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第一章 伝説の魔女、ヴィクトリア




 深い森の中。

 多くの木々の隙間から陽光がまっすぐに差し込んでいる。

 その中でもひと際大きな木の根元に、古びた木棺が置かれていた。周囲にはつたが生い茂り、表面はところどころ苔むしている。蝶番には錆が浮かんでいた。


「…………」


 次の瞬間、静寂に満ちたその場所に「ばこっ」という打撃音が響く。

 音は棺の中から聞こえており、次第に大きくなっていた。


「……! ……‼」


 ダンダン、ドンドンドン、と激しく棺が揺れ、やがてばかんっと蓋が外れる。

 それとほぼ同時に、中にいた若い女性が勢いよく起き上がった。


「あーっ、びっくりしたー‼ まさか、つたが絡みついて開かなくなるとは……」


 無理やり引きちぎってしまった植物たちに謝りつつ、女性はそっと棺から立ち上がる。

 夜空を思わせる艶やかな黒髪。深い青色の瞳。紺色のローブの上からでも分かる、豊かな胸にくびれた腰。女性らしい、柔らかな曲線を描く体。


「この感じ、だいたい二十歳の頃に近いわね。んーっ、肩こりも腰痛もないし、手の震えもない。若返り、最高ーっ‼」


 細い手足をめいっぱいに伸ばし、甦った肉体をあらためて実感する。

 だがそこでふと、手元の視界がぼやけていることに気づいた。


「……いけない、老眼の調整までは術式に組み込んでなかったわ」


 上下の瞼を限界にまで狭めてみるが、やはり不明瞭のままだ。

 仕方なく、棺の中に手を突っ込む。

 中にはフレームがぼろぼろになった丸眼鏡があり、手慣れた様子で耳にかけた。


「とりあえずこれでっと。それにしても……」


 再度、棺の中をのぞき込む。

 その内側には、非常に複雑な魔法の術式がびっしりと刻まれていた。


「……本当に成功するとは思わなかったわ。理論上は可能だと思っていたけど、おそらく魔法史史上初の魔法だったし……」


 そこで突然、女性の腹からぐうーっと気の抜けた音が鳴った。

 途端に空腹を思い出したのか、女性はすぐに両手でお腹を押さえる。


「……まずは、何か食べようかな」


 今から森にあるものを探して調理、というのは少々面倒だ。

 女性は衣服の破れがないことを確認すると、足元にあった木の枝を適当に拾いあげた。


「風の精霊よ、どこか近くの街まで連れていってくれる?」


 するとただの木の枝が、ふわっと宙に浮かび上がった。

 ほどよい高さにまで下りてきたそれに腰かけると、女性は優雅に空へと舞い上がる。腰の下まである髪が、風でふわりとたなびいた。





 しばらくふよふよと空を進んでいくと、やがて眼下に大きな街が見え始めた。

 周囲は立派な市壁に囲まれており、中央には教会。そこを基点に、いくつかの通りが広がっている。


「すごーい、ずいぶん立派になって……」


 昔はここまでなかったのにと衝撃を受けつつ、女性は市門の近くへと降り立つ。そのまま空から壁を越えてもいいが、地上の誰かに見られたらやっかいだ。

 市場に向かう農民や行商人、教会をめざす巡礼者たちに紛れ込もうとしたところで、はたと自らの身なりをあらためる。


「あー……さすがにこのままだと良くないかな……」


 近くの茂みに隠れると、パン、と軽く手を叩く。

 杖があればもっと簡単なのだが、あれは若返りの儀式の対価として捧げてしまった。


「土と水の精霊よ――髪は可愛らしい野ウサギのように。目は朝露をたたえた葉っぱのように。顔と体は誰からも警戒されない、もろくて小さなかよわきものに」


 歌うように唱えると、そのまま両手を頭上に伸ばす。

 ぽん、ぽん、ぽん、と上から順に触れていくと、あっという間にそれぞれの部分が変化した。

 グラマラスで妖艶だった大人の女性はいなくなり、代わりに華奢でちんまりとした小動物のような少女が出現する。


「これでよし、と。ずっとかけ続けていないといけないのが難だけど……。でも万一、以前の私の姿を知っている人がいたら面倒だしね」


 丈の余った袖をまくり、少女はてててっと街道に出た。目の前を歩いていた商団の馬車にこっそり近づくと、さも一行の仲間のような顔をして歩み始める。

 案の定、役人から特にとがめられることもなく、すんなりと街へ入れた。


「さーて、なに食べようかなー」


 石で舗装された通りを散策していると、やがて街の中央にある教会の前へと出る。ちょうど教義の時間なのか、開かれた扉の向こうには多くの人がひしめいていた。

 興味を惹かれた少女が近づくと、タイミングよく奥の方で聖職者が語り始める。


『――はるか昔、この世界に冥王という恐ろしい存在が出現しました』

「……!」


 覚えのある単語を聞き、少女はそのまま教会の中に入る。

 正面に飾られていたステンドグラスには恐ろしい姿の冥王とそれに相対する二人の若者、そして一人の女性の姿が描かれていた。


『冥王は村や町を攻撃し、人々を混乱の渦に陥れました。このままでは大陸全土が冥王の支配下に置かれてしまうと危惧した当時の国王陛下は、国中から武に長けた若者を呼び集め、冥王討伐のための勇者として送り出したのです』


 だが冥王の力は強大で、多くの勇者が犠牲となった。

 しかし長い年月を経てついに、冥王を倒す者が現れたのだ。


『今からおよそ三百八十年前、勇者ディミトリ様は幼なじみである修道士シメオン様とともに旅立たれました。その後、冥王討伐にはそのお力が絶対に必要だと――偉大なる伝説の魔女・ヴィクトリア様のもとを訪れたのです』

(うっ……なんかすごい肩書きになってる……)


 ヴィクトリア、とかつての自身の名を思い出す。

 まさかその伝説の魔女が、生きてこんなところに突っ立っているなんて誰も思うまい。


(でも懐かしいな……。初めて彼らに会った時は、本当にびっくりしたもの――)


 目を瞑ると、今でもその時の光景がありありと思い出せる。

 当時、不思議な力を持った女性は『魔女』と呼ばれ恐れられていた。

 その異能さゆえに周囲からも距離を置かれ、ヴィクトリアもまた、人が立ち入ることのない深い森の奥でひっそりと暮らしていたものだ。


 だがそんな彼女のもとに、二人の男性が訪れた。

 彼らは勇者と修道士だと名乗り、一緒に冥王を倒してほしいと頼んできたのだ。



 

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