第一章 2
(最初は、絶対ヤダって思っていたんだけど……)
そんな危険なことはごめんだと、ヴィクトリアはすぐに断った。
しかし彼らは諦めが悪く、その日からヴィクトリアの家の隣で野宿を始めた。
せっせと食料を取ってきたり、作った食事を分けてくれたりと、ヴィクトリアはそこではじめて、人とともに暮らす楽しさを知ったのだ。
笑い、歌い、悲しみを共有し。
三人での生活がかけがえのないものになった頃。
いつの間にかヴィクトリアは――勇者に恋をしてしまったのである。
(……まさかこの私が、誰かを好きになるなんて……)
お日様のような明るい金髪に、無邪気で少年のような笑顔。
人々のために冥王を倒したい、と語る勇者のまなざしはまっすぐで、ヴィクトリアはもっと彼の役に立ちたい、傍にいたいと思うようになった。
こうして彼女は、冥王討伐パーティーに加わったのだ。
『ヴィクトリア様はその強大なお力をもって、戦いに向かう勇者と修道士様をお守りくださいました。その結果、みごと冥王を打ち滅ぼすことに成功したのです! 勇者様はヴィクトリア様にいたく感謝し、今後もそのお力を国のために捧げてくれるよう頼みました』
(……そう。そのおかげで、私たち『魔女』の地位は向上した――)
冥王討伐というめざましい功績と、他ならぬ勇者からの口添えもあり、これまで忌避されていた『魔女』たちは途端に民たちから尊敬されるようになった。
『魔女』であることを秘密にしていた女性たちも口々に名乗り出るようになり、ヴィクトリアもまた王都で暮らすことを許されたのである。
しかし――
『その後、勇者様は王女エレオノーラ様と結婚され、長くこの国を治められたと言われております。ご一緒に旅をされていた修道士様は授爵され、ご自分の夢であった救貧院を設立。そして伝説の魔女様は――勇者様が亡くなったのを最後に、ひっそりとどこかに姿を消したと言われております』
「…………」
それを聞いたヴィクトリアは、一人静かに俯いた。
(――ほんと、バカみたいよね。私……)
冥王を倒すまでは彼の負担になりたくないと、その気持ちを隠し続けていた。
そうしてようやく目的を達成し、思いを伝えられると思った時にはすでに、彼は王女様と親しい関係になっていたのだ。
(勇者様が求めていたのは私じゃなくて、私の力だけだったのに……)
勇敢で誠実な勇者様と、見目麗しいお姫様。
二人がお似合いなのは誰の目から見ても明らかで――ヴィクトリアは結局、本当の思いを一度として彼に伝えることが出来なかった。
やがて彼らは結婚し、勇者は王になった。
(でも私は本当に、彼のことが好きだった――)
失恋してもなお、ヴィクトリアは王都に残って勇者を支え続けた。
彼の治める国が少しでも豊かになればとその知恵を貸し、技術を広めたのだ。
そんなヴィクトリアの『魔法』により、国民たちの生活はさらに充実し、それは元・勇者であった国王陛下と、他の『魔女』たちの地位を確固たるものとした。
その後、国王夫妻のもとに可愛い男の子が生まれる。
さらに女の子、男の子と生まれ、王家は絵に描いたような幸せな家庭となった。
そうして数十年が過ぎた頃――
老いた元・勇者がようやく息を引き取ったのだ。
その時ヴィクトリアは、七十歳になっていた。
(……あの時ようやく、王都を離れる決心をしたのよね……)
不思議なことに、膨大な魔力を内に秘めた彼女の見た目は、冥王を倒した時となんら変わりない美しいものだった。力の強い『魔女』は不老長命である――それを知った人々は、今後もこの王都に残り、自分たちを助けてくれるようヴィクトリアに頼み込んだ。
だが勇者がいなくなったこの場所に留まる理由はもうないと、ヴィクトリアはひっそりと表舞台から姿を消したのである。
「本当に……今考えても完全な黒歴史だわ」
ヴィクトリアはうんざりとした様子で、そうっと教会をあとにする。
大通りを歩きながら、指を折ってこれまでの年数を数えてみた。
