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第五章 11



「あと、その……シメオンの気持ちに、ずっと気づかなくて、ごめん。でも、すごく、すっごく嬉しかった……」


 自分たち亡きあとも生きていくヴィクトリアのために、バートレット公爵家を作り上げた。

 当時を忘れることがないよう、詳細な資料を残してくれた。

 すべてはヴィクトリアと、子どもたちが生きていく未来のために。

 ただ――。


「私……好きな人が出来たの」


 私の魔女としての力を知らなくて、成績最下位でもいちばんに選んでくれた。

 魔法が使えなくなっても、ずっと傍にいてくれた。

 私のことを、ただの女の子として守ろうとしてくれた。

 真面目で、堅物で、ヴィクトリアのことになると途端に子どもっぽくなって、それで――。


「……好きになってくれて、ありがとう」


 あふれる涙が零れ落ちないよう、リタは必死になって笑みを作る。シメオンはそんなリタを愛おしそうに見つめたあと、ゆっくりとその両目を閉じた。

 刹那、彼の体は一気に瓦解し、まるで花びらが舞い飛ぶように掻き消える。


(シメオン……)


 跡形もなくなったその場所を見て、リタもまたそっと瞼を閉じた。ディミトリとシメオンがいなくなったあと、エドワードが「ふう」と息を吐き出す。


「とりあえずいち段落ついたようだけど、これからどうしようか」

「そ、それなんですが――」


 リタが慌てて今の状況を説明しようとする。だがその瞬間、全員の立っていた床が突然ドン、と大きく跳ねた。衝撃で床の一部がガロリと崩落し、エドワードがぎょっと目を剥く。


「これ……まずい感じ?」

(もしかして……)


 ギリギリ維持されていたところに、リタが新しい空間をくっつけたりしたせいでついに冥府の限界が来てしまったのかもしれない。地震はその後も断続的に起き続け、回を重ねるごとにどんどんひどくなっていく。


(ど、どうしよう……!)


 するとリタたちの背後にあった壁に突如、真っ黒な裂け目が出現した。近くにはアレクシスが立っており、残された片腕だけでその奥を示す。


「今から僕の力を使って君たちの世界までの道を繋げる。まだあまり時間が経っていないから、そこまでは離れていないはずだ。」

「そんなこと出来るの⁉」

「リタ、僕を誰だと思ってるの? 元冥王だよ。……まあ正直、魂が冥府のもので体が人間のもの……ってのがなかったら無理だったけどね」


 アレクシスは自虐的に笑うと、そのまま瞑目して壁に手を当てた。裂け目の内側にあった暗がりが少しだけ和らぎ、最奥に針の先ほどの小さな光が見え始める。それを見たエドワードが嬉しそうに二人を振り返った。


「助かったよアレクシス。さ、みんな早く戻ろう!」

「ああ」


 ランスロットはすぐさまうなずき、リタに向かって手を差し出す。しかしリタはその手を取ろうとしなかった。


「リタ、どうした?」

「ごめん、ランスロット。私……行けないの」

「……? それはどういう――」


 ランスロットが困惑していると、正面からエドワードの必死な声が飛んできた。


「まずいぞランスロット、レオンが!」

「⁉」


 慌てて振り返り、倒れているレオンの方を見る。絶命したと思われていた彼が、あろうことか必死にその場で体を起こそうとしていた。ランスロットはリタをエドワードのいる方へ押しやると、レオンのもとへ一気に駆け寄る。


「ランスロット⁉」

「エドワード、リタを頼んだ」


 懐に隠し持っていた短剣を取り出し、レオンの背中めがけて大きく両手を振り上げる。だがどこに隠れていたのか、そこに幼い子どもが割り込んできた。


「や、やめて……!」

「――っ⁉」


 寸でのところでランスロットが目標をずらす。

 間一髪躱したものの、子どもはその後も逃げる素振りを見せず、レオンの体に縋り付いたまま動こうとしなかった。


(あの子、いったい……?)


