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第五章 13



 目の前にあった床の亀裂がバキッと音を立てて大きく広がる。もうここもあまり持たないだろうとリタは背後に迫る奈落を見下ろそうとした。だが今にも崩れ落ちそうなその床に、突然ランスロットが飛び移ってくる。そしてそのままリタの手首をがしっと摑んだ。


「なっ⁉ えっ⁉」

「な・ん・で・過去形なんだよ!」

「だ、だだ、だって……」

「俺は、今、お前のことが好きだ!」


 視線の先にあった太い柱がガラガラと崩壊していく。言われた言葉の意味が分からず、リタはパチパチと瞬きながらランスロットを見上げた。


「ちょ、ちょっと待って? だって他に好きな人が――」

「だから! それがそもそもの間違いなんだよ! だいたいどうしてそんな話になった⁉」

「ええと、その……ヴィクトリアより好きになった人がいるって……」

「どうしてそれが自分のことだとは思わない?」

「だ、だって……」


 どうしよう。このことは冥府にまで持っていくつもりだったのに。いや冥府は今自分が再建中なので持って行けるのかは分からないが。

 逃げ出したくとも、ランスロットが手首を摑んだまま離してくれない。まっすぐな視線にはもはや怒りに近いものが滲んでおり、リタは観念してすべてを打ち明けた。


「あの、出来れば怒らないでほしいんだけど……」

「内容による」

「じゃあ言わない……」

「…………」


 手首を摑む力が強くなり、リタはやけくそになって答えた。


「私、本当は……ヴィクトリアなの。ええと、伝説の魔女、的な……」

「…………」

「ごめん、全然信じなくてもいいんだけど、ただあの騙すようなつもりはなくて言い出すタイミングが無くなっただけっていうか、恥ずかしくて言えなくなったっていうか……。あっ、その、見た目はね! これは魔法で変えてるだけですぐに――あ、あれっ?」


 変身魔法を解こうとしたが、すでに精霊との契約を解除してしまったせいかヴィクトリアの姿に戻ることが出来ない。魔力が消費されている感じもないので、もしやこの空間に入った時点で何かの影響で固着してしまったのか。


「ううう、嘘じゃないの! 本当に……ヴィクトリアで……」


 半泣きになって訴えるリタを前に、ランスロットは険しい顔を少しだけ緩め「はああーっ」とこれみよがしにため息をついた。


「知ってたよ」

「! よ、良かった! 知って――知って⁉」


 爆弾を投げ込んだはずが、なぜか倍になって返ってきた。続く言葉を失ったリタが蒼白になっていると、ランスロットが掴んでいた手をようやく離す。


「一年の終わり、お前の部屋に入った時になんとなくな」

「な、ななな……」

「い、言っておくが何か漁ったとかじゃないからな! ただまあ、確証はなくて……正直、目もまともに合わせられない時期もあった」

「それってもしかして、二年最初の頃の……」


 ランスロットの頬にわずかに朱が走る。彼は取り繕うように「ごほん」と咳払いすると、あらためてリタの目を見つめた。


「どうしてヴィクトリア様が身分を隠して学園に潜入しているのか、いくら考えても分からなかった。何か重大な任務があるのかとしばらく見張っていたが、全然そんな素振りを見せなかったし……。で、合同授業の時についにお前から態度の悪さを怒られた」

「そ、その節は大変失礼を……」

「……いや。あれは俺の方がどうかしていた。とにかくあの時から俺は、お前の許しが出るまでは『リタ』として接しようと心に誓ったんだ。……もしかしたらヴィクトリア様は『何物でもない自分』で過ごされたいのかもしれないと思ったから」

「何物でもない、自分……」

「俺も時々、そうなりたいことがあるからな」


 リタが驚いたように目をしばたたかせていると、ランスロットが恥ずかしそうに視線を逸らす。言われてみればランスロットもまた『次期公爵』としての立場があり、その重責や周囲の期待にいつも応え続けていた。

 まさかそんな形で大切にされていたなんて、とリタはあらためて彼の優しさに胸をときめかせる。するとランスロットが反撃とばかりに半眼でリタを睨みつけた。


「そ・れ・で。どうして正体を明かさなかった?」

「そ、それは……」

「……やっぱり、俺のヴィクトリア様に対する身勝手な行動が嫌だったと――」

「ち、違うの! その逆で……失望されたくないって思ったの」

「失望?」

「ランスロットが知っている(ヴィクトリア)は、美人で強くて賢くて寛大で伝説の魔女って呼ばれるくらいすごくて……。でも本当の私は、これ、だから……」

「リタ……」

「友達なんて一人もいなくて、ディミトリたちが来てくれるまでずっと森に籠っていて。冥王を倒したおかげで大切にしてもらえるようになったけど、自分の気持ちもろくに伝えられないまま、うじうじ何百年も悩んでいるような奴、で……」


