第五章 3
「が、頑張りますぅ……」
「と、とりあえず、体が回復してからね。私もどうすれば安全に付与できるようになるか、考えておくから」
わんわんと泣き濡れるローラを、リタはあらためてよしよしと慰める。
傷が開くといけないとベッドに寝かせたところで、ふと彼女の勉強机に目を向けた。そこには大量の問題集が積み上げられている。
「ローラ、あの問題集は?」
「イザベラ先生が謹慎中でも授業に遅れないようにって……」
(おお……さすが……)
おそるおそる近づき、そのぶ厚さを確かめる。
するとその脇に、見覚えのある花柄の包み紙を発見した。
「もしかしてこれ、アニス先生から貰った飴?」
「あ、うん。可愛いから取っておいたんだ。リタも貰ったの? 美味しかったよね」
「そ、そうね……」
まさか失くしたとはいえず、リタは微妙に目をそらす。
「アニス先生って優しいよね。私が病室に運ばれた時も誰より先に来てくれたって」
「へえ、そうなんだ」
「うん。逆にイザベラ先生は、ちょっと怖くて苦手かも……」
(うーむ……分からなくはないけど……)
確かに言動が厳しい部分が目につくが、リタからすれば実に優秀な『魔女』だ。魔力のコントロール、知識、指導、どれをとっても申し分ない。
するとローラが何かを思い出したように首を傾げた。
「そういえば……合同授業の前日、イザベラ先生の研究室に呼ばれたの」
「呼ばれた?」
「そう。授業中、全然集中できてないってお説教されちゃって。何かあるのかって聞かれたけど、その時はその……バレて怒られるのが怖くて、言えなくて」
「…………」
「黙っていたらそれ以上は何も聞かれなかったんだけど……。でもその日、部屋に帰ってからずっと頭が痛かったんだよね……」
(イザベラがローラと個人的に面談していた……?)
普通に考えれば、担任として生徒の体調を気遣っただけだろう。
だがリタはなぜか――不審な気持ちを拭えないのであった。
・
・
・
そんなもやもやとした気持ちのまま、ついに運命の日が訪れてしまった。頭からフードをかぶったリタは、水しぶきをあげる大噴水をじっと見つめる。
(くっ……どうして私はこんなところに……)
今日はランスロットとのデートの日。
ただ元を辿れば、ランスロットからの一方的なお誘いだ。
無視して行かないという選択肢もあったのだが――
(だってあんなに期待されたら、なけなしの良心が痛むってもんでしょうよ!)
・
・
・
約束の日が近づくにつれ、ランスロットは目に見えて挙動不審になった。自主練習中もどこか上の空で、しきりにため息をついている。
「はあ……ヴィクトリア様、どんなお姿で来るんだろう……」
「なあ、いったいどんな話をすればいいと思う? やはり魔法についてか? 勇者との戦いの話なんかも聞いて大丈夫だろうか? 恋人の有無なんかはプライベート過ぎてまずいよな?」
「くっ……ダメだ……。ヴィクトリア様が美しすぎて、目を見て話せる気がしない……」
「やっぱり俺だけでは無理な気がしてきた……。頼むリタ、当日付き添って――」
「――絶対に嫌です‼」
最初は適当に聞き流していたリタだったが、約束の日が近づくにつれ、なぜか自分まで焦りを感じるようになってしまった。
結果こうして、ランスロットの様子を見にきてしまったのだ。
・
・
・
(ま、まあ、意外とさっさと諦めて帰るかもしれないし?)
うんうん、と言い聞かせるようにリタは頷く。
するとまだだいぶ時間があるというのに、早々にランスロットが姿を現した。
なぜか学園の制服ではなく、これからパーティーに参加するかのような完璧な正装をまとっている。そのうえ手には――
(なんで薔薇の花束⁉ しかもあんなに大きな……)
両腕から溢れ出んばかりの立派な深紅の薔薇たち。青いリボンで一つに巻いたそれを、ランスロットは宝物のように抱えていた。
当然、ものすごーく目立っている。
(め、めちゃくちゃ周りから見られてる……!)
