第五章 6
割り込むようにして、今度はエドワードがリタの前に立つ。もう一方のリタの手を持ち上げると、手の甲に口づける真似をした。
「わたしだって君の元パートナーだ。助ける権利を主張しても構わないだろう?」
「エドワード殿下……」
「そ、それを言うならあたしだって! 友達として同行します!」
後ろにいたローラが大きく手を振り上げて必死に自己主張する。それを横目に見ていたリーディアが「ふう」とわざとらしくため息をついた。
「あなたには借りがありますわ。大体、成績最下位のあなただけで何が出来ますの?」
「リーディア……私もう最下位じゃないんだけど」
「あら、そうでしたわね」
からかうように笑われ、リタはなんだか拍子抜けしてしまう。おかげで自分が驚くほど追い詰められていたことに気づき、そっと息を吐き出した。
(そうだった。エヴァンシーとミリアだけじゃない……私にも仲間がいたんだわ)
リタはゆっくりと各々の顔を見つめる。それぞれの決意が変わらないことを悟り、少し困ったような笑みを見せた。
「みんな、ごめん……。私に、力を貸してくれる?」
仲間たちは互いに視線を交わし、笑顔でしっかりとうなずき合う。それを見たリタは小さな声で「ありがとう」と答えたのだった。
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ざざ、ざざっと揺れる草たちが目的地を指し示す。
やがてその動きが止まったところで、先頭にいたリタが顔を上げた。
「ここが……植物の根元……?」
意外なことにそこは、元々リタたちがいた講堂だった。壁を打ち破って植物が侵入してきたように見えていたが、どうやら根は地中の方にあったらしい。
ランスロットとセオドアが前衛に立ち、中をリタたち女性陣、後方をエドワードとその護衛たちで固める。出入り口の扉は避難の際に開いたままになっており、一行はおそるおそる中へと足を踏み入れた。
(黒い植物がこんなに……)
演劇用に飾り付けられていた舞台は完全に崩壊し、正面にあったステンドガラスは黒い植物の枝や葉でみっしりと覆われていた。観客席、壁沿いにも血管を張り巡らせたかのように広がっており、まるで冥獣の体内に入りこんでいるかのようだ。
周囲は異常なまでの静寂に包まれており、人の気配はいっさい感じない。やがて前を歩いていたランスロットが振り返った。
「ここが大元なのか?」
「う、うん……。おそらく――」
リタが口にしたその瞬間、ざわざわっと嫌な空気が講堂内に立ち込める。ランスロットが反射的に剣を振ると、何もない空間から真っ黒い蝶が出現した。しかも一匹ではなく、鱗が剥がれ落ちるかのようにボロボロと何匹もの蝶が正体を見せる。
羽からは見覚えのある黒い靄が滲み出ており、新しい形状の冥獣だと分かる。前衛二人がそれらを薙ぎ払っていると、奥から狼型の冥獣が飛び出してきた。中庭にいるものより数倍大きく、リタはここに冥王教の関係者がいると確信する。
「みんな気をつけて! ここに犯人が――」
しかしリタが声を上げたところで、崩壊している舞台の上にひとりの人影が姿を現した。
その正体を見たリタは思わず我が目を疑ってしまう。
「どうして、ここに……」
「ふふ、意外と遅かったですね」
わずかな陽光しか差し込まない薄暗い舞台。そんな暗がりのなかにあっても、その人物の髪はそれ自体が発光しているかのように金色に輝いていた。緑の瞳は妖しい光をたたえており、エドワードによく似た――だが絶対に間違いようのない顔で美しく微笑む。
「待っていましたよ、リタさん」
「ジョシュア……殿下……」
そこにいたのは紛れもなく、この国の第一王子であるジョシュアだった。従者であるレオンも後ろに控えており、ジョシュアはその場にいる面々の顔をゆっくりと眺める。
「一人で来られるかと思いましたけど、頼りになる仲間が多いんですね。羨ましいです」
「ジョシュア殿下、もしかしてこの騒動を起こしたのは――」
「はい、わたしです」
「どうしてこんなことを……」
リタの問いかけを聞き、ジョシュアは「ふふっ」と首を傾けた。
「前に一度『この世界は不平等だと思うか』って聞いたことがあると思うんですが」
「…………」
「この問いに『いいえ、誰しも平等です』って言える人間は、多分いないと思うんですよね。みんな自分の不平等さには敏感だから。それなのに、自分が誰かを無意識に下に見ていることにはまったく気づかなかったりする」
ジョシュアはゆっくり目を細めると、ぐしゃぐしゃになった舞台の飾りを拾い上げた。
「……わたしがこの学園に通っていた頃、パートナーを組んでくれた魔女科の女の子がいたんです。のちのち王太子妃候補なんかの問題にならないよう、わざわざ地方の小さな所領の令嬢でと指名されて。ちょうど君みたいな髪の色で背もそのくらいだったかな」
彼女はとにかく恐縮していて、最初のうちは目を合わせてしゃべれないほどだった。声も小さく、魔法の詠唱もうまく諳んじられない。成績も常に学年最下位でいわゆる落ちこぼれと呼ばれる部類だった。