 真実なのに、口にすればするほど情けなくなる。

 リタがたまらずうつむきかけると、ランスロットがぼそりとつぶやいた。


「でも、いじめられている奴を必死になって助けるような奴だろ」

「……?」

「冥獣に襲われた子どもを守ったこともあったし、ローラの異変にもすぐ気づいた。エドワードの危機には誰より早く駆けつけたし、セオドア、リーディアもお前に助けられてる」

「それはたまたま……」

「普通の人間は、自分が危ない目に遭ってまで人を助けに行かないんだよ」


 ランスロットがどこか呆れたように顔をほころばせる。その顔がびっくりするほど可愛くて、リタは今の状況も忘れて赤面してしまった。心が落ち着いたところで、先ほど彼から言われた言葉をあらためて思い出す。


「あ、あの、ランスロット? さっき言ってたのって……ほ、ほんと?」

「何がだ?」

「わ、わ……私のことを、す、好きって……」

「ああ、好きだ」


 薄暗い冥府にいても、なおキラキラと輝いて見える美貌から臆面もなく告白される。いよいよリタの羞恥心が限界を突破してしまい、じりじりとランスロットから離れようとした。

 いやだめだ。落ち着け。いちばん大事なことをまだ聞いていない。


「そ、それは、えーっと……私が、ヴィクトリアだから?」

「…………」


 ランスロットはわずかな沈黙のあと、静かに首を左右に振った。


「……違う。いや、ヴィクトリア様を尊敬しているのは今も変わりないが、その……俺はお前がヴィクトリア様だと分かる前から、お前のことを好きになっていた」

「前、から……?」

「ああ。だから――俺が好きなのはリタ、お前だけだ」


 どうしよう。

 好き。ランスロットが私を好き。ヴィクトリアじゃない、私を。

 好きな人が自分を好きでいてくれる。その奇跡のような事実にリタは完全に頭が真っ白になってしまった。嬉しい。怖い。夢でも見てるのかな。そうだ、返事を――。


「ランスロット、私も――」


 だがその瞬間、二人が立っていた床の一部がついに奈落に向けて傾いた。

 足を滑らせたリタが一直線に冥府の底へと落ちかける。しかしランスロットがとっさに手を摑み、落下寸前だったリタの体をかろうじて引き留めた。


「ランスロット手を離して、このままじゃあなたまで――」

「返事」

「えっ?」

「返事は?」


 どうしてこんな時に、とリタは涙目になりながら大声で答えた。


「私も好きだよ! 今も! ランスロットのことが好き! 大好き!」


 その返事を聞いた途端、ランスロットはまるで子どものように笑った。愛おしさで胸の奥が苦しくなり、リタはぐっと唇を噛みしめる。


「だからお願い、この手を離して。ランスロットだけでも生きて――」

「それが本当にお前の望みなのか?」

「それは……」

「俺はこれから先もお前と――リタと生きたい。一生、お前のパートナーとしてずっと傍にいたい。本当の最期の時まで一緒にいたい。……お前は違うのか?」

「――っ!」


 もし、もしも。

 ランスロットと両想いになれたら、してみたいことがいっぱいあった。

 王都の街をもう一度手を繋いで歩きたいし、一年の終わりには二人だけでプレゼントを贈り合いたい。実務研修じゃない、いろんなところに旅行に行ってみたいし、出来ることなら海を渡って別の国も見てみたい。

 幸せそうに笑っている自分とランスロット。その姿を想像し、リタはついに涙を零した。


「生きたいに、決まってるよ……」

「……リタ」

「私だって、もっとランスロットと一緒にいたい! でも――」


 ガララッと拳大の瓦礫がリタの横を滑り落ち、ついにランスロットの足元にも亀裂が入った。

 リタが手を振り払おうとする間もなく、二人は床とともに奈落の底へと落ちていく。せめてランスロットだけでも――と上を向くリタの体をランスロットが強く抱きしめた。


「なら、そう願えばいいだろ」

「ランスロット……」

「俺はお前のパートナーだ。天国でも、冥府の底でも一緒に行ってやる」


 ランスロットの両腕に包まれたまま、リタはゆっくりと暗闇の底へと落ちていく。

 耳元は落下による強風で何も聞こえなくなり、肌に触れる外気は冬のアルバ・オウガより冷たくなってきた。ただランスロットに抱きしめられているせいか、リタの全身は今までにないほど温かく満たされている。


(ごめん、ごめんね、ランスロット……)


 どれだけ謝っても謝り足りない。言葉に出来ないほどの後悔。

 それなのに、ほんの少しだけ喜びを感じてしまっている自分が間違いなくいた。


(私にはもう何の力もない。でもどうか、ランスロットだけは……)


 神に祈りを捧げるかのようにリタはぎゅっと体を縮こませる。その時、自身の胸元がじんわりと温かくなっていることに気づいた。


(お願い、誰か――)






『――――』


 刹那、懐かしい声がリタの耳に届く。

 だがその正体にたどり着く前に、二人は冥府の水底へと落ちていくのだった。




 

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