注目を浴びるのが大嫌いなリタからすれば、とても耐えられない恥ずかしさだ。
だがランスロットは何一つ動じる様子を見せず、背筋をまっすぐ伸ばして堂々とその場に立っていた。
その姿が、彼のすぐ背後にある勇者像と重なってしまう。
(どうして? だって私が来るかどうかなんて、分からないのに……)
やがて約束の九時になり、大噴水の周りにはさらに人が増えていく。
ちらっと横見する者、いったい何がと色めき立つ者、変な奴がいるといぶかしむ者――種種雑多な視線がランスロットに集中するも、彼はヴィクトリアを待ち続けている。
(も、もう帰ってよ……。来なかったらどうするつもりなの? たしかにメモ書きには「いつまでも」って書いてたけど……。こんな恥ずかしい思い、する必要ないのに……)
一時間が過ぎ、二時間が経過してもランスロットは動かない。
そのうちリタの背後から、ひそひそとした女性の声が聞こえてきた。
「ねー、あの人いったい何だろうね?」
「分かんない。今朝からずっといるのよ」
「待ち合わせかな? それにしちゃすごい格好」
「めちゃくちゃ目立ってるけど、恥ずかしくないのかしら」
(……っ!)
それを耳にした途端、リタはまるで自分が非難されたかのように顔が熱くなった。
もうだめだ。
これ以上、彼を衆人環視の中に晒したくない。
だが今出て行けば、デートすることに――
(さ、三時間も遅刻してくれば、いくらランスロットでも怒るでしょうし⁉ そうしたらきっと私に幻滅して、デートだなんだとはならないはず‼)
リタは「ふうーっ」と大きく息を吐き出すと、自身の変身魔法を解いた。そのまま勇気を振り絞って、ランスロットのもとに歩み寄る。
ヴィクトリアだと気づいた途端、彼はすぐさま破顔した。
「ヴィクトリア様、来てくださったんですね!」
「ええ、まあ……」
「ありがとうございます! う、嬉しいです……」
ランスロットはそのまま赤面し、その場で控えめに俯いた。
なんとも居心地の悪い空気に包まれながら、リタはつい確認してしまう。
「ずっとここで待っていたんですか?」
「もちろんです。いつまでも、と申し上げましたから」
「……私が来ない、とは考えなかったんですか?」
思ったより意地の悪い聞き方になってしまい、リタはまずいと顔をしかめる。
だがランスロットは小さく笑ったあと、静かに首を振った。
「たとえ来られなかったとしても、あなたを待っているというだけで、ぼくにとっては夢のような時間でした。それになかば無理やりにお誘いしたものですし……。でも今日、あなたはこうして来てくださった。本当に感謝しています」
(くっ……このリタとの扱いの差よ……)
まるで聖人君子のようなランスロットだが、一昨日くらいに「なあ! 来てくれなかったらどうしよう‼」ともんどりうつ姿や「どうして俺はあんな無理やりデートの約束なんかしてしまったんだ……。嫌われていたらどうしよう……」と絶望する姿を見ているため、リタとしては苦虫を噛み潰すような顔しか出来ない。
(遅刻で嫌われ作戦は失敗ね……。もうこうなれば、ちゃんと一回デートしてお断りをするしかないか……)
そんなことを考えていると、その眼前にそっと花束が差し出される。
「すみません、これ……。今日来てくださったお礼と、ぼくからの気持ちです」
「あ……ありがとうございます」
「い、いえ‼ その、以前文献で、薔薇がお好きだと読んだことがあって……」
絞り出すようにそう言うと、ランスロットは軽く握った片手を口元にあて、再び薔薇と同じくらい真っ赤になってしまった。
普段の彼からは考えられない初心な態度に、リタは薔薇の花束を抱えたまま、だらだらと嫌な汗をかいてしまう。
恋は人をここまでおかしくさせるのか――とリタが動揺していると、やがてランスロットがこほんと咳払いした。
「し、失礼いたしました。それであの、今日の予定なのですが」
「それなんですけど、私、あまり人目の多い場所は……」
「もちろん理解しております。ですので今日は、ぼくの邸でゆっくり過ごすのはいかがかと」
(私が提案しなかったら、泊りがけの旅行になっていたくせに……)
表面上は完璧なデートプラン。だがその裏側をすべて知っているリタは、なんとも言えない気持ちで馬車へと乗り込む。
馬車は貴族街の方へと向かって行き、一際大きな家の前で止まった。
「ヴィクトリア様、僭越ながらお手を」
恭しくエスコートされ、地面へと降り立つ。
目の前に現れたのは、王宮の一部かと勘違いしてしまいそうほど豪華な邸宅だった。
中に招かれるのかと思いきや、ランスロットはその巨大な玄関扉ではなく、建物の奥へとリタを案内する。
「邸の中は使用人たちの目も多いので、こちらが良いかと思いまして」
「ここは……」
「我が家自慢の庭です」