 エドワードと目で合図を交わし、リタたちもまたレオンのもとに近寄る。そこにいたのは三歳くらいの男の子で、愛らしい顔立ちをしていたが、人間でいう耳にあたる部分にヤギのような立派な角が生えていた。どうやらこの子も冥府の住民のようだ。

 子どもはリタたちを怯えた顔で見上げたあと、目のふちいっぱいに涙を浮かべて訴えた。


「おね、お願いします……お、お父様を、ころさないで……」

「おとう、さま……?」


 まさかレオンの子どもなのだろうか。

 今までは『冥府は敵である』という認識から思い至らなかったが、よく考えてみればアレクシスが『冥府にも人間社会と同等の文明が築かれていた』と話していた。であれば彼の子どもがいてもおかしくはない。

 冥府の住人とはいえ、さすがに命乞いをしている子どもに手をかける気にはなれない――とリタが子どもに向かって手を伸ばそうとする。すると瀕死状態のはずのレオンが必死に起き上がり、子どもに抱き寄せて低い声で唸った。


「近づくな……この子に、手を、だすな……!」

「……もしかして、あなたの子どもなの?」

「だったら……なんだというんですか……。この子も殺しますか? この子は関係ない……この子は――」

「…………」


 レオンの体からは今なお血が流れ落ちており、とても反撃出来るような余力はなさそうだ。

 三人がどうすべきかと顔を見合わせていると再び大きな地震が城内を襲う。それを受け、道を繋げていたアレクシスが苛立ったように叫んだ。


「もうそいつに戦うだけの力は残ってない。目的は達した。あとは冥府の崩壊と一緒に消え去るだけだ。いいからこの世界から脱出しろ!」

「でもアレクシス、そうしたらこの子も」

「冥府はもう、限界だったんだ。……諦めてくれ」

「そんな……」


 あらためて子どもの方を見る。リタたちの会話を理解しているのか、子どもは今にも泣き出しそうな顔で必死にレオンの体に縋り付いていた。そんな息子を庇いながら、レオンがどこか自虐的に笑う。


「サーゼの言う通りです。……私たちはもう終わりだ」

「…………」

「この子は、瘴気のない世界では生きることが出来ない……。だからこの子が生きる場所を……作ってあげたかったのに……」


 消え入るようなレオンの声。それを聞いた瞬間、リタの脳裏に昔の光景が甦った。

 子どもを殺された親たちの、耳を塞ぎたくなるような慟哭。冥府に対する恨み。怒り。親を失った子どもたちの絶望の哭声。涙。どれだけ経ってもきっと一生忘れられない。


(この人たちを許すことは絶対に出来ない。それは分かってる。……でも)


 ヴィクトリアの頃は知らなかった。

 冥府にも社会があり、日々の営みがあった。冥王は心無き悪逆非道の悪魔ではなく、臣下に裏切られたあげく戦いの責を自らの命で負うこととなった。そしてまさに今、冥府の崩壊と同時に目の前の命が失われようとしている。


(いなくなったらそれでいいの? この子はきっと、私たちの戦いには参加していない。それなのに見殺しにする……?)


 悩めるリタをあざ笑うかのように、再度小さな地震が起きた。立っていた床にビシビシッとひびが入り、ランスロットが急いでリタを自分側に引き寄せる。レオンとその子どもとの間に大きな溝が出来、リタはいっそう焦燥した。


(どうしよう、このままじゃ――)


 仮にこの子だけ、リタのいた世界に移動させることが出来れば、助けることが出来るのだろうか。幸い――というわけではないが瘴気を生み出す技術は確立されている。研究が得意なミリアあたりにお願いすれば、人や動物が犠牲にならずに瘴気を生み出す方法だって――。


(いえ……無理ね)


 一時的に救うことが出来たとしても、この子が冥府の住人であることはすぐにバレてしまうだろう。そうなった時、リヴェイラの国民がそれを許してくれるとは思えない。

 それにきっと、この子以外にもまだ冥府にはたくさんの子どもたちが残されているはずだ。それらすべてを受け入れることは不可能に近い。


(でも何もしなければ、この子たちの世界は――)


 考えろ、考えろ、考えろ!

