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最下位魔女の私が、何故か一位の騎士様に選ばれまして  作者: シロヒ
第三部

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112/113

エピローグ


 柔らかい陽光が降りそそぐ春の日。

 王都から離れた位置にあるランドールの村。そこからさらに山間に向かう道を進むと、巨大なレンガ造りの壁が見え始める。出入り口には厳つい顔つきの門番が立っており、やがてその前に一台の馬車が停まった。

 中から下りてきたのはこの国の第二王子・エドワード。門番たちは恭しく礼をしたあと、背後にあった錬鉄の扉を押し開ける。中には小規模だが整えられた庭があり、その奥に一軒の邸宅が建っていた。玄関先には使用人頭が立っており、エドワードを歓迎する。


「遠いところをようこそお越しくださいました。どうぞこちらへ」


 使用人頭に先導され、エドワードは日当たりのよい二階の角部屋へ向かう。扉を開けると車椅子に乗ったジョシュアが窓辺におり、ぎこちない動きでこちらを振り返った。


「やあエドワード。来てくれて嬉しいよ」

「兄上。お元気そうでなによりです」


 部屋の中央にあったソファを示され、エドワードがそこに腰かける。ジョシュアは車いすに乗ったまま、テーブルを挟んだ向かい側に回り込んだ。


「そういえば手紙が来ていたよ。来月、立太子の式典が行われるって」

「……はい」

「これで正式に君が王太子になるわけだ。すまないね、迷惑ばかりかけて」

「いえ……」


 元・王太子となったジョシュアが心から申し訳なさそうに眉尻を下げる。エドワードはそんな彼を見つめたあと、車いすに乗った足へと目を向けた。





 リヴェイラの第一王子ジョシュア・リヴェイラは冥府の住人セュヴナル・クアントリルと共謀し、この国の簒奪をもくろんでいた。

 冥王教という組織を秘密裏に作り上げ、今から三年前、オルドリッジ王立学園祭の日に冥府側の住民たちを招き入れる儀式を強制的に実行。しかしそこでイレギュラーが発生し、腰髄を激しく損傷した。

 以降下半身不随となり、前述の罪も含めて王位継承権の取り消しならびに遠方王領地への流罪が執行されている。


「体の方はいかがですか」

「相変わらずどうにもならないね。まあ、わたしの犯した罪を考えれば、これくらいでちょうどいいのかもしれないな」

「レオンもこちらで静養中だと聞きましたが」

「ああ。彼はわたしよりひどくてね……本当に悪いことをした。わたしが、あんな奴の言葉に騙されてさえいなければ……」


 彼の従者であったレオンは事件の首謀者であったセュヴナルに体を奪われ、神の加護を受けた剣によって討伐された。

 幸い――と言っていいのかは分からないが、その際わずかに致命傷を避けていたことが功を奏し、数カ月後アルバ・オウガ近くにある『灰の森』の湖で発見された。意識があり、レオン当人であることは確認出来たが、今も一日の大半を眠り続けているという。


「なんの贖罪にもならないが、最後まで責任をもって付き添おうと思っている。最後まで迷惑をかけるね、エドワード」


 以前となんら変わらない柔和な笑みを浮かべるジョシュアを見て、エドワードが遠慮がちに口を開いた。


「兄上……兄上は本当に、冥王のもとに下れば世界が平等になると思っていたのですか」

「……どういう意味かな」

「もちろん、兄上がしたことは多くの人を危険に晒す許されざる行為だと思っています。しかし生まれや血のつながりだけで自由に生きることが出来ないのは、事実、といいますか……」

