第四章 ランスロットの初恋
翌日、学習棟。
午前の授業を終えたリタが教科書をしまっていると、突然教室のドアがバンッと開いた。
現れたのは、険しい顔つきのランスロットだ。
「――リタ・カルヴァンはいるか」
「……‼」
慌てて机の下に身を隠し、そのまま息をひそめる。
だが周囲の目は一点にそこを向いており、ランスロットはずんずんと教室の中に入ってくると、リタが隠れている机の前に仁王立ちした。
「ちょっと面貸せ」
(ひ、ひいいいい……)
呆然とする他の魔女候補たちの間を通り、二人は人気のない裏庭へと移動する。周囲に人影がないことを確認すると、ランスロットがようやく口を開いた。
「昨日のことだが」
「は、はいっ!」
「……とりあえず、本当に怪我はしてないんだな?」
「……? は、はい」
「ならいい。時々あとになって痛みが出たりするからな。もし何か普段と違うことがあれば、すぐ俺に報告しろ」
(……てっきり、ヴィクトリアのことを追及されると思ったのに……)
肩透かしをくらった一方、リタは自分の胸が温かくなっているのに気づく。しかしランスロットは眉間に皺を寄せ、続けて問いただした。
「それはそうと……お前も見たよな? ヴィクトリア様」
「――‼」
いきなり本題を突きつけられ、リタは震える声で応じる。
「は、はい……多分……」
「だよな? 夢じゃないよな? ……っ、まだ信じられない……。まさかあの偉大なる伝説の魔女、ヴィクトリア様に直接お会いできるなんて……。しかも俺としたことが手をっ……手を握ってしまった……‼」
「…………」
難しい表情から一変。
まるで恋する乙女のようにうろたえるランスロットの姿を、リタは諦観とも傍観とも言いがたい心境で見守っていた。
(どうしてこうなった……)
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王都での冥獣騒ぎ直後。
リタ――ヴィクトリアは完全にランスロットに捕まっていた。
(どうしよう、どうしよう⁉ ていうか結婚って何ー⁉)
言われた言葉が理解できず、リタはしばしその場に硬直する。
すると遠くから金属の擦れる靴音や、軍馬の蹄が地面を蹴る喧騒が聞こえてきて、リタは「はっ」と我に返った。
(と、とにかく早くこの場を離れないと――)
真剣な瞳のランスロットには申し訳ないが、リタは反動をつけて手を振り払った。
「ヴィクトリア様⁉」
「ご、ごめんなさい‼」
驚く彼を残し、リタは慌ただしく踵を返す。
濃い粉塵の中に紛れ込むと、すぐさま視覚遮断の魔法を紡いだ。
(ど、どうしてこんなことに……⁉)
去り際、怪我をした男の子にかけた防護魔法を解除し、そのまま通りの隅にあった物陰へと転がり込む。ぜいはあと息を切らしながら、とにかく急いで変身魔法をかけ直した。
「髪は野ウサギのように、目は葉っぱのように、顔と体は前と同じで‼」
ぽぽぽん、とあっという間に変化し、きつきつだった制服が一気に緩くなる。ほっと息を吐き出したのもつかの間、頭上からランスロットの声が降ってきた。
「おい、大丈夫か」
「うわぁっ‼」
「なんだその返事。……まあいい、ここに隠れていたんだな」
手を差し出され、おそるおそる握り返す。
先ほどまで触れていた手だと意識した途端、思わず顔が熱くなった。
「無事か?」
「う、うん……。あっ、でもあっちに怪我をして動けない男の子が」
「今警備隊が向かってる。心配するな」
見れば、ようやく到着した警備隊が現場の確認をしているところだった。あらためて安堵の表情を浮かべたリタに、ランスロットがどこか深刻な表情で尋ねる。
「ところで……美しい女性を見なかったか? 黒い髪に青い瞳の」
「ミッ……」
倒れかけの蝉のような声のあと、リタは返事に窮する。
(ど、どうしよう……⁉ 見たって言ったら絶対どこに行ったか聞かれるだろうし、見なかったって言ったら、この近くにいたのが私だけってなるから、私がヴィクトリアだとバレてしまうかもしれない……‼)
ぐるぐると目が回るほど悩んだあと、リタは苦渋の顔つきで絞り出した。
「ミ、ミマシタ……」
「本当か⁉」
「で、でも、自分のことは秘密にしてほしいって言われました!」
「秘密に……? なぜだ」
「た、多分、騒動になってしまうからかと……」
どきんどきんと高鳴る鼓動を隠しつつ、リタはランスロットの反応を待つ。彼はしばし不服そうに眉根を寄せていたが、やがて「そうか」と小さくつぶやいた。
「ヴィクトリア様がそうおっしゃられるなら、きっと何か複雑な事情があるんだろうな……」
(よ、良かったー‼)
やがて警備隊の一人から声をかけられ、ランスロットがリタを振り返る。
「俺は少し、現場の説明をしてから戻る。迎えが来ているだろうから、それに乗ってお前は先に学園に戻ってろ」
「う、うん……」
「……危ないことに巻き込んで、悪かったな」
そう言うとランスロットは警備隊のもとに走って行ってしまった。ぽつんと取り残されたリタは彼の言葉を思い出し、ぎゅっと胸元を摑む。
(もしかしなくても……心配してくれた?)
その瞬間、いきなりプロポーズしてきた彼の真剣な眼差しを思い出してしまい――リタは真っ赤になって「あああ」と一人身を捩るのだった。
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再び裏庭。
ようやく落ち着いたランスロットが、ふむと顎に手を添えた。
「しかし、どうしてヴィクトリア様はご自分の存在を秘密にするようになどと……」
「や、やっぱり驚かせるからじゃありませんかね? ほら、さすがに四百歳で生きているなんて誰も思いませんし」
「俺はずっと信じていたが」
(うっ……)
迷いのない目で断言され、リタはそれ以上の言葉を呑み込む。ランスロットは深いため息を吐き出すと、そっと己の手をのぞき込んだ。
「くそっ、こんなことなら彼女の身元が分かるようなものをちゃんと確認しておけば良かった……。あの素晴らしい玉貌に目を奪われてしまい、まとわれている衣装も宝飾品も何もチェック出来ずじまいだとは……」
「あのー、ランスロットさーん?」
「いや、そうじゃない。やはりまずはきちんと名乗り……ッ、なんということだ! 俺としたことが自分の名前をお伝えしていないじゃないか‼ これではヴィクトリア様が返事をなさろうにも、いったいどこの誰だという話になってしまう! なんという不覚ッ……」
「もしもーし」
赤くなったり青くなったり忙しいランスロットに、リタがおずおずと尋ねる。
「あのーそもそもどうして、そんなにヴィクトリアにこだわるんですか?」
「ヴィクトリア様、だ」
「ヴィ、ヴィクトリア様! 確かに伝説の魔女とか言われてますけど、今はそれよりもっと強い魔女もいるみたいですし……」
「それは……」
リタの問いかけに、ランスロットはしばし沈黙する。
だがじわじわと頬を赤らめると、ぐいっとリタの方に顔を寄せた。
「いいか、誰にも言うな。俺は――ヴィクトリア様が好きなんだ」
「――⁉」
真正面からの告白に、リタは一瞬頭が真っ白になる。
しかしランスロットの独白は止まらず、彼は積もり積もった思いを一気に語り始めた。





