第五章 2
(はあ……恥ずかしかった……)
なんとか泣き止んだリタは、午後の授業に参加していた。
今日は副担任のアニスによる『使い魔』講座だ。
「使い魔は二種類あって、それぞれ契約の種類が異なるの。例えば――えいっ!」
教壇に立っていたアニスが、可愛らしい杖を小さく振る。
するとその足元に、真っ黒い犬が現れた。
「わーっ、可愛いー!」
「これは先生の魔力をもとに生み出された『分身型』ね。分身型は使役する魔女の魔力が継続する限り、何回でも再構築することが出来るの。その代わり、すべての能力が魔女の力に左右されるので、慣れていない魔女だとまともに動かすことも難しいわ」
とたたたっと机の間を駆けまわる黒い犬の姿に、生徒たちは興味津々だ。
「使い魔は魔力を大量に消費するから、実際にやるのは後期の授業になります。でも学期末テストには出すから、みんなこれから言うことをしっかり覚えておいてね~」
「アニス先生、分身型以外には何があるんですか?」
「うーん、もう一つは『主従型』っていうんだけど……。実はこっちの方法は、今じゃあんまり使われていないのよね。昔の古ぅーい魔女が、猫とかカラスとかを小さい時から育て上げて、魔法で契約を結んで使い魔にするんだけど……。敵から攻撃されたらそれで終わりだし、育てても懐かなかったりするから……」
(私は古ぅーい魔女だったのね……)
可愛がっていた二匹の猫たちのことを懐かしみつつ、リタはせっせと板書を取る。
やがて授業終わりを伝える鐘が鳴り、アニスが「今日はここまでー」と教本を閉じた。生徒たちが次の教室に行くのを見送りつつ、残っていたリタに声をかける。
「ああ、リタちゃん」
「はい?」
「ローラちゃん、ようやく生徒の面会オッケーになったらしいわよ」
「本当ですか⁉」
「うん。今は寮の部屋にいるらしいから、放課後でにも会いに行ってあげて」
「ありがとうございます!」
ひらひらと手を振るアニスに頭を下げ、リタはそのまま窓の外を見る。
(ローラ……大丈夫かしら)
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放課後。
リタはさっそくローラの部屋を訪れた。
ベッドで横になっていたローラが、リタの訪問に気づいて慌てて体を起こす。
「ローラ、具合はどう?」
「リタさん……! はい、もうだいぶ良くなりました」
「良かった……」
件の合同授業のあと、ローラは医務室へと運ばれた。
ランスロットからの打撃は大したものではなかったが、際限なく拳をふるったせいで、腕や手の筋繊維がずたずたになっていたらしい。
そのうえ炎の付与効果による熱傷が激しく、しばらく治療が必要となったのだ。
「あらためて……本当に大変だったわね」
「はい……。すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いいのよ。それより無事で安心したわ」
当初はローラによる、パートナーへの暴行傷害、器物破損、および危険魔法の使用(炎の効果付与は調整が難しいため、直接人体にしてはならないとされている)のみが問題視されていた。
だがランスロットが「騎士候補が先に暴力を振るった」と証言。
さらにローラの体から多数の傷やあざが見つかったことで、騎士候補が日常的に暴力行為を働いていたことが判明。教師陣と倫理委員会が一時騒然となった。
結果、騎士候補は退学。
ローラは被害者であったということもあり、二週間の謹慎を言い渡された。
「でもごめんなさい、その、あなたのパートナーは……」
「……いいんです。きっともう、あたしも限界だったから……」
俯くローラを前に、リタは歯がゆい思いで唇を噛みしめる。
だがここに来た目的を忘れてはならない、と彼女への質問を開始した。
「それでねローラ、あの時のことをもう一度聞きたいんだけど」
「あの時、ですか?」
「あなたはあの時、完全に我を忘れているように見えた。いったい何が起きていたの?」
「…………」