「…………」

「恥ずかしながら自分は、兄上から言われるまで何も意識したことがありませんでした。そんなわたしが王太子などになって本当に大丈夫なのかと――」

「エドワード」


 穏やかに名前を呼ばれ、エドワードがおそるおそる顔を上げる。自分と同じ緑色の瞳がこちらを見つめており、やがてゆっくりと細められた。


「君なら大丈夫だよ。わたしが保証する」

「で、ですが」

「君は自分が思うより、ずっと周囲の人を見ているよ。わずかな変化や機微に気づき、相手に寄り添う優しさもある。心配しなくても大丈夫だ」

「兄上……」

「それに君が思うほどわたしは出来た人間じゃないよ。この体になってあらためて考えてみたんだけど、平等だの、誰もが救われる世界だのと願っていたのは建前で、本当は……もう一度だけ、彼女に会いたかっただけな気がしているんだ」


 小さな灯りの下で必死に演技をする彼女。希望に満ちた瞳。ジョシュアに気づいた時の驚いた表情。一緒に過ごすようになってから時折見せてくれるようになった笑顔――。


「あの時、彼女にこの気持ちを伝えていたら……。何か違ったのかな……」


 うつむいたジョシュアの目から後悔の涙が一筋零れる。エドワードはそれを見て、そっと視線を窓の外へと向けたのだった。





 ジョシュアとの面会を終えた翌日、エドワードはようやく王都へと戻ってきた。

 馬車を降り、王宮の回廊を歩いていく。すると中庭の一角で王立騎士団の面々が鍛錬しているところに遭遇した。団長である赤の魔女エヴァンシーがすぐに気づき、エドワードのもとへと駆けつける。


「これはエドワード殿下、今お戻りですか」

「ああ。相変わらず熱心だね」

「三年前のようなことが今後起きないとは限りませんから。ああそうだ、少し顔を合わせたい者が――ローラ・エマシー、こちらへ!」


 はいっ! という威勢のいい掛け声とともに現れたのは一時期の同級生――そしてリタの親友でもあるローラだった。彼女はオルドリッジ王立学園を卒業後、王立騎士団の入団試験に合格。今はエヴァンシーのもとで日々体を鍛えているらしい。


「エドワード殿下、お久しぶりです!」

「こちらこそ。騎士団の仕事はどうだい?」

「すっごく楽しいです! あたし、魔女としてはあんまりだったんですけど、ここなら自分の持つ力を最大限発揮出来るっていうか」

「そうか、それは良かった」


 またも「はい!」と満面の笑みを浮かべるローラに手を振り、再び王宮内を歩いていく。すると建物内の廊下でまたも懐かしい顔と鉢合わせた。


「あら、エドワード殿下じゃありませんの。ご機嫌麗しゅう」

「リーディア、それにセオドアも」


 向かいから歩いてきたのはこちらも同級生だったリーディア、そしてその配偶者であるセオドアだった。その腕には柔らかい絹布に包まれた赤ちゃんを抱いており、その愛らしさにエドワードが「わあっ」と目を輝かせる。


「この子がそうかい?」

「はい。ヴィクトリアと申しますの」


 ヴィクトリアと呼ばれた赤子はわずかに眉根を寄せ、まるで初めて太陽を見た時のように目を細めている。そうっと指先を差し出しながら、エドワードが話を続けた。


「いい名前だ。今日は陛下に?」

「はい。ご挨拶に参りましたの。殿下にもお会い出来て良かったですわ」


 リーディアとセオドアは学園を卒業後、すぐに結婚した。

 最初は家の格が違いすぎるという理由で猛反対されたそうだが、リーディアが『他の方と結婚するくらいなら家督を継がない』とまで言い出し、最終的には両親が折れたと聞いている。半年前に第一子となる女の子も生まれ、まさに順風満帆だ。

