悔……していて……。でも、あなたがいてくだされば、もう……安心です……」
(どうして? 私、リタの姿のままなのに……)
衝撃にやられて、意識が朦朧としているのか。
ランスロットはリタをヴィクトリアだと思い込んだまま、ぽつりぽつりとつぶやいた。





