第七章 私が魔法を使う理由
学期末、実技テストの日。
空はあいにくの薄曇り。
会場となる中庭には、冬らしく冷たい空気が満ちていた。
「リタ、寒くないか?」
「…………」
隣に立っていたランスロットに話しかけられ、ローブ姿のリタはこくりと頷く。
そのまま口元に両手を寄せると、「はあっ」と白い息を吐き出した。
(やっぱり、声、戻らなかった……)
試験直前、イザベラから「辞退するか」という打診があった。
だがリタは少し悩んだあと、受けてみたいと申し出た。
これをきっかけに、もしかしたら治るかもしれないと期待したのだ。
(でもどうしよう……。本当に大丈夫かな……)
不安とも緊張ともつかぬ重圧に、合わせた手ががたがたと震える。
それに気づいたのか、ランスロットがリタの指先を片手でぎゅっと包み込んだ。
「大丈夫だ。心配するな」
「…………」
準備が整ったのか、教師たちがそれぞれの持ち場につき始めた。
学年主任である騎士科の担任が、生徒たちの前に立つ。
するとそこに――『騎士』の制服を身に着けた仰々しい一行が現れた。
(……?)
いったいなにごとだ、と生徒たちはそれぞれ視線を送る。
やがて護衛騎士たちの奥から「おーい!」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ランスロット、久しぶりだな!」
「殿下⁉」
(ど、どうしてここに……)
そこにいたのは第二王子のエドワードだった。
相変わらずキラキラとした笑顔のまま、元気よくランスロットに手を振る。
「実はずっと、この学園に遊びに来たかったんだ! そうしたら今日、ちょうど学期末テストだっていうから。せっかくだから見学させてもらおうと思って!」
「あいつ……」
(な、仲いいんだよね……?)
ぎりっと奥歯を噛みしめるランスロットを見上げたあと、リタはあらためてエドワードの方に目を向ける。視線に気づいたのか、エドワードがまっすぐリタの方を見――そのまま「にこっ」と人好きのする笑顔を見せた。
真正面からそれをくらったリタは、思わず「うっ」と自身の胸元を摑む。
(だから! 別人だから‼)
前回はヴィクトリアの姿だったため、リタのことは完全に初対面だと思っているようだ。
微妙な表情の二人とは対照的に、突然の第二王子の登場に、生徒たちからは歓声とも悲鳴ともつかない声が上がった。
騎士科の担任は片耳を押さえると、ちょっと苛立った口調で叫ぶ。
「と、いうことで! 今回の実技テストは第二王子のエドワード様がご覧になる! 日頃の練習と勉強の成果を十分に発揮し、将来国を支えるであろう騎士・魔女候補として恥ずかしくない結果を出すように!」
(ま、ますます、プレッシャーが……)
祈るような気持ちで、試しに喉の奥から声を絞り出そうとする。
だがここまで期限が迫ってもやはり、リタの口から音が出ることはなかった。
「試験の順番は、事前にくじで決めた通りだ。まずは――」
やがて合図とともにテストが始まった。
内容は前回の合同授業と同じく、仮想敵の討伐――
だが五匹、とその数が格段に増している。
「どうやら以前とは違う特性をつけられているな。それに五匹中二匹は、魔女候補を優先的に狙うように仕組まれている。騎士側の立ち振る舞いが下手だと、あっという間に負けることになるが――」
(すごい、また見ただけで分析してる……)
ランスロットの読み通り、魔女候補が魔法を展開しようとした途端、一匹の獣が勢いよく飛び出しそちらを襲った。
騎士候補は咄嗟のことで反応が遅れ、即座に「そこまで!」と言い渡される。
「しっかり自分のパートナーを守れ。次!」
続くペアも防戦一方のまま制限時間が過ぎてしまったり、その次のペアは二匹まで倒したものの、残りの獣に襲われて失格、という惨憺たる有様だった。
やはり一筋縄ではいかないようだ。