 むずがる赤子を抱え、二人は早々にエドワードに頭を下げて立ち去ろうとする。だがリーディアが振り返り、少しためらいがちに口を開いた。


「あの、殿下」

「?」

「その……リタさん、のことなんですけども」


 その瞬間、エドワードの顔がわずかに強張る。それに気づいたのかリーディアはすぐに首を左右に振った。


「いえ、その……なんでもありませんわ」


 廊下を歩いていく二人の背中をエドワードがしばし見つめる。だがすぐに踵を返すと、護衛騎士たちとともに自らの執務室へと向かうのだった。



 護衛騎士たちを廊下に残し、エドワードはひとり執務室へと入る。

 中には以前ジョシュア付きだった家庭教師たちが待ち構えており、その手には大量の書籍が抱えられていた。帝王学、天文学、経済学。背表紙を見るだけでも恐ろしい。


「おかえりなさいませエドワード殿下。ささ、あまりお時間がありませんので」

「分かった分かった。でもまずは水を一杯――」


 すると外からノックの音がし、エドワードが軽く返事をする。現れたのは緊張した顔つきの伝令係で、エドワードを見ておそるおそる口を開いた。


「エドワード殿下、その、殿下に拝謁したいという者が」

「うん? 特に予定には聞いていないけど」

「それが――」


 すると委縮気味の伝令係の後ろから長身の男が姿を見せた。エドワードが破顔する。


「アレクシス! 来ていたのか」

「殿下、ご無沙汰しております」


 黒く癖のある髪を綺麗に整え、学生時代のトレードマークであった眼鏡は無くなっている。衣装は洗練された貴族のもので、教科書に載っていそうな見事な礼を披露した。


「どうだい、冥府の様子は」

「ありがたいことに順調に回復しております。ミリア様とシャーロット様の力添えで瘴気を生成する植物の定着が予定より早く進み、この分であれば民たちが日常を取り戻すのもさほど時間はかからないかと」

「そうか、良かった。しかしまさか、本当に世界を一つ作ってしまうとはな……」


 レオン――セュヴナルを追って冥府へと落ちたエドワードたちは、そこで冥府の崩壊というものを目の当たりにした。本来であればそのまま消失し、その住民たちもいなくなるはずだったのだが――ひとりの魔女のおかげで、冥府は新しい形に生まれ変わったのである。


「殿下、そのことはあまり口外されない方がよろしいかと」

「ああ、そういえば秘密だったね。しかし君が冥王だったのには驚かされたよ」

「なんというか、その程度で済んでいることの方が意外ですが」

「まあ、伝承で恐ろしい存在だと聞いてはいたけど、実際に危害を加えられたわけではないし。何よりあの時の君の働きを見たら何も言えないな」


 アレクシスの力でこちらの世界に戻ってすぐ、彼から自身が冥王の生まれ変わりであることを告白された。最初は正直意味が分からなかったが、三百八十年前に起きた戦いの真実や冥府の惨状などを聞くなかで、ようやく信じられるようになったのだ。


「しかしまあ、冥府から帰ってきた時はびっくりしたよ。講堂――というか学園の半分以上がほぼ壊滅状態。幸い、『三賢人』のお二人が避難やら対処やらをしてくれていたから人的な被害はほとんどなかったけど」

「おまけに冥府との接合点になってしまいましたしね」


 新しく作り直された冥府はまだ不安定な状態ということもあり、こちらの世界と癒着した状態になっていた。もちろん行き来することは不可能――のはずだったのだが、人間の体と冥府の魂を持つという特異性からか、アレクシスだけはその境界を踏み越えることが出来たのである。

 その結果アレクシスは『冥府の外交官』という立場を得ることとなった。

 もちろん着任前は『冥王と名乗る奴を信じてもいいのか』という批判で溢れかえった。しかしジョシュアとエドワードの証言。さらに自らの片腕を差し出してまで冥府の蛮行を止めようとしたことが認められ、ミリアによる能力制限の枷を着けること、そして常時監視を付けるという条件でようやく動けるようになったのだ。


「そういえばシュブ、違うな、セュヴ、はどんな状態だ?」

「我々の名前は発音しにくいですからね。セュヴナルは元々の肉体に戻って現在も意識不明です。ただ生命反応はありますので、あと二百年もすれば意識を取り戻すかと」

「なんというか、ものすごい時間感覚だな……」


 難しい顔で眉根を寄せるエドワードを見て、アレクシスが静かに目を閉じた。


「セュヴナルのしたこと、そして――過去に私がしたことは、どれだけ月日が経とうとも決して許されることではありません。奪ってしまった命への償いをしなければならないし、失われた信用は絶対に取り戻せない」

