第五章 絶体絶命のデート
翌日、昼休み。
リタは裏庭に呼び出されていた。
「――で、どうすればいいと思う?」
(知らんがな……)
真剣な表情のランスロットを前に、リタは心の底から「帰りたい」と諦観した。冬が近づいてきたためか、ローブを羽織っていても少し肌寒い。
「頼むから真剣に考えてくれ! このデートが俺の一生を左右するかもしれないんだぞ!」
「いやまあ、普通でいいんじゃないですかね……」
「馬鹿、相手はあの、伝説の魔女ヴィクトリア様だぞ⁉ ありきたりで凡庸なデートなんかして、つまらない男だと思われたらどうする!」
(この時点でだいぶ面白い人になってますけどね……)
相談の内容は他でもない。
ヴィクトリアとのデートだ。
もう二度と、絶対に、何があってもランスロットの前に素の姿で現れないと誓っていたのに、まさに最悪のタイミングで見つかってしまった。
(逃げようとしたら、メモを押しつけられるし……)
今もリタのポケットには、ランスロットが書いた『エルディスの月、第二休養日、午前九時、王都の大噴水の前でお待ちしております(いつまでも)』という紙がしまわれている。
「王都観光がやはり定石か? しかしヴィクトリア様は長く王宮に住まわれていたから、すでにあらかた行き尽くしているかもしれないな……。ならばどこか景色の良い――ケイガンダル雪原かラーシア砂漠はどうだろう? あと少々時間はかかるが、国境沿いにあるムソンの湖もいいかもしれん。馬車で片道二週間ほどかかるが」
(どこまで連れてく気⁉)
まさか泊りがけのデートを想定しているとは思わなかった。
本気で準備し始めたらまずいと、リタはさりげなく方向転換を図る。
「で、でも魔女様は以前、自分のことを秘密にしてほしいって言ってましたよね? 王都巡りとか馬車での長距離移動は目立ってしまうのでは……」
「む。そうか」
「来るか分かりませんけど、ご自宅に招いてこっそりーくらいの方がいいんじゃないですかね? 来るか分かりませんけど」
「自宅? 俺の家か」
「は、はい。それがいちばん、人目に触れる機会は少ないかなって」
そもそも行くつもりはないのだが、と言いたくなるのをぐっとこらえ、リタは笑顔で提案する。ランスロットはしばし悩んでいるようだったが、ようやく「一理ある」と頷いた。
「たしかにあまり長い時間お連れして、疲れさせるのも良くないだろうからな」
「うんうん」
「しかし実家か……。ヴィクトリア様に楽しんでいただくには、最低でも宮廷料理人を招いてのフルコース、同時に宮廷音楽家による演奏会は必須だな……」
「うん?」
「名うての画家を呼んで、ヴィクトリア様の肖像画を描かせるのはどうだ? いや、しかし人目をはばかられておられるのにそういったことは……。最近人気のある劇作家に脚本を書かせ、舞台役者を招いて演じさせるというのもあるな。ふむ、その場合はヒロインをヴィクトリア様の当て書きにさせて、俺が騎士役というのも――」
(や、やめてー‼)
ふふふと怪しい笑いを浮かべるランスロットに対し、リタはぶんぶんと首を振る。するとランスロットが、リタの着ていたローブにふと目を止めた。
「そういえばそのローブ、学校指定のだよな?」
「え? う、うん」
「……。ヴィクトリア様がまとわれていたものと、すごく似ている気が……」
(ま、まずい……‼)
前回は運良く気づかれなかったが、今回はランスロットがちょっと冷静(?)だったせいか、顔以外の部分も観察する余裕があったらしい。
「きっ、気のせいじゃないですかね⁉ ほら、先生方も似たようなのを着ているし、そんなに特殊な形でもないですし!」
「……たしかに。まあ、もう少し丈が短かった気もするしな」
(それは身長をいじっているからです……)
だがランスロットの疑惑は止まらず、さらに「ん?」と眉根を寄せる。
「それに今考えれば、声がお前にすごく似ていた気がする」
「ソンナコトナイトオモイマスケドー」
「どっから出してんだその声」
(うっ……声帯は呪文に必要だから変えられない……)
意外と鋭いランスロットの指摘に対し、リタは適当な理屈を持ち出した。
「ほら、世界には自分と同じ顔の人が三人はいると言いますし。声なんて骨格が似ていれば、多少は近くなると思いますけど」
「骨格……」
するとランスロットは、突然リタの顔を「むぎゅっ」と片手で摑んだ。
驚きで言葉も出ないリタをよそに、そのままふにふにと両頬を押す。
「ラ、ランフロッホ……?」
「…………」
(無言止めて⁉ 恥ずかしいんですけど⁉)
ようやく満足したのか、ランスロットはぱっと手を離した。
「たしかにな。俺から言い出してなんだが……どう考えてもお前と、あの美しく聡明なヴィクトリア様が似ているはずがなかった」
(こ、こいつ……!)
