第六章 失われた魔法
「おそらく、心因性のものでしょう」
「…………」
医務室の椅子に座っていたリタは、向かいにいたイザベラの言葉を聞いて俯いた。
「精密検査では異常なし。声帯にも傷一つ付いていない。扁桃腺の腫れ、気道狭窄の傾向もみられない。つまり病気や怪我によるものではないということです」
「…………」
「『魔女』の中には時折、こうした症状が現れる者がいます。周囲からの強いプレッシャー、耐えがたいストレスを感じた時に発症し、魔法が使えなくなるのです」
それを聞いたリタは手元のノートに文字を書く。
『どうすれば治るのですか?』
「……はっきりとした治療法は確立されていません。声が出なくなる原因は、それぞれによって違いますから」
イザベラはそう言うと、机の上にあった資料を手に取った。
「とりあえず、しばらく実習は免除とします。ただし単元ごとに小テストを設けるので、授業はきちんと聞いておくように。騎士科との合同授業はしばらくありませんが……一カ月後、学期末の実技テストが行われます。もし、その時までに治らないようであれば……」
「…………」
週二回の学内カウンセリングを言い渡され、リタは医務室をあとにする。
廊下に出るとランスロットにアレクシス、ローラが駆け寄ってきた。
「リ、リタ、どうだった?」
『心因性のものみたい』
「心因性……」
蒼白になるローラに続き、アレクシスが不安そうに尋ねる。
「な、治るんだよね? まさかずっとそのままなんてことは……」
『魔女にはたまにあることらしいけど、いつ治るかは……』
「そんな……」
どよんと落ち込む二人をよそに、ランスロットはいつもの様子で両腕を組んだ。
「あまり深刻に考えるな。治す方法は必ずある」
「…………」
「今、うちの伝手を使って『白の魔女』様に連絡を取っている。治癒魔法ではこの国で右に出る者はいない御方だ。だから安心しろ」
『白の魔女』という単語を聞き、ローラとアレクシスはぱあっと破顔した。
「良かった! それならきっと治りますね」
「リタ、大丈夫だよ。だから今はゆっくり休んで」
『ありがとう二人とも。ランスロットも』
リタの書いた文字を見て、ローラとアレクシスが眉尻を下げる。
ランスロットとも目が合い、リタは「えへへ」と困ったようにはにかんだ。
(ごめんねランスロット……。デートから逃げ出しただけじゃなく、こんな形で迷惑をかけることになるなんて……)
とにかく早く、魔法が使えるようにならなくては。
リタは落ち込みそうになる心を、必死に奮い立たせるのだった。
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数日後。
ランスロットに呼び出されたリタは愕然とした。
『いつ会えるか、分からない?』
「……すまない。『白の魔女』様はそのお力を求めて訪れる多くの病人・怪我人に対して、隔たりなく治療を施されている。そこに身分や家柄はいっさい関係なく、公爵家だからといって特例は認められない、と返事があったらしい」
「…………」
「俺がうかつだった。少し考えれば分かることだったのに……」
ぎりっと奥歯を噛みしめるランスロットを見て、リタはすばやく文字を書く。
『連絡をとってくれただけでありがたいよ』
「……今、他の治癒魔法に詳しい魔女を当たっている。治す方法は絶対にある。お前は何も心配しなくていい。俺に任せておけ」
頼もしい彼の口ぶりに感謝しつつ、リタは懸命に筆記具を走らせた。
『ありがとう。私も、なんとか治せないか頑張ってみる』
「ああ」
『ただその、私とのパートナーは解消した方がいいと思うの』
突然のリタからの申し出に、ランスロットは眉間に深い縦皺を刻み込んだ。
「どういう意味だ?」
『来月、学期末の実技テストがあるって先生が言ってた。もしそれまでに治らなかったら、ランスロットの成績に影響しちゃうから』
「俺を見くびるな。お前がいなくても、一人で何とかしてみせる」
『でも、どんな課題が出るか分からないし――』
なおも書き綴ろうとするリタの手首を、ランスロットがすばやく摑んだ。
顔を上げると、なぜかひどく悲しそうな顔が目に飛び込んでくる。
(ランスロット……?)
「お前は俺のことなんて心配するな。自分が治ることだけを考えろ」
「…………」
押し黙っていると、ランスロットからぐしゃぐしゃっと乱暴に頭を撫でられる。
リタは乱れた髪を直しながら、それ以上何も言えなくなるのだった。
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しばらくして、本格的にリタの治療が始まった。
イザベラとのカウンセリング、ローラが調合してくれた心が休まるお香、アレクシスが差し入れしてくれる飴や薬草、ランスロットが手配した治癒魔法の使い手――
だがどれも目覚ましい効果は得られなかった。
一方、日々の授業にはちゃんと出席せねばならず、魔法が使えなくなったことを知ったクラスメイトたちは、遠くからリタをあざ笑った。
「ランスロット様がいないと何にも出来ないくせに、調子に乗るのがいけないのよ!」
「いつまでパートナーでいるつもり? 魔法が使えないんだから、とっとと解消した方がいいと思うけどー」
「ていうか、声が出ないなんて『魔女』失格じゃない?」
「あーあ、そのまま退学してくれないかなあ」
「…………」
教室内だからか、ランスロットの目がないと高をくくっているのだろう。
きゃははは、と耳障りな笑い声が響くが、リタは無言で教科書を鞄にしまっていく。
するとそれを見ていたローラが、ばんっと机を叩いて立ち上がった。
「や、やめてください……!」
「なっ、なによ……」
「だ、誰だって、こうなる可能性はあるって、イザベラ先生が言ってました……。魔女ならこんな時、仲間を助けられる方法を探すものじゃないんですか⁉」
普段おとなしいローラの反撃に、クラスメイトたちは一気に気色ばむ。
「ローラぁ、あんた言うようになったじゃない? 暴力事件起こして、一時期は謹慎食らってたくせに」
「そ、それは……」
「騎士候補たちが怖がって、まだ誰もパートナー引き受けてくれないんでしょ?」
「……っ」
「落ちこぼれ同士、せいぜい仲良く落第すればぁ」
悔しさからか、ローラの瞳の表面にみるみる涙の膜が広がっていく。
それを見たリタは、彼女の制服の袖をそっと引っ張った。
『私なら大丈夫』
「リタ……」
『ほら、早く行きましょう』
鼻の先で笑うクラスメイトたちを無視し、二人はさっさと教室の外に出る。学生寮に続く回廊を歩いていると、後ろにいたローラがぽつりとつぶやいた。
「ごめんなさい。あたし、何も出来なくて……」
『そんなことないわ。お香、とっても良い匂いだった』
「…………」
すっかり塞ぎ込んでしまったローラに向けて、リタはすらすらとノートに文字を書く。
『そういえば、私があげた手袋は使ってる?』
「う、うん! でもその……なかなか上手く炎が固定できなくて……」
「…………」
それを聞いたリタはぴたりと足を止め、なにやら熱心に書き始めた。
ローラがきょとんとした顔で待っていると、やがて非常に複雑な魔法陣が差し出される。
「これは……」
『私なりに、ローラに合ったものを考えてみたの。今はちょっと難しいかもしれないけれど、何回も練習すれば、きっと使えるようになると思って』
「リタ……」
ローラは魔法陣が描かれたページを受け取ると、ようやくぼろっと涙を零した。
「絶対、絶対、治しましょう! そして一緒に来期に進むんです!」
『ええ、もちろん』
力強く書かれたリタの文字を見て、ローラはまた少し泣いていた。