「…………」

「ですが……今の冥府には、先の戦争を知らない子どもたちもたくさんおります。出来ることならあの子たちには、私たちとは違う新しい関係を築いていってほしい」

「……そうだな」


 アレクシスの横顔に目をやり、エドワードもまたそっと微笑んだ。


「そう言えば、今日はどうしてこっちに?」

「過去の事実関係を明らかにしたいと元老院にあらためて依頼がありまして、王宮の書庫で少しこちらの資料を拝見してからにしようかと」

「書庫にいくのか。じゃあわたしも同行しよう」


 家庭教師たちがいっせいに「えっ⁉」という顔をするのも構わず、エドワードはアレクシスとともに廊下へ出る。扉が閉まったあたりで「ねえ」と投げかけた。


「もういつもの口調で構わないよ。君の敬語はなんだかくすぐったくてね」

「これでも人間らしく頑張っているんだけどな。というか、学園にいた時もあんまり君と話した記憶ないんだけど」

「まあまあ」


 王宮の廊下が在りし日の学園のように感じられ、二人はどこか楽しげに書庫へと向かう。

 堅牢な石の扉に守られたそこは、リヴェイラ王国に関するあらゆる資料、歴史、魔法の発展における記録などが大切に保管された場所。エドワードは司書たちがいる奥のカウンター目指して歩いていく。するとそこで見慣れた背中を発見した。


「やあ、また来てたのかい。騎士団だというのに勉強熱心だね」

「……頼まれた資料を受け取りに来ただけです」


 屋外での鍛錬で日に焼けても、なお輝きを失わない綺麗な銀の髪。こちらを見る険しい瞳は見事な青色だ。学生時代の制服から騎士団の衣装をまとうようになった幼なじみに向けて、エドワードがにこやかに続ける。


「あれ、そうだった? てっきり毎日のように来ているのかと思ったよ。ランスロット」


 名前を呼ばれ、ランスロットが「はあ」と疲れた溜め息を吐く。

 やがて誰もいなかったカウンターに分厚い書籍を抱えて司書が戻ってきた。彼女はランスロットの隣にいるエドワード、そしてアレクシスの姿を見て「えっ⁉」と目を見張る。


「殿下、それにアレクシスも。どうしてここに?」

「それはもちろん、君の顔を見に来たんだよ」


 リタ、とエドワードが満面の笑みで小さく手を振る。

 他の司書たちからの「またやってるよ」という視線をひしひしと感じつつ、司書の制服を着たリタ・カルヴァンは「あはは……」と曖昧な笑みを浮かべたのだった。





 終業後、リタが書庫から出ると出入り口のところにランスロットが立っていた。近くにあった窓ガラスで前髪を整えると、リタは急いで彼のもとに向かう。


「ごめん、待った?」

「いや、今来たところだ」


 いつかの小説で見た恋人のようなやり取りに、リタはひとり心の中だけで感動する。するとランスロットが慣れた様子で手を差し出した。


「ほら、行くぞ」

「う、うん!」


 二人は手を繋いだまま、王都の街を歩いていく。

 時刻は夕方。空は青から紫、オレンジ、黄色という美しいグラデーションになっており、遠くの山の端には小さないちばん星が輝いていた。大通りは帰りを急ぐ父親らしき男性やこれから酒場に繰り出す若者たちで溢れかえっており、ランスロットがさりげなくリタを引き寄せる。


「ほら、もっとこっちに来い」

「あ、ありがと」


 腕と腕が自然とくっつき、リタはなんとなく恥ずかしくなる。こんな風になるのは別に初めてではないのに、なぜか毎回ドキドキしてしまうのだ。


「ご、ごめんね。毎日家まで送ってもらっちゃって」

「別に。一人で帰らせる方が心配だからな」


 オルドリッジ王立学園を卒業後、リタは王宮書庫の司書となった。

 寮から出たあとは王都の一角にある下宿を借りているのだが、夜になるとかなり賑やかな場所となるため、心配したランスロットがこうして毎日送ってくれている。ちなみにランスロットは王都にあるバートレット公爵家の邸宅(タウンハウス)に住んでいた。


