第四章 4
『そういえば、みんなは冥獣って知ってる?』
『めーじゅー?』
『ほら、むかーし冥王がこの世界にいた頃、怖い敵がいっぱい……』
王都で見かけた冥獣について問いかけるも、それぞれ微妙な反応だ。
『名前だけは聞いたことはありますが、ただの突然変異なのでは?』
『でも特徴がすごく似ていたのよね。それに普通の動物とは思えない感じだったし』
『ではやはり冥王の影響でしょうか。どこかで冥府に繋がる扉が開いて、そこから瘴気が漏れ出したとか……』
『もしかして、冥王が復活しようとしているの? やだーっ』
『冥府の動向は分かりません。ですがあれだけの存在が移動すれば、さすがにわたしどもも気づきます。そういった意味では、まだ冥王がこちらの世界に来ている様子はないかと』
(うーん……とりあえず様子見かな……)
精霊たちにお礼を言って別れたあと、リタはイザベラの研究室へと向かう。するとその途中、建物の陰から男性の大きな罵倒が聞こえてきた。
(な、何⁉)
回り道しようにもそこを通らねば実習棟に行くことが出来ず、リタはおそるおそる声のした現場へと近づく。
そこにいたのは一組の男女。男子は騎士科の一年生。
そして女子は、先ほどの授業で魔法陣を燃やし尽くしたローラ・エマシーだった。
「おい、何回言ったら分かるんだ! ちゃんと俺の言う通りにしろ‼」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……‼ 次はもっと、頑張るから……」
「チッ……ビリから二番目のお前をパートナーとして拾ってやったんだ。噂じゃ、もうすぐ合同授業もある。その時恥かかせたら――分かってんだろうな?」
「は、はい……」
(こ、怖ぁ‥…)
どうやらパートナーを組んでいるらしい――ということは分かったが、それにしたってこの一方的な上下関係感は正しいのだろうか。
リタがはらはらと動向を見守っていると、やがて男子の方が苛ついた態度で離れていった。戻ってこないのを確認すると、リタは残されたローラの元に駆け寄る。
「あ、あのー……大丈夫ですか?」
「あなたは……ええと、リタ、さん?」
「はい。えっと、別に盗み聞ぎしていたわけではなくて、たまたま通りがかっただけなんですけど……その、だ、大丈夫ですか?」
二回も大丈夫かと聞いてしまった、とリタは一瞬焦る。
だが真意は伝わったらしく、ローラはひどく落ち込んだ様子で俯いた。
「あたしがいけないんです。才能が全然なくて……。魔女ならもっと、騎士様をサポート出来ないといけないのに……」
「……あなたはさっきの授業で、とても素晴らしい火の精霊への適性を見せていたわ。才能がないなんて思えないけど」
「あれは……。あたしの家では代々、火の精霊様を崇めてきたんです。多分そのせいで……。あたし自身には魔法を扱うだけの器量なんて、とても……」
「…………」
大きな瞳に涙をいっぱい滲ませていたローラだったが、やがてぐいっと目元を拭うと、勢いよく立ち上がった。
「すみません、恥ずかしいところをお見せして」
「い、いえ……」
「これからまた練習しないといけないんで。失礼します!」
そう言うとローラはリタに頭を下げ、男子が向かったのとは反対方向にいなくなった。リタはそれを見て「うーん」と首を傾げる。
(本当に……大丈夫かしら?)