「でもさっき、三百八十年前に冥王を倒したって言っていたわよね……。じゃあ私はあの棺で、三十年近く眠っていたことになるのか……」
王都を離れ、森での生活に戻ったヴィクトリアのもとに『伝説の魔女の師事を受けたい』と多くの魔女たちが訪れた。
ほとんど断っていたヴィクトリアだったが、特に魔力が強かった三人の子どもたちだけは無下にできず、引き取って大切に育てた。彼女たちはそれぞれ立派に成長し、皆時期が来れば独り立ちしていった。
そうしてヴィクトリアは、三百七十歳まで生きた。
肉体はすっかり衰えており、まもなく命が尽きると確信した。
だがその瞬間、ヴィクトリアはこれまで誰も試したことのない一世一代の大魔法――『肉体再構築の術』を試してみようと思い立ったのだ。
そして魔法は――見事、成功した。
「三百七十歳の体から二十歳の体……。てっきり同程度の年数が必要かと思っていたけど、単純な経過年数を逆行するわけではないのね。勉強になったわ」
あらためて、小さな手のひらをぐっぱと開く。
うっかり勇者に恋なんてしてしまったせいで、柄にもなく冥王との戦いに参加し、生涯のほぼ半分を国への奉仕に費やしてきた。
出たくもない会議に出て、興味のない魔法を開発し、王宮で毎日働かされ続けたのだ。
本当はもっと自由に生きて、好きな魔法の研究がしたかった。
(愛だの恋だの、そんな浮ついた気持ちに振り回されるのはもうたくさん! 今度こそ、後悔のない素晴らしい人生を生きるのよ!)
己に喝を入れるかのように、ヴィクトリアはぐっと拳を握りしめる。
すると突然、背後から声をかけられた。
「おや、君も王立学園の入学希望者かい?」
「えっ?」
慌てて振り返る。
そこにいたのは穏やかそうな青年で、彼は持っていたチラシをヴィクトリアに手渡した。
「はいこれ。じゃあ早速だけど、魔力測定してみようか」
「え、あの、魔力測定って」
「潜在的な魔力の量を測るんだよ。『魔女』になるにはそれなりの魔力が必要なんだけど、なかなかそこまで多くの魔力を持つ女の子はいなくてね。王立学園では貴族・平民を問わず、才能のある子を広く探しているんだ」
「は、はあ……」
すらすらと説明している間にも青年はヴィクトリアの手を引いて、水晶玉の置かれた台の前までつれていく。
台の向かいには、黒いローブを羽織った眼鏡姿の女性が無愛想に立っていた。
「先生、次の希望者です。お願いします」
「……そこの水晶玉に手をかざして」
「は、はい……」
よく分からないが、ここは逆らわない方がよさそうだ、とヴィクトリアはおずおずと片手を伸ばす。その瞬間、透明な水晶玉の中央に強い光が宿った。
(――っ!)
まるで己のすべてを見透かされるような感触に、ヴィクトリアはすばやく手をひっこめる。光はすぐに消えたものの、その始終を見ていた女性がくいっと眼鏡を押し上げた。
「今、どうして手を離したの?」
「あ、いえ、なんか、ぞわってしたので」
「…………」
(なんか、嫌な予感が……)
ヴィクトリアは、そろりそろりと後退しようとする。
だがそんな彼女の腕を、眼鏡の怖そうな女性が勢いよくつかんだ。
「……たしかに、見えた魔力量はごく微量なものでした。ですが普通の魔力とは少し違う……まるで巨大な爆発を前に、凝縮された高エネルギー体のような……」
「え、えーと……」
「あなた、名前は?」
「な、名前?」
突然の質問に、ヴィクトリアはこくりと息を吞む。
(正直に……はさすがにまずい?)
ありふれた名前ではあるが、万一バレたら面倒だ。
ヴィクトリアはとっさに、昔飼っていた二匹の猫の名前を口にした。
「リ、リタ、カルヴァンです……」
「リタ・カルヴァン……聞いたことのない家名ね。まあいいわ。とりあえずあなた、今からこの入学届けにサインして」
「い、いやあの私、そういうのはちょっと」
「いいから早く!」
「は、はいいっ‼」
こうしてヴィクトリア――改めリタは、オルドリッジ王立学園へ入学することとなった。