「そういえば今日、アレクシスが来てたわね」

「ああ。冥府も今のところ順調らしい。これも全部、お前が頑張ったおかげだな」

「あ、あはは……」


 ランスロットの言葉を受け、リタは三年前に起きた事件の顛末を思い出した。







 冥府の底に投げ出された――その時からリタの記憶はおぼろげだ。

 はっきりと気づいたのは頬に触れる水の冷たさ。いつの間にかリタとランスロットはアルバ・オウガの『灰の森』にある湖のほとりに投げ出されていた。


(どうして、助かったんだろう……)


 いったい何が起きたのか、リタ自身にも分からない。

 ただ奈落に落ちる直前、時の精霊エイダニットの声がした。一年の時、アニスとの戦いで傷ついたランスロットを救うため、彼とは契約を解除していたはずだが――どういうわけかあの場に来てくれたらしい。

 聞こえたのは――『ヴィクトリア。あなたの覚悟に敬意を表し、せめてその魂だけは冥府から解き放ってあげましょう』という言葉。

 するとその直後、リタが自分自身に指定したはずの座標がどこかへ移動していた。おそらく詠唱のその部分だけピンポイントで巻き戻し、座標を他の何かに移してくれたのだと思うが――いったい何が座標になったのかは分からないままだ。


(で、アルバ・オウガに行って、王宮に連絡を取ってもらって――)


 領主であるビリー・エリンコットとは面識があったのですぐに事情を説明し、急いで学園、そして王宮へと向かった。無事を喜ぶローラやエドワードたちとの再会を果たしたあと、ジョシュアが起こした外患誘致についての詳細を証言したのだ。


(冥府について聞かれた時はどうしようかと思ったけど、ランスロットたちが上手くごまかしてくれたし……)


 崩壊するはずだった冥府が無事であったことについて、周囲からわずかに疑問の声が上がった。だがここで『自分がやりました』などと口にしたら『伝説の魔女リタ・カルヴァン』としての人生が始まってしまう――と懸念したリタは必死になって口をつぐんだ。

 結果、真実を知る者はあの場にいたリタを含めた四人だけとなったのである。


(まあ、実際はもう『魔女』ではないんだけど……)


 自身の手にそっと視線を落とす。昔を思い出して意識を集中させるが、やはり魔力の流れはいっさい感知出来なかった。


(もともと『跡形もなくなる』って言われてたんだから、この体が残っているだけ奇跡みたいなのものだわ。実際、生きて帰れるとは思っていなかったし……)


 唯一、考えられる理由としたら――。






「リタ、どうした?」

「えっ?」

「ぼーっとして……何かあったか?」

「う、ううん! 何も」


 いきなり話しかけられ、リタはぶんぶんと首を左右に振った。

 やがて二人の目の前に巨大な噴水が見えてくる。大広場の象徴ともいえるそれの真ん中には立派な青銅の像が二体飾られており、ランスロットはそれを見上げながらぽつりとつぶやいた。


「勇者ディミトリの像、か……」

「…………」


 その言葉を聞き、リタもまたゆっくりとそれを見上げる。

 そこには雄々しく剣を握る勇者の像。そして隣には伝説の魔女ヴィクトリアの像が飾られていた。以前の彼であれば間違いなくその美しさについて熱く語っていたはずなのだが、ランスロットはそのままリタの方を振り返る。


「冥府でお会いした時は驚いたな。エドワードそっくりで」

「う、うん」

「シメオン様にもお会い出来たし……」


 嬉しそうに語るランスロットの横顔を、リタは少しだけ寂しそうに見つめる。

 伝説の魔女ヴィクトリア。

 その存在が――この世界からすべて消え去っていた。


(驚いたわ……みんながヴィクトリアのことを忘れているんだもの)