「わたしは全然気にならなかったんですが周囲の者が心配して『パートナーを変えましょう』と提案してきました。確かに彼女は、わたしの前だとまともに話すことも出来なかったし、そこまでの苦痛を強いられているなら――と承諾したんですが……」
代わりのパートナーを探してもらっていたある日の夜。ジョシュアは偶然、ここの講堂で何かが光ったのを見かけた。
不思議に思って中に入ると、パートナーの彼女が小さな光源の下で懸命に演技の練習をしている姿を目撃した。驚くべきことに普段の臆病ぶりはみじんもなく、強気な悪役令嬢を見事に演じ切っている。
そのあまりの変貌ぶりにジョシュアが見入っていると、そこでようやく彼女が気づき、ばひゅん、とネズミが巣に帰るかのように舞台袖に消えてしまった。
「そうっと声をかけたら、おそるおそる顔だけ覗かせて……。わたしはあの時、初めて本当の彼女を知ったんです」
ジョシュアはパートナーの交代を中止させ、その日から出来るだけ彼女と一緒に過ごすようにした。相変わらず彼女はおどおどしたままだったが、いつしか演技の練習を見学していても怒られないくらいの関係になった。
「本当は魔女じゃなくて女優になりたい――彼女は恥ずかしそうにそう言っていました。でも卒業したらすぐに親の選んだ相手と結婚しないといけないし、せめて学生の間だけでも役者の真似事をしてみたいのだと」
やがて一年が経ち、ジョシュアは予定通り王宮へと戻った。王太子としての勉強は毎日大変だったが、ふとした時に学園での生活や彼女のことを思い出し、それを支えにして懸命に努力を続けていた。
そんなある日、海向こうの有名な劇団が王宮を訪問する話を耳にした。
「彼女が見たらきっとすごく喜ぶだろうな、と思って。それで、学園経由でこっそり招待状を送ったんです。でも――」
なぜか手紙は開封されることなく戻ってきた。理由を聞くと『そのような名前の生徒は在籍していない』という回答だった。
「驚きました。まだ卒業までは時間があったし、もしや体調を崩して実家に帰ったのかと思いました。でもそうじゃなくて……彼女は、貴族ではなくなっていたんです」
「貴族では……なくなっていた?」
「彼女の母親が、彼女が愛人との間に出来た子だと認めたそうです。激怒した父親は娘だった彼女との絶縁を宣言し、さらに魔女としての道も認めなかった。結果彼女は、この世界における居場所をすべて奪われて……」
ジョシュアはすぐに彼女の居場所を調べさせた。だが捜索は思った以上に難航し、ようやく特定出来た時は半年以上が過ぎていたという。彼女は北にある小さな村に逃げ込んでおり、ジョシュアは急いでその地へと向かった。
だが――。
「……間に合わなかった。彼女は病に侵されていて、でも医者にかかるお金がなかった。わたしが再会したのは、小さな石の墓標になった彼女でした」
彼女はそこでレオンという少年と暮らしていた。聞けば身寄りがなく、彼女と助け合う形で一緒に生活していたらしい。ジョシュアはその少年をすぐさま引き取ると、自身の従者となるよう教育を施した。
そしてその頃から、ジョシュアの中に一つの恐怖が生まれた。
「彼女は貴族の娘だから、役者になりたいという夢を持つことすら許されませんでした。それなのに彼女に流れる血が貴族のそれではないというだけで、今度は簡単に捨てられる。彼女自身は何も変わっていないというのに」
ジョシュア自身、王太子としての生き方になんら不満を持ったことはなかった。
王族として生まれた以上そうするのが当たり前で、他の道を望んだことなど一度としてない。だがもし自分が王の子ではなかったら――きっと今までの努力は、すべて最初から存在しなかったものになってしまう。ただ、この身に流れる血が違ったというだけで。
「そう気づいた途端、きらびやかな社交界にいる連中が全員ドブネズミに見えました。ただ増殖するだけの汚い生き物。それが王宮内の至るところを我が物顔で這いまわっている――本当にぞっとしました」
自分もいつかあのドブネズミと同じになるのか、とジョシュアは絶望した。
そんなある日、自室で誰かに声をかけられたという。
「人払いをしていたからびっくりして。でも確かにもう一度呼びかけられて、わたしは部屋の中を捜し回りました。そこで――鏡越しに話しかけてくる声に気づいたんです」
「鏡越し?」
「はい。あの方は自らを冥王と名乗りこうおっしゃいました。――『死者をも蘇らせる力が欲しくありませんか?』と」
その言葉を聞いた瞬間、リタはシャーロットの証言を思い出す。
彼女は冥府の力を得る代わりに白の魔女としての魔法を失った。さらにその罪をごまかし続けるため、冥獣を生み出す研究をさせられており――彼女もまた最初の誘いは『死者をも蘇らせる力が欲しくありませんか?』というものだったはずだ。
「初めは全然信じていませんでした。きっと、疲れた自分にだけ幻覚が聞こえているのだろうと思ったんです。でも――」