第四章 6
「いったん逃げろ! 誰か教師を呼んでこい!」
「わ、分かっ――ぎゃーっ⁉」
しかしリタが走り出そうとした瞬間、その鼻先へローラの拳が繰り出された。
すんでのところで避けたものの、代わりに打撃をくらった近くの大木に放射線状の割れ目が入り、拳に宿っていた炎がぼわっと幹全体に燃え移る。
(こ、このままじゃまずい!)
リタは転がり出るようにして距離を取ると、ローラに向けて念じた。
「――土の精霊よ、彼の者を覆い尽くせ!」
ずずん、という重々しい音とともに、石牢のような壁がせり上がる。
だがローラの四方を囲い込んだと思ったのもつかの間、彼女は拳一つでいとも簡単にそれらを破壊してしまった。炎を付与効果したことで、破壊力が倍増しているのだろう。
「う、嘘……」
全力でないとはいえ、伝説の魔女としてはなかなかショックである。
だがリタは彼女が壁の外に踏み出したところで、再び別の魔法を展開した。
「草の精霊よ、もう一回、お願い‼」
先ほどアレクシスとの実技で見せた植物のつたが、しゅるるとローラの足と腕に絡みつく。それを見たランスロットは「おい!」と驚いた顔を見せた。
「燃やされるだけじゃないのか?」
「これは水分量の多い、燃えにくい植物です」
「燃えにくい植物……」
一般的に植物は、薪や枯草など着火しそうなイメージが強い。
だが実際に燃えやすいのは乾燥などで水分量が減少していたり、脂分を多く含んでいる植物に限られるのだ。
(これで少しでも、時間稼ぎが出来れば……)
リタの思惑は功を奏し、つたはローラの炎に触れてもしばらく耐えていた。しかしローラの魔法が思った以上に強力だったのか、想定よりも早くつたが焼き切られそうだ。
(ど、どうしよう⁉ 凍らせる? 岩で固定? でもどれも私の魔法じゃ、ローラを傷つけてしまいそうで――)
すると突然、一陣の風がざっと吹き抜けた。
ランスロットが駆け出し、そのままローラのみぞおちにすばやく掌底を叩きつける。
「かはっ‼」
「ラ、ランスロット⁉」
「ちょっと気絶させるだけだ」
ローラは胃の中のものを多少吐き出し、ぐたりとランスロットにもたれかかった。彼女の背中が上下していることを確認し、ほっとしたリタだったが――その直後、背後からメリメリメリっという恐怖の音が響いてくる。
「もしかして……」
おそるおそる振り返る。
そこでは先ほどローラの攻撃を受けた大木が、真っ赤に燃えながらゆっくりと建物の方に向かって倒れているところだった。
「ぎゃーっ⁉」
リタはかつてないほどの悲鳴を上げると、急いでランスロットの方を振り返った。
「すみません! ちょっとローラと、その人お願いします!」
「あっ、おい‼」
ローラを支えたままぎょっとするランスロットを残し、リタは一目散に大木が倒れゆく先へと向かう。その途中、慌てた様子のアレクシスとすれ違った。
「リタ⁉ なんかすごい音がしたけどいったい――」
「ごめんアレクシス、この先にランスロットがいるから手を貸してあげて!」
「それはいいけど、リタは――」
「急用‼」
短くそれだけを言い残すと、リタは全力疾走する。
ようやくたどり着いた目的地――図書館の前でリタは言葉を失った。
倒壊した木が図書館の壁の一部を破壊しており、さらに地面の芝を伝ってそこら中に火が燃え広がっている。多少の水では消しきれない規模だ。
(早くしないと、本が……‼)
リタは杖を取り出すと、切っ先をずんっと地面に突き刺した。
「地の精霊よ、崩れた建物の一部を補え! 冷気の精霊よ、炎を拒絶せよ!」
一時的な守りの壁に、炎をはじき返す氷のベールをまとわせる。
だがこれは一時しのぎにしかならない。
「水の精霊よ、我が声を聞き、我が願いに応じよ――」
どこかでエリシアの「はぁーいっ!」という声が聞こえる。
杖を中心に現れた魔法陣は、以前冥獣を倒した時のものより遥かに大きかった。