 異変に気付いたのはランスロットと会話した時。リタがあらためて自身がヴィクトリアであることを伝えた際、彼は「それはいったい誰のことだ?」と言い放ったのだ。何かの冗談かと思い説明をしたがなぜか伝わらない。

 不安になったリタがエドワード、アレクシスにも確認してみたところ、なんと二人も何のことかまったく分かっていなかった。

 ローラ、リーディア、さらには三賢人たちについても同様でリタはそこでようやく『伝説の魔女ヴィクトリアという存在自体がなかったことになっている』と理解した。


(あちこちにある銅像も書物も何? って感じだし……)


 もちろん、すでに作られている銅像が消失したり、書かれている英雄譚からヴィクトリアの名前が消えたりという怪奇現象は起きていない。ただ『なぜか勇者とよく一緒に置かれている不気味な老婆の銅像』『勇者一行と併記されている文字列』という認識になるらしく、そこにあるのに誰も分からない――という奇妙な状態に陥っていた。


(まあこれもある意味、跡形もなくなった、ってことになるのかしら……)


 どうしてこんなことになったのかは分からない。

 だがそのおかげでリタは生き残り、こうしてランスロットと手を繋いで王都の街を歩いている。それだけでもう十分すぎるほどの奇跡だ。

 そんなヴィクトリアの像をリタが眺めていると、ランスロットが「そういえば」と口を開く。


「今度、オルドリッジで学園祭があるらしい」

「あれ、たしか冥府の影響があるかもしれないから、別の場所に移転したんじゃ」

「その新しい場所でだそうだ。言われてみればちょうど三年経つしな」

「言われてみれば……」


 くじ引きで負けて実行委員をしたことを思い出し、リタは思わず苦笑する。

 するとランスロットがそれを見て小さく笑った。


「良かったら、休みを合わせて二人で行かないか?」

「え、いいの⁉」

「ああ。久しぶりに先生方にもお会いしたいしな」


 魔女科の担任だったイザベラのことを思い出し、リタは嬉しそうに首肯する。次の休みの予定が決まったところで、ふたりは再び下宿に向けて歩き出す――しかしランスロットがまたも立ち止まり、ヴィクトリアの像をじいーっと見つめた。


「ランスロット? どうしたの」

「いや、その……リタ、あの銅像について何か知ってるか?」

「え⁉ い、いや、特に何も」

「そうか……」


 するとランスロットはあらためてヴィクトリアの銅像を食い入るように見つめたあと、どこかうっとりとした眼差しで口にした。


「あの銅像、なんだか美しいよな……」

「えっ⁉」


 まさか思い出したのだろうか、とリタは心臓をバクバクさせながらランスロットの言葉を待つ。彼は珍しくしどろもどろになりながら、慌ただしく首を左右に振った。


「あ、いや、その、変な意味じゃなくてだな! こう、見ているとなんだかぎゅっと胸が締め付けられるというか」

「ランスロット……」

「ご、誤解するなよ⁉ 俺が好きなのはお前だけだからな!」

「う、うん……」


 臆面もなく好きだと言われ、リタは一気に赤面する。ランスロットもまたつられたように顔を真っ赤にすると、離していたリタの手を強く摑んで歩き出した。


「ほら、もう行くぞ!」

「……うん!」


 いつの間にか、空は綺麗な濃い藍色に染まっている。

 頭上に瞬く星たちを見上げながら、二人は喧騒の中へと消えていった。







 深い、深い湖の奥。

 生物の気配もしない冥府の水底で、何かがきらりと輝いた。

 一つは年季の入った銀の護符。もう一つは宝石がついた真新しい杖。

 この世界の新たな座標となったそれらは、この二つの世界の安寧と――そして普通の女の子リタ・カルヴァンの恋と幸せをいつまでも、いつまでも願い続けるのだった。




(了)


 

最下位魔女完結です。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!

応援、いつも励みになっております。


また次回作が出来ましたら、読みに来ていただけると嬉しいです。

これからもよろしくお願いします。


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