第四章 3
「これは……」
「わたくし、水と冷気の精霊に適性がありますの。二つの属性、しかも冷気が現れることは大変珍しいと、家庭教師の先生にもとても驚かれましたのよ」
「わあ、すごーい!」
「……確かに、とても貴重ですね」
純粋に感心するアニス。そしてあの厳格なイザベラが珍しく驚いた顔を見せた、と教室内がにわかにざわめく。
一方リタは、椅子に座ってだらだらと冷や汗をかいていた。
(だ、大丈夫よね? 多分……)
一人、また一人と次々に精霊との相性を確かめていく。
ほんの一瞬火花が飛んだり、小さな土の欠片が転がったりと、適性の現れ方はさまざまだったが――最初に試したリーディアほど、はっきりと発現する者はいなかった。
次、とイザベラが名前を呼ぶ。
「ローラ・エマシー」
「はっ、はいっ‼」
うわずった返事とともに、リタのすぐ前に座っていた赤毛の少女が立ち上がる。どたどたと通路を歩いていく姿を見た級友たちが、またもこそこそと耳打ちを始めた。
「見てあれ、でっかーい」
「ほんとに魔女? 騎士科に行った方がよくなーい?」
(……?)
くすくす、という笑い声を耳にしたリタはあらためて前を見る。
壇上に上がっていたのは背が高く、女子にしては体格のいい魔女候補――選考会の時、リタの隣で震えていた子だ。
(あの子、私の次に成績が悪かった……)
ローラと呼ばれた女子は、顔を蒼白にしたままおそるおそる手を差し出した。目を瞑って強く祈る――その瞬間、ぼわっと真っ赤な炎が巻き起こり、卓上に置いてあった『レインガーテの証』をまるごと燃やしてしまった。
「あああっ‼」
それどころかイザベラにアニス、最前列の生徒の服にまで火が届き、教壇近くが一気にパニックになる。
「きゃあっ!」
「やだ、火がっ!」
「ご、ごご、ごめんなさい、あたし――」
「全員、急いでローブを脱いで!」
イザベラからの指示に、最前列の生徒が急いで火のついたローブを脱ぐ。
アニスは「いやーん!」と言いながらローブを何度も叩き、イザベラもまた自身のローブを脱ぎ捨てて魔法を唱えた。
「水の精霊よ、降り注げ!」
ばしゃっ、と上空に現れた水球が破裂し、火は一気に掻き消される。魔法で全員のローブを乾かしたあと、イザベラが「はあーっ」と深いため息をついた。
「ローラ……あなた」
「も、申し訳ありません……」
「……問題ありません。それより、あなたにはとても強い火の適性があるようですね」
「…………」
その後もすみません、すみませんを連呼しつつ、ローラが自分の席に戻る。やがてリタは、教壇にいたイザベラと目があった。
「――最後、リタ・カルヴァン」
「は、はいっ!」
緊張した面持ちで慌ただしく教壇へ。
リーディアをはじめ、他の生徒たちはにやにやとリタの動向を眺めていた。予備の布が差し出され、リタはこわごわと両手を構える。
(どうか……大ごとになりませんように……)
額に汗を滲ませながら、リタは少しずつ手のひらに魔力を集中させる。だが魔法陣の上には何の現象も起こらない。
「…………」
「やだー、全然出ない子とかほんとにいるんだ」
「魔女に向いてないんじゃない?」
ささやかな悪意が飛び交い始めたのを見かねて、イザベラが制止する。
「……もう結構。あとで――」
その瞬間、教室の窓がビシッと音を立てた。
驚いた生徒たちが一斉にそちらを振り返る。すると先ほどまで何の変哲もなかった窓ガラスに、バリバリバリっと大きな亀裂が横一直線に走った。
追い打ちをかけるように、けたたましい雷が中庭に落下する。
「あなたたち、窓から離れなさい‼」
イザベラは窓際の生徒たちを避難させると、同時に杖を構えた。
直後、雲一つない快晴だった空から、突然滝のような豪雨が降り始める。さらにハリケーンのような嵐が実習棟を襲い、窓枠が今にも壊れそうな悲鳴を上げていた。
生徒たちの悲鳴で教室内が騒然とする。
(ま、まずい……‼)
そうこうしているうちに今度はぐらり、と床全体が上下に揺らいだ。地震だ。リタはすぐさま床に四つん這いになり『精霊の声域』で話しかける。
『お願い、静かにして!』
『ん? 呼んだんじゃなかったのか?』
『後で説明するから、とにかくいったんみんな帰ってもらって!』