「大地を潤す恵みの水、猛き炎を鎮めよ、深雨、霤――」
詠唱を終えた直後、雲一つない空から突然ざあーっと音を立てて雨が降り始める。恐ろしい勢いで燃え盛っていたローラの炎は、どす黒い煙を巻き上げながら、少しずつ薄らいでいった。
(良かった……とりあえず本たちは守れそうね)
その場でびしょぬれになりながら、リタはほっと胸を撫で下ろす。
すっかり炭化した大木を見つめると、あらためて先ほどの一件を思い出す。
(たしかにローラは炎の精霊と抜群に相性が良かった……。でも、これだけの大木を燃やしきる火力が出せるなんて……。そもそもあの時のローラは、どうみても普通じゃなかった――)
妙な胸騒ぎがして、リタは「うーん」と頭を掻く。
そこで髪の手触りが、妙にぺったりしていることに気づいた。
(しまった、また魔法が解けて……)
杖をしまい、すぐに変身魔法をかけ直そうとする。
だがその瞬間、背後から突然呼び止められた。
「――お待ちください‼」
(――っ‼)
その声の正体に気づいたリタは、思わずその場で硬直する。
案の定――ランスロットが駆け寄ってきた。
「やはり……ヴィクトリア様……」
(あああっ……)
ランスロットは倒れた巨木と土壁に覆われた図書館を見て、すぐに状況を理解する。
「もしや、これはあなたが?」
「ええと、まあ、その……」
「ありがとうございます! あの、ところでこっちに魔女候補が来ませんでしたか? 茶髪で小柄で、なんかいつもあわあわしている感じの」
(いつもあわあわってなによ!)
思わず言い返したくなったが、リタはすっと明後日の方向を指し示した。
気持ち、声のトーンだけ落としてみる。
「彼女なら、教師を呼びにあっちに行ったわ」
「そう……ですか。……良かった、てっきり一人で無茶しているのかと」
(ううむ……鋭い)
でもなんだか胸の奥が温かくなり、リタはつい小さく微笑んでしまう。
するとランスロットが勢いよく頭を下げた。
「あ、あの! せ、先日は大変、失礼いたしました……」
「えっ?」
「突然、あなた様の手を握るなど騎士の――いえ、紳士としての風上にも置けぬ行為でした。本当に申し訳ございません」
「い、いえ、別に……」
「憧れのヴィクトリア様にお会い出来たことに感激して、つい我を忘れてしまいました。そのうえあのような、み、身の丈に合わぬ申し出までしてしまい……」
(うう、調子が狂う……)
普段の自信満々、余裕綽々ぶりはどこへやら。
まるで初めて異性をダンスに誘う少年のように、耳の先まで真っ赤にしているランスロットの姿を見て、リタは若干の罪悪感すら感じてしまう。
「あの時のことは、どうか一旦、お忘れください。……騎士見習いの自分にはあまりに過ぎた願いであったと深く、深く反省しております」
彼なりに、いきなりのプロポーズは思うところがあったのだろう。
どうやら前回のようにはならなさそうだ――と安堵するのもつかの間、ランスロットはまるで騎士が忠誠を誓うかのように胸に手を当て、リタの前に恭しくひざまずいた。
「名乗り遅れました。ぼくはランスロット・バートレットと申します。生まれたその瞬間から、あなたの騎士となることを目指してきた男です」
「は、はあ……」
(三歳からさらにさかのぼってる……)
ゆっくりと顔を上げ、握手を求めるかのようにリタに向かってまっすぐ手を差し出す。その体勢のまま、とんでもないことを口にした。
「よくよく考えてみれば、出会ったその日に結婚を申し込むというのは、あまりに不誠実すぎました。ですのでまずは、ぼくとデートしていただけないでしょうか⁉ そしてもう一度あらためて、プロポーズをする機会をいただきたく‼」
「なんで⁉」
さっきの反省どこいった、と言いたくなるのをぐっとこらえ――
リタはきらきらした瞳で見つめてくるランスロットを前に、ただただ曖昧に笑うことしか出来なかった。