第六章 2
さっそく練習してみますというローラと別れ、リタはいつものように図書館に向かう。
するとその途中、アレクシスが姿を見せた。
「リタ、今ちょっといいかな」
「……?」
「はいこれ。おじいちゃんが、喉にいい蜂蜜があるって送ってくれたんだ」
『いつもありがとう、アレクシス』
ガラス瓶に入った琥珀色の液体を受け取り、リタは小さく微笑む。
それを見たアレクシスは分かりやすく肩を落とした。
「やっぱりまだ、声、戻らないんだね……」
「…………」
「ああごめん、急かすつもりはなかったんだけど……」
「…………」
なおも落ち込むアレクシスを前に、リタはせっせとノートに書き綴る。
『優しいおじいちゃんだね』
「え?」
『前に、眼鏡も買ってくれたって言ってたから』
「……はい。おじいちゃんは本当に、優しい人です」
その文字を見て、アレクシスはようやく弱々しく笑った。
「実は僕、孤児で。両親の顔も名前も分からないんです」
「……!」
「驚かせてすみません。それで……教会の前で泣いていたところを、おじいちゃんが拾ってくれたそうなんです」
アレクシスの祖父は元兵士で、今は北にある小さな村で暮らしているそうだ。
必要な剣や弓の技は、すべて彼から教わったらしい。
「僕はおじいちゃんから、たくさんのものを貰いました。暖かい家、お腹いっぱいの食事、誰かと暮らすことの楽しさ……。けっして裕福な生活ではありませんでしたが、毎日とっても幸せでした。そんなある日、祖父の古い友人という方がうちを尋ねて来たんです」
彼はアレクシスの剣の腕を高く評価し、ぜひオルドリッジ王立学園に入学させるべきだ、良ければ自分が推薦すると息巻いたそうだ。
だがアレクシス自身、ものすごく悩んだという。
「自分の力がどれほどのものか、試してみたい気持ちはありました。でも僕がいなくなったら、おじいちゃんが一人になってしまう、と思って……。だからいったんは、お断りしようと思っていたんです」
しかしそのことを伝えると、アレクシスの祖父は激怒した。
「馬鹿にするな、ってめちゃくちゃ叱られました。お前がいなくても、自分はずっと一人で生きてきた。そんなくだらない理由で将来を諦めるなんて、それで自分が喜ぶとでも思ったのか――って。すっごい剣幕で」
それで目が覚めたアレクシスは、祖父の友人にあらためてお願いしたのだという。
「怒られてからしばらく、僕はおじいちゃんと話す勇気が出ませんでした。そのうちあっという間に入学準備の時期が来て、祖父の友人の方が馬車で迎えに来てくれて……。最後に、今までのお礼だけでも言っておこうって部屋に行ったら、この眼鏡をくれたんです」
入学祝いだ、とだけ。
いつもの怖い顔つきのまま、無理やり手のひらに押しつけられた。
『本当に、大切な眼鏡だったのね』
「……はい。あとで知ったことなんですが、おじいちゃんは昔『騎士』になりたかったそうなんです。でも当時騎士になるには、王都で行われる厳しい試験に参加しないといけなかった。若い頃のおじいちゃんは、そこまで行ける余裕がなかったんです……」
貧しい家の長男に生まれたため、一家の大黒柱であることを求められた。
働いて、働いて、弟妹たちが大きくなって独り立ちして、両親が亡くなって、ようやく自由になった頃にはもう――『騎士』を目指すだけの体力も気力もなくなっていた。
「僕、入試の成績は全然ダメだったけど……。でも『騎士』になれるよう、これからも頑張りたいんです。だって、おじいちゃんの夢でもあるから……」
「…………」
それを聞いたリタは、急いでノートに自分の思いを書きなぐった。
『絶対なれるよ、騎士』
「リタ……」
『だからこれからも一緒に頑張ろう?』
こくこくと力強く頷くリタを見て、アレクシスはゆっくりと目を細めた。
「ごめんね。リタの方が不安なのに、こんな話して……」
リタはふるふると首を振る。
だがふと思い出すと、次のページにまたもせわしなく文字を書いた。
『お願いがあるんだけど』
「うん。何?」
『ローラとパートナーになってもらえないかな?』
アレクシスはそれをじっと読み込んだあと、少しだけ寂しそうな顔をした。
「僕は……リタがいい」
『私だって助けたいよ。でも、この状態じゃ逆に邪魔になってしまうから』
「でも……」
『ローラ、今とっても頑張っているの。でも次のテスト、騎士候補なしではクリアできない課題かもしれない。だからお願い』
手が痛くなるほど書き続け、リタはばっとノートを開いてアレクシスに向ける。
アレクシスはしばし沈黙していたが、やがて深いため息を吐き出した。
「いいよ。リタがそこまで言うなら」
「……!」
「でも、君をパートナーにしたい気持ちは、いつまでも変わらないから」
ようやくはにかんだアレクシスを前に、リタは勢いよく頭を下げるのだった。
・
・
・
夕刻。
図書館にいたリタは、閉館の鐘を聞いてようやく顔を上げた。
(今日も、役に立ちそうな情報はなかったな……)
声が出なくなってから、毎日のように治療法を調べている。
だが喉の炎症を抑え、声帯の調子を改善する治癒魔法などはあるものの、原因の分からない失声症に関しては現状、心理的負荷を軽減するカウンセリングのみが有効とされていた。
(魔法が分かったところで、使えないとどうしようもないけど……)
ローラとアレクシスにはつとめて明るく返したものの、いまだ治る見込みはない。
もしこのまま、永遠に魔法が使えなくなったら――
「…………」
本を棚に戻し、図書館の外へ出る。
回廊はすっかり暗くなっており、リタは真っ白な息を吐き出した。
(寒い……ローブ、着てくれば良かったな……)
ごしごしと両腕をさすりながら、急ぎ足で学生寮へと急ぐ。
だがその途中で「おい」と呼び止められた。
「こんなところにいたのか、探したんだぞ」
「!」
現れたのは外套をまとったランスロットだった。
中庭から回廊に足を踏み入れると、そのままガタガタと震えるリタの前に立つ。
「なんだ、ローブ忘れたのか?」
こくこくっと素早く頷くと、彼は「はあ」とあきれ顔で額を押さえた。
だがすぐに自身が着ていた外套を脱ぐと、リタの両肩にふわりと掛けてくれる。ランスロットの優しい熱がじんわりと上半身を包み込んだ。
「とりあえずこれ着てろ。このうえ風邪まで引いたらどうするつもりだ」
「…………」
「まあいい。それより喉はどうだ?」
リタが静かにかぶりを振ると、苦々しく「そうか」とだけ応じた。
「明後日には新しい薬が届く。王都の有名な歌手を何人も治してきたという、名医に処方させたものだ。それを飲めばきっと元通りになるだろう」
「…………」
「もしそれがダメでも、白の魔女様の弟子だという人物と連絡が取れた。それ以外にも、治癒魔法に特化した者の情報を集めている。冬季休暇に入れば、泊まり込みでカウンセリングに取り組むことも出来るだろう。だから――」
つらつらと語るランスロットを前に、リタはつい苦笑する。
くいくい、と彼の制服の袖を引っぱると、ごそごそとノートに文字を書き始めた。