ほーい、という間延びした返事のあと、ようやく大地の揺れが収まる。
窓の外には雨どころか雪やら花まで降っていたのだが、突風がすべてをさらってしまったのか、中庭にもベランダにも何一つ残っていなかった。
割れた窓ガラスを魔法で接合したあと、イザベラが眼鏡の位置を正す。
「……今日は別の階で、三年生の実力テストが行われています。おそらくその影響でしょう」
「び、びっくりしたあ……」
「三年生って、すごいんだー……」
誰ともなくつぶやいた言葉を最後に、ようやく教室内に平穏が戻ってくる。
すごかったねー、怖かったーという囁き合いの中、リタはこそこそっと自分の席へと帰った。ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、教壇からイザベラの声が飛んでくる。
「リタ・カルヴァン、あなたは追試です。放課後、私の研究室に来るように」
「は、はーい……」
再びくすくすという笑い声が起こり、リタは無事『Cマイナス』の評価を貰ったのだった。
・
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放課後。
イザベラの研究室に向かう前に、リタは一人裏庭に来ていた。
『ごめんみんな、集まって』
人の耳では認識できない言語で囁く。
するとリタの周囲にふわふわとした小さな光が集まり始めた。赤に青、緑、黄色、水色――大きさも輝きも異なる発光体が、賑やかにリタの周りを取り囲む。
やがてその一つが、可愛らしい声を上げた。
『ヴィクトリアーっ! あっ、今はリタなんだっけ。今日は呼んでくれてありがとーっ!』
『エリシア……あの大雨はあなたの力よね』
『うん! 他の精霊たちも張り切ってたよ、自分がいちばんリタと相性イイって!』
『はは……』
すると一際大きな赤い光が、呆れたように発した。
『お前ら、だからってあんなに派手にするこたないだろ』
『アルバンテール、そういえばあなたは出てこなかったわね』
『当たり前だろ。俺が出て行ったらそれだけで騒動になる。ま、そもそもどうして「伝説の魔女」であるお前がこんな子どもだましなことやってんだ、ってなっただけだがな』
『それにはこう、色々と事情がありまして……』
やがていちばん小さな銀色の光が、穏やかに話しかけた。
『そういえばヴィクトリア、若返りの魔法は成功したのですね』
『あなたのおかげよ、エイダニット』
『わたしはただ力を貸しただけ。それを現実の理に組み込んだのは、ひとえにあなたの努力に他なりません。さすが、このわたしと契約を結んだ「唯一の魔女」だけあります』
『契約だなんてそんな……。私はみんなに助けてもらっているだけで、今もなんていうか……友だちとしか思えないし……』
精霊との契約には、いくつもの条件が必要とされる。
その要素が特に強い地域に赴き、精霊格の存在を認知。さらに精霊にしか聞こえない声域で会話をし、こちらの出す条件と相手の望む要件――それは膨大な魔力であったり、特には供物を要求されたり――を提示し、承諾が取れれば無事成立という流れだ。
だがこの体系が出来たのはごく近年の話であり、リタ――ヴィクトリア時代には、そんな考え方自体が存在しなかったのである。
『ほんとほんと、最近はなんか形式ばっかりにこだわって、こっちに対して誠意のある魔女が少なくなってきたのよねー』
『強い精霊を従えることこそが正義、みたいにな』
『その点ヴィクトリアは、生まれた頃からずーっと仲良しだもんねーっ』
『うん……みんな、いつもありがとね』
リタは生まれながら有していた膨大な魔力が目印となり、幼い頃から自然と精霊たちが集まってくる体質だった。
そのため誰に教えられるでもなく、ごく当たり前のように精霊たちの姿を目で捉え、彼らの会話を耳で聞くことが出来た。そんな彼らの望みをかなえているうちに、数多くの精霊たちがリタのことを手助けしてくれるようになったのだ。
『あっ、でもこれから追試だから。みんな、ちょっと出るの控えてくれる?』
『そーう? 分かったー!』
朗らかな精霊の返事にほっとしたところで、リタはあらためて彼らに尋ねた。