(こんなに難しいんだ。でもこれなら、失敗してもあまり成績には……)
だがその直後、わあっという歓声が前方から上がった。
リタが必死につま先立ちしていると、ランスロットが「ほう」と顎に手を添える。
「ようやく、一組目の合格者が出たらしいぞ」
「!」
騎士課担任の称賛を受け取り、合格したペアが戻ってくる。
彼らはわざわざ生徒の間を通り抜け、リタたちの前に姿を見せた。
「わたくしの魔法、ご覧になりまして?」
(リーディア……)
彼女は長い水色の髪を掻き上げると、自慢げに口元に手を添える。
「良かったらあなたも参考に――あら、いけない。まだ魔法が使えないんだったかしら」
「…………」
「まあ、たとえ万全の状態であったとしても、あなたにはとても――」
「おい、いい加減にしろ」
ドスのきいたランスロットの声に、リーディアはびくっと肩をすくめる。
だが気丈にも彼の方を振り返ると「ふふっ」と優雅に微笑んだ。
「ねえランスロット様、ひとつ、賭けをしませんこと?」
「賭け?」
「もしこのテストでお二人が失格になったら、後期が始まってすぐに行われる『再選考』で、わたくしのパートナーになってくださいませ」
「――!」
とんでもない提案に、リタはこくりと息を吞む。
一方ランスロットは、ひと時も迷うことなく言い返した。
「しない」
「あら冷たい。……でもリタさんが言い出せば、その限りではありませんよね?」
「……⁉」
「リタ、聞かなくていい」
ランスロットがすばやく制止するが、リーディアはリタに小声で語りかけた。
「あなただって、もう分かってらっしゃるんでしょう? 自分では、ランスロット様のご迷惑になってしまうこと」
「…………」
「魔法が使えない魔女なんて、騎士様のお荷物でしかありませんわ。早く自分の無力さを認めて、ふさわしい相手をお選びになることこそが、ランスロット様をお助けする唯一の――」
「リーディア‼」
ランスロットが二人の間に割って入ろうとする。
しかしリタはすぐに顔を上げると、手にしていたノートに大きく書き記した。
『お断りします』
「なっ……」
『ランスロットは、私の大切なパートナーです』
堂々と書かれたその文字に、リーディアは強く唇を噛みしめた。
だがそれ以上は何も言わず、ひどく憤慨した様子でずんずんと会場をあとにする。
「ようやく自覚が出てきたか」
「…………」
緊張した面持ちで、リタはこくりと頷く。
その時再び「合格!」という声が前方で響き渡った。
「あいつらも上手くやったみたいだぞ」
「!」
やがて人ごみをかき分けて、ローラとアレクシスが姿を見せた。
ローラの手には、リタがあげた黒い革手袋が嵌められている。
「リタ! 私、やりましたよー!」
「はあ……無事終わって良かった……」
どうやら二人も無事、新しいパートナーで課題をこなすことが出来たようだ。
興奮冷めやらぬ様子のローラが、リタの両手を力強く摑む。
「きっと大丈夫です! ほら、ショック療法というか、本当にピンチになった時には人間、ものすごい力が出ると言いますし!」
『ありがとう、ローラ』
「……試験が終わったら、冬休み、いっぱい遊びましょうね」
すでに涙ぐんでいるローラをよそに、アレクシスもリタに話しかける。
「リタ、そんなに緊張しないで」
「…………」
「結構みんな失敗してるし。多分ダメでも成績にはさほど――」
「お前、俺が負けると思ってるのか?」
「そ、そういうわけでは……」
隣にいたランスロットからすごまれ、アレクシスは「ひい……」と震えあがった。
そのやりとりを見ていたリタは、思わず「ふふっ」と微笑む。
『アレクシスもありがとう。とりあえず、出来る範囲でやってみる』
「……うん。応援してる」
その時、騎士科担任の野太い声が聞こえてきた。
「次、ランスロット、リタ!」
「呼ばれた、行くぞ」
「……!」