ローラはしばし考え込んだのち、ぽつりぽつりと記憶を手繰る。
「あの時はたしか、パートナーに殴られて、すごく、痛くて……。でも我慢しなきゃって目を瞑っていたら、どこかから声が聞こえてきて……」
「声?」
「はい。知らない誰かの声がわんわん頭の中で響いてて。なんて言っているかは聞き取れなかったんですけど、何かに誘われているような……。でも、すごく責められているような嫌な感じもあって……。とにかく逃げ出したいって思って……」
(精神作用系の魔法? でも周りにそんな気配はなかった……)
人の心を操る魔法は難しいが、絶対に使えないわけではない。
ただ魔女側の高い技術、かけられる側との信頼関係、魔法との相性、心理状態といった複雑な条件が揃わなければならないうえ、成功率がおそろしく低いというだけだ。
「無理やり体を動かしていたら、あんなことに……」
「もしかして、肉体操作もされていた可能性はない? あの時のあなたの動きは、普段からは考えられないほど俊敏で強かったし……」
「あ、あれはその……ちょっと素を出しただけというか」
「素?」
「実はあたし、魔法より格闘の方が得意なんです」
「……格闘が得意?」
聞けばローラの一族は、東国から移住してきた拳闘士一家なのだそうだ。鍛え上げた己の肉体だけで戦う、根っからの戦闘民族。
「物心ついたときから、おじいちゃんやお父さんたちに交じって修行してました。でも一年前の魔力測定で魔力があることが分かって、魔女になるために、ここに……」
「そうだったのね……」
「でも教科書も授業も、難しすぎて全然分かんなくて……。図書館で調べようとしても、そもそも書かれていることが分かんなかったりで……。そのうえ騎士候補とパートナーを組んで、その人を助けなきゃいけないって言われて……」
「……それで、いっぱいいっぱいになっちゃったのね」
「はい……」
いつの間にかローラの目からは、大粒の涙が零れていた。
ベッドに転がる透明な水粒を見て、リタはよしよしと彼女の頭を撫でる。
「よく頑張ったわね」
「リ……リタ、さん……」
ローラはさらにぶわっと涙を溢れさせると、リタに向かって抱きついた。
まるで大きな子どものようなローラをあやしながら、ヴィクトリア時代に育てていた養子のことを思い出す。
(そういえば、あの子もこんな髪の色だったわ……。やたら負けん気が強くて、それなのに泣き虫で……エヴァンシー、今もまだどこかで頑張っているのかしら?)
やがて落ち着いたのか、ローラがしゃくり上げながらようやく体を離した。
「す、すみません、あたし……」
「気にしないで。それより、もし今度授業で分からないことがあったら、私と一緒に勉強しない? 私もほら、成績悪いし。一人でやるより二人でやる方がいいかも」
「い、いいんですか⁉」
「もちろん。そうと決まれば、さん付けはナシね」
「は、はい……。ええと、リタ?」
「うん!」
リタが嬉しそうに答えると、ローラは安心したように笑った。
それを見てリタは、もう一つ言うべきことを思い出す。
「そうだ、ローラが使っていた魔法――あの自分の拳に炎を付与させるやつ」
「あ、あれって、やっちゃダメだったんですよね……?」
「うん。何の防護もせずにかけちゃうと、どんなに鍛えた人でも肌を深く焼いてしまうから。でも素肌じゃなくて、グローブとか手袋をつけていたら大丈夫かなと思って――」
そう言うとリタは、黒い革手袋を取り出した。
「ランスロットに火に強い素材を聞いて探してきたの。これなら炎を宿らせても、ローラの手が火傷を負うことはないと思うわ」
「あ、ありがとうございます! でも、どうしてここまで……」
「あの時はたしかにびっくりしたけど、よく考えたらとても有効な魔法の使い方だと思ったのよね。実際、剣に付与させる戦い方はすでにあるし。だから上手く使いこなすことさえ出来れば、あなたの唯一無二の武器になるかもって考えたの」
「あたしの……武器……」
手袋を受け取ったローラは、おそるおそるその表面をなぞる。
やがて、ぶわわっと再び涙腺を決壊させた。