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その後もリタは、パートナーに叱責されるローラの姿をたびたび目撃した。練習も夜遅くまでしているのか、顔を合わせるたびにやつれていっている気がする。
おまけに――
「ローラ、その傷……」
「これはその、ちょっと転んじゃって……」
ある日ローラが、頬に大きなガーゼを貼ってきたことがあった。翌日は足、その次の日は腕にと、日を追うごとに別の場所に包帯が巻かれていく。
「やっぱり無理しない方が……。イザベラ先生に相談してみたら?」
「だっ、大丈夫です! ちょっと魔法に失敗しただけで」
「でも……」
「ほ、本当に、なんでもない、ので……」
「…………」
本人が平気だという以上、リタが騒ぎ回るわけにもいかない。
授業にもあまり集中出来ていないらしく、イザベラから注意される回数も増えていた。
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そして二週間が経過した頃、初めての合同授業が開催された。
隣に立ったランスロットが「ふっ」と体の前で腕を組む。
「やっと来たのか、制服」
「はい! その節は大変お世話になりました」
「礼はいい。何度も言うが、お前は俺のパートナーだからな。これくらいは当然だ」
「はは……。ところで、制服以外にも大量のドレスが届いたんですが……」
「どうせ必要になるだろ? 学内パーティーで」
(そんなのあるんだ……)
クローゼットがキラキラしいドレスでいっぱいになってしまった光景を思い出し、リタは疲れた笑いを浮かべる。
ヴィクトリア時代にも数えきれないほど舞踏会に誘われたが、何かにつけてすべて断っていた。出来れば全力で回避したい。
(でも新しい制服はちょっと嬉しいかも……)
ぶかぶかだったおさがりとは違って、小柄なリタにもぴったりだ。
同梱されていた実技用のローブを羽織り、リタはその場でくるりと一回転する。
「そういえばすごいんですよこれ。この羽のような軽さ! こんな着心地のいいローブ、今まで着たことがないです!」
「喜んでもらえて何よりだ。それより、杖の方はいいのか?」
「もちろん!」
呆れたように笑うランスロットに向けて、リタはドヤ顔で新しい杖を取り出す。こちらもまた、制服と同時に届いたものだ。
(いやー自分で作らない杖なんて、どうなることかと思っていたけど……)
あとから知ったことだが今の時代、自分で杖を作る魔女は『時代遅れ』らしい。
それを専門とした魔女が彫り上げ、加工調整することがほとんどらしく、値段によって質も精度もピンキリ。今回仕立ててもらったのは、素材も装飾も最高級の逸品である。
(借りていた杖を壊した時は、イザベラ先生からめちゃくちゃ怒られたけど……。この杖なら魔力の出力調整がしやすいから、魔法も上手く調整できるかも!)
そこでリタは、会場の隅にいるローラの姿を発見した。
パートナーの騎士候補とともにいた彼女は、怯えた様子で俯いている。
(うーん……やっぱり具合悪そう……)
やがて騎士科の担任が、大きく声を張り上げる。
「それではこれより、魔女科との合同練習を開始する! 今回は、魔法で作製された獣をターゲットとして使用。各々の持てる技を駆使して、三分以内に倒せたペアのみを合格とする。それではまず、ランスロット、リタ!」
「はい」
「は、はいっ!」
いきなり指名され、リタはびくりと飛び上がる。
開始位置に向かう間、ランスロットがひそっと話しかけてきた。
「お前、土の精霊との相性は?」
「まあ、悪くはないと思いますけど……」
「あの獣、足の筋肉が発達している。おそらく見た目以上の俊敏性や回避能力を付与されているんだろう」
「な、なるほど……」
「土でなくてもいい。あの獣の動きを封じることは出来るか?」
「や、やってみます!」
二人が獣と向き合った直後、担任の号令がこだました。
「それでは、始め‼」
「――土の精霊よ、彼の者の周りを覆い尽くせ!」
担任の号令とほぼ同時に、リタが魔法を詠唱する。
新しい杖の効果は絶大で、想定していた規模そのままの土の壁が出現した。
「よし、これで――」
だが獣は一瞬だけたじろいだものの、壁の上部が開いていることに気づき、すぐさま土壁を蹴って上り始めた。
体形にそぐわない軽々とした跳躍に、リタは思わず愕然とする。
(あーっ、上も塞いでおくべきだったー! というかすごい脚力ね⁉)
予想外の逃走にリタは慌てて魔法を追加しようとする。
だが詠唱を始めるより先に、ランスロットが「待て!」と走り出した。
「俺が行く!」
「えっ⁉」
そう言うとランスロットは、リタが生み出した土壁を獣と同じ速度で駆け上る。あっという間に獣の高さにまで到達すると、鮮やかに剣を振り下ろした。
「――っ!」
獣は光の粒となり、あっけなくその存在を失う。
この間わずか八秒。
文句なしの『S』。合格だ。
「す、すごい……あの高い壁を脚力だけで登れるなんて……」
「別に普通だろ。そもそもお前が作り出した足場があってこそだ。やるじゃないか」
「え、えへへ……」
珍しく褒められ、リタはついしまりのない顔を浮かべてしまう。
その後も試験は続き、時間ギリギリでなんとか成功するペア、最後まで獣を捕らえられないペアなど、成功率は五割程度といったところか。
やがてローラたちの番となった。
騎士候補の指示のもと、火球を飛ばして攻撃するローラだったが、獣の速度がそれを上回っていていっこうに当たらない。
残り一分を切った時点で男子生徒ががむしゃらに剣を振るったが、やはり倒すことは出来なかった。
「そこまで! 倒せなかった原因を話し合い、次に生かすように。次!」
「…………」
忌々しげな表情の騎士候補と、先ほどよりいっそう顔色を悪くしたローラが見学席に戻ってくる。
その様子をリタが見つめていると、隣にいたランスロットがぼそりとつぶやいた。