 リタは今まで(ひもと)いてきたあらゆる魔法の本を脳内でめくる。孤独に過ごしていたヴィクトリア時代。リタになって図書館で出会った数々の本。授業で習った最新の情報。名のある魔女から実務研修で教わったこと。何か、何か方法は――。


(……。これ、なら……)


 脳内の冷静な自分が、あまりに荒唐無稽な案ではないかと否定する。

 しかし考えれば考えるほど、この方法しかないと自身の第六感が訴えかけてくる。どう考えても正気ではない。だけど――。


(やるしかない。でも、どうやって……)


 術式なんてとても思いつかない。果たしてどこから手を付ければ――とリタは頭をフル稼働させようとする。だがそれを阻害するかのように、今まででいちばん大きな揺れがそこにいる全員を襲い、目の前にあった床がついに折れるようにして崩れた。


「――っ!」

「しまっ――」


 レオンとその息子を乗せた床が、深淵に向かって落ちていく。絶望的な表情を浮かべた子どもと目が合い、リタは全身の毛が逆立つのが分かった。どうしよう。私が。私の判断が遅かったせいで――。

 もう時間がない、とリタは静かにランスロットたちに告げた。


「ごめんふたりとも、私から離れて」

「……?」


 リタの真剣な表情に気負わされ、二人がすぐに一歩後ろに下がる。

 それを確認すると、リタはリオンたちが落ちていった奈落が見えるギリギリの位置へと立った。見つめているとそのまま吸い込まれてしまいそうな本物の闇。それを見下ろしながら、リタは杖をぎゅっと握りしめた。


(大丈夫。もう、とっくに覚悟はしているでしょう?)


 心の片隅で怖がってる自分に優しく語りかける。それからゆっくりと精霊たちにしか聞こえない言語で話し始めた。


『空間の精霊、レティーリア。あなたにお願いしたいことがあるの』

『あれ、さっきの術式みたいに命令じゃないんだね』

『多分命令じゃあ、聞いてもらえないと思って』


 リタは力なくはにかむと、足元に広がる暗闇に向けて口を開いた。


『あのね、あなたが作ってくれたこの空間をもっと広げてほしいの』

『なんだ、そんなこと? いいよ。どれくらい?』

『えっと……今、繋がっている――冥府と同じくらい』


 リタの周りにあった空気がわずかにざわめく。すぐにレティーリアから『あはははっ』と可愛らしい笑い声が返ってきた。


『お姉さん、じょうだんが上手いんだねえ。冥府と同じくらいなんて』

『ごめんね、レティーリア。私、本気なの』

『どうしてそんなことするの? だってこの世界の人、お姉さんの世界をこわそうとしたんでしょ? このままほっとけばいいじゃない』

『それ……も、きっと正解なんだと思う。でも……』


 もしも自分たちが冥府側だったとしたら。

 いきなり生きるための要素を失って、さらに世界自体も存続出来なくなって、自分の大切な人や家族がいなくなってしまうと思ったら。きっとなんとしてでも生きていけるための方法を捜すに違いない。

 たとえそれが他の世界や、他の人たちを傷つけることになったとしても。


『この戦い――いえ、そもそも冥王が私たちの世界を襲ったのだって、居場所である冥府が無くなってしまう恐怖からだった。それならこの壊れかけている世界を直すのが、いちばん多くの人が助かる方法なんじゃないかって……』


 リタの言葉に対し、レティーリアはしばらく応答しなかった。固唾を呑んで待っていると、ようやく『うーん』と悩ましげな声が聞こえてくる。


『それはそうかもしれないけど、お姉さん、やっぱり無理だよ』

『どうして?』

『それはにんげんの はんちゅうを こえてる』


 たどたどしい子どものような口調でレティーリアが続けた。


『だってそれは、あたらしい世界をひとつ作ってしまうことと同じだ。そんなこと、普通のにんげんに出来るはずが――』

『私は普通の人間じゃない。伝説の魔女、ヴィクトリアよ』

『…………』


 黙り込んだレティーリアに向けて、リタは静かに微笑む。


 本当はずっと疑問だった。

 どうして自分だけ生まれながらにこんなに魔力が多いのか。どうして精霊たちがこんなに優しくしてくれるのか。どうして――普通の人間に生まれなかったのか。


(もしもその理由が、今、この時のためなら――)


 リタはあらためて胸元の杖を握りしめる。ランスロットから貰った大切な杖。


『私は、普通の人間には出来ないことが出来る。必要なものはすべて差し出す。だからお願い。何をすればこの世界を救ってもらえる?』



 

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