第七章 2
ローラとアレクシスの声援を背に、リタは前に歩み出る。
がらんとした試験会場では、グルルルと唸りを上げる複数の獣がこちらを睨みつけていた。
少し離れた位置に立派な天幕があり、その下でエドワードが手を振っている。
「どんな方法であれ、倒せば得点だ」
「…………」
「魔法を使うふりをして、まずは相手の注意を引け。その隙に俺があいつらを仕留める。すぐに狙ってくるだろうから、常に俺を前衛に置いた状態で逃げ続けろ。……お前のことは、俺が絶対に守ってやるから」
(ランスロット……)
ふうーっと息を吐き出し、スタートの位置に立つ。
開始の合図とともに、リタは大きく息を吸い込んだ。
(しっかりしなさい、ヴィクトリア――)
頭の中を真っ白にする。
精霊たちに、心の中だけで呼びかける。
(もしもこれが本当の戦場だったら――きっと、こんな弱さは許されない)
三百八十年前、冥王と繰り広げた死闘を思い出す。
灼熱で喉が焼けても、呪文を何百、何千回、何万回唱えても。
勇者と修道士を救うため、ヴィクトリアは戦い続けた。
(騎士は魔女を守る、でも――)
ひんやりとした冷たい空気が、リタの体内いっぱいに取り込まれる。
あらゆる感覚が、限界まで研ぎ澄まされた。
(魔女だって――騎士を助けるものなのよ‼)
全身全霊。
この一瞬に賭けるよう、リタは大きく口を開く。
だが次の瞬間――背後から、すさまじい轟音が鳴り響いた。
(なっ……何⁉)
慌てて喉を押さえたが、リタの声は出ていない。
(私の魔法じゃない……じゃあいったい――)
動揺するリタのもとに、ランスロットがすぐさま駆けつける。
「大丈夫か⁉」
「……!」
二人はすぐさま音のした方を振り返る。
そこにあったのは実習棟――ただし三階より上の部分が、完全に崩壊していた。
そして――
(冥獣⁉ しかもこんなにたくさん……)
かつて王都で遭遇した鳥の『冥獣』が――五羽。
ばさり、ばさりとその大きな両翼で学園の上空を飛び回っていたのである。
「どうして、ここに……」
冥獣たちはギャイ、ギャイと耳障りな鳴き声を発しながら悠然と灰色の空を舞っており、それを見た騎士科担任は、生徒たちに避難するよう命じた。
「全員ここから離れろ! 建物には入らず、裏門前の広場で指示を――」
だが言い終えるよりも早く、またも地面を震わせるような破砕音が響き渡る。
またどこかの建物が壊されたらしい。
「リタ、走れるか。俺の手を――」
「…………」
ランスロットがリタに向かって手を差し出す。
しかしリタの目は先ほどから、空に浮かぶ冥獣の一匹に釘付けになっていた。
少し離れたある一点をぐるぐると周回している。
(なんだろう……。まるで何かを狙っているみたいな……)
すぐさま会場の方を振り返る。
先ほどまでエドワードがいた天幕は、避難したのかもぬけの殻になっていた。
(大丈夫、きっと逃げているはず――)
だが名状しがたい胸騒ぎを覚えたリタは、たまらずその場から走り出した。
逃げまどう生徒たちの間を小さな体で潜り抜ける。
「あ、おい!」
(確認するだけ、何もなければそれで――)
しかしリタの悪い予感は当たり、中庭の隅でエドワードと護衛騎士たちが襲われていた。
見れば狼型の冥獣に何重にも取り囲まれている。
(どうしよう、助けないと――)
だがやはり声が出る様子はない。
リタはいちかばちか、近くにいた冥獣を持っていた杖で殴った。
「――っ‼」
「君⁉ やめた方がいい! 危険だ‼」
中央にいたエドワードが気づき、すぐに制止する。
しかしリタは杖を両手で剣のように構え、必死になって狼たちを追い払おうとした。
それに気づいた冥獣たちの目が、一斉にリタに集中する。
「エドワード様、早くお逃げください!」
「そんなこと出来るか! わたしのことはいいから、早くあの子を――」
護衛騎士の言葉を無視し、エドワードが叫ぶ。だが主君を守るのが第一と、護衛騎士が二人がかりで彼を抱きかかえた。
エドワードが離れていくのを目の端で確認し、リタはとりあえず安堵する。
(良かった、こっちに注意が向いて……。この手の獣は弱そうな人間を真っ先に狙うから……)
かつて勇者と修道士とともに歩いた旅で、それは何度も痛感していた。
だがもう守ってくれる彼らはいない。
これからどうしたらいいのかも、全然分からない。
(私、いったい何してるのかしら……)
エドワードは勇者様じゃない。
他人だ、別人だと何度も自分に言い聞かせてきたはずなのに。
どうしてこんな危険を冒してまで、自分は――
(……ああ、そっか)
冥獣たちはリタをターゲットに定め、ゆっくりとその周囲を取り囲んだ。
リタはそれを見て、ぎゅっと杖を強く握りしめる。
(私……もう一度、あの人が亡くなるところを、見たくなかったんだわ)
本当に。
本当に。
大好き、だったから。
「……っ」
やがていちばん近い位置にいた冥獣が、勢いよくリタに襲いかかった。
リタはそれと真正面で向き合い、力の限り杖を振り下ろす――
「ギャインッ‼」
「……⁉」
すぐ傍で、冥獣の悲痛な鳴き声が上がった。
目の前に現れたのは、ランスロットの大きな背中。
「だから――どうしてお前は、わざわざ危ないところに突っ込んで行くんだ⁉」
(ランスロット……‼)
襲いかかってくる冥獣を切り伏せながら、彼は冷静に続ける。
「だが、エドワードを救ってくれたことには感謝する。あれでも一応、親友なんでな。それよりここは俺がなんとかする。お前は早く逃げろ」
「……っ」
不安そうに顔を歪めたリタに向けて、ランスロットは苦笑した。
「お前を守りながら戦う方が厄介なんだよ。こんな奴ら試験以下だ。心配するな」
「……っ」
軽く肩を押され、リタは一度だけ振り返ったあとすぐに走り出す。
背後で再び、冥獣があげる断末魔の声がした。