今すぐ変身解いてやろうか⁉ という憤りを抑えつつ、とりあえず正体がバレることはなさそうだとリタは安堵する。
それにしても普段は色々と洞察力に長けたランスロットなのに、どうしてヴィクトリアのこととなると途端にポンコツになるのだろうか。
やがて納得したのか、ランスロットがいつになく爽やかに礼を言った。
「やはり、女性の意見を聞いておいて正解だったな」
「は、はあ……」
「ちなみに参考として聞きたいんだが、お前が今まででいちばん楽しかったデートはどんなものだったんだ?」
まさかの質問に、リタは「はあっ⁉」と声を裏返す。
「そ、そんなの、どうだっていいじゃないですか!」
「俺はそもそもデートの経験がないからな。女性側がどういったことを喜び、どういったことを嫌がるのかを知っておきたい」
「したことないんですか⁉ デート……」
「ああ。騎士になるための鍛錬が忙しくて、そんな時間はなかったからな」
(い、意外……。いやでも逆にそれっぽいかも……)
ランスロットの無言の圧に押され、リタは「うむむ」と眉根を寄せる。
だが思い出されるのは、苦い失恋の思い出ばかりだ。
「じ、実は私もなくて……」
「そうなのか? でも好きな奴くらいはいたんだろ?」
「それは、いましたけど……」
彼のことを思うと、今でも胸の奥がずきずきと痛む。
もう――三百八十年も前のことなのに。
「……振られたんです、私」
「…………」
「その人のことが好きで、なんとか役に立ちたくて、ずっと一緒にいられるよう頑張ってました。でもその人は他の人のことが好きで――だからデートなんて、したことないです」
リタの告白を聞き、ランスロットは返事に窮しているようだった。
だがこくりと息を吞み込むと、慎重に言葉を発する。
「その……悪かったな。軽率に聞いて」
「……いいえ。もう、ずっと昔のことなので」
「どれだけ時間が経ったかは関係ない。重要なのは……そのことで今もまだ、お前が傷ついているということだ」
「……!」
その言葉にリタは思わず顔を上げる。
ランスロットの青い瞳が、まっすぐこちらを見つめていた。
「俺が言ってもなんの慰めにもならないと思うが……。もし俺が、その好きな奴だったら――きっとお前の方を選ぶと思う」
「……えっ?」
「だってその、振られるまではずっとそいつと一緒にいたんだろう? 一生懸命、自分なりに努力して……。俺なら突然現れた他の女性より、いつも傍にいてくれたお前を大切にしたい――と思うだろうから……」
ぱりん、と胸の奥で何かが割れる音がした。
同時にリタの目から、大量の涙がぼろぼろと溢れだす。
(どうして……そんなこと、言ってくれるの……?)
仕方なかった。意味なんてなかった。
どうしようもなかった。
伝説の魔女だなんだと褒めそやされても、好きな人ひとり振り向かせられない自分が惨めで、ひたすらに尽くしたことが馬鹿みたいで、情けなかった。
でも誰かを恨みたいわけでもなかった。
それなのに。
どうして今になって、そんな、優しいこと――
「……ゔゔーー」
「す、すまん! だから俺が悪かった! もう何も聞かないから!」
「ぞうじゃなぐでぇーー」
「お、おい、リタ!」
珍しく慌てた様子のランスロットが、よしよしと背中を撫でてくれる。その手のひらの温かさに涙を誘われながら、リタはふと懐かしい感じを思い出していた。
(そういえば……前にも誰か、こんなふうに……)
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『――ぼくなら、ずっと一緒にいた相手を選びます』
『だから――』
時刻は夜。焚火の前。
橙色の炎に照らされた顔と、足元で揺れる小さな光の環。
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(……誰、だっけ……?)
続く言葉が思い出せず――リタはまたわんわんと泣きじゃくるのだった。