第五章 5
いちかばちか、リタは学園内の被害者すべての治療にあたれないかと杖を地面に立てる。すると上空から鳥型の冥獣が真っ先に舞い降りてきて、リタに向かって襲いかかった。
「――っ!」
「リタ、伏せろ!」
気づいたランスロットが一刀両断し、鳥型冥獣はあっけなく消滅する。だが今度は狼型の冥獣が突進してきてこちらはエドワードが鮮やかに斬り伏せた。
「リタ、大丈夫かい?」
「あ、ありがとう」
そう話している間にも冥獣たちは次から次へと襲いかかってくる。魔女を優先的に狙うよう指示されているのだろうか。ランスロットとエドワードが必死に対処してくれているが、居場所を固定出来ないこのままでは魔法が使えない。
(鳥型冥獣がいるから空にも逃げ出せない。それに学園内の瘴気の濃度がどんどん濃くなっている気がする。このままじゃ――)
すると突然、学園中に実行委員長であるエイダの声が響き渡った。
『皆さま、落ち着いて聞いてください! 現在学園は冥獣による攻撃を受けています! 近くにある建物内に早急に避難してください! 当学園教職員が討伐作業を行っておりますので、絶対に外には出ないでください!』
(これ……)
『また、黒い靄を発している人を発見した場合、近づかずに教職員へとお知らせください! 加えて回廊沿いで配布されていたドリンクを所持している方は絶対に飲まないでください! 現在治癒魔法に特化した教員が医務室にて対処を――』
どうやらリタの情報が無事に実行委員と職員に伝わったようだ。しかし瘴気についての知識は現役教員でもほとんど持っていないだろうし、対処法を捜しているうちに二次、三次被害が増えるのもまずい。
(どうする? まずいちばんは応急処置、同時に冥獣の対処、瘴気、それから――)
自分ひとりでどこまで出来るのか。
かつて冥王と対峙した時以来の緊張と恐怖で足が震える。
でも今はディミトリもシメオンもいない。
(なんでもいい、やるしか――)
だがその時、リタの脳裏に学園長室で会った二人の娘の姿がよぎった。
あの子たち、なら――。
「――っ!」
リタは近くにあった拡声器に駆け寄ると、組み込まれていた風の術式を瞬時に書き換える。放送用の回線を乗っ取ると、ふちを摑んでそのまま力いっぱい叫んだ。
『エヴァンシー! 炎ではなく雷の広域魔法で空の冥獣を撃ち落としなさい! 同時に狼型の侵入を防ぐため、建物の城壁に帯電の魔法を!』
傍にいたエドワードが「三賢人に命令してる⁉」と信じられないような顔でリタを見ている。その直後、中庭の方にとてつもない轟音の雷が幾筋も落下した。黒く蠢いていた空にぽっかりと大きな穴が開き、ギャア、ギャアと空の冥獣たちが騒ぎ立てている。
リタは「ふうーっ」と息を吐き出すと、今度はミリアに向けて指示を飛ばした。
『ミリア、建物内の大気圧を調整して。避難者が常に新鮮な酸素を供給出来るよう空気を循環させ続けるの。それから救助に当たっている教職員がいたら瘴気よけの魔法をして、一度全員患者から引き離してちょうだい』
淀んでいた学園内の空気が、ゆったりと吹き込む風によって少しだけ軽くなる。
それを確認すると、リタは着たままだったヴィクトリアの衣装からリボンを抜き取り、乱れてぼさぼさになっていた自身の髪を後ろでぎゅっと一つに縛った。
(これで集中出来る……!)
もう一度深呼吸をし、リタは自身の杖を上から下まで手のひらで優しく撫でた。
「――水の精霊エリシア、我が声を聞き、我が願いに応じよ」
杖をゆっくりと自身の足元へと下ろす。地面に突き立てた先端から、まるで雫が落ちた水面のように同心円状の魔力が広がっていく。大丈夫。出来る。やる。
「もがき苦しむ者たち、我に応えよ、その体を浄化せし――」
瘴気に侵された人たちの位置を慎重に特定していく。一つ目の円、二つ目の円、何度も何度も薄く魔力を走らせ、学園内の全域を集中で満たしていく。すでに教員による処置を受けている者、放置されている者まで様々だ。
(数は……二百と、五十、二……三……四……)
子ども、女性、男性、老人――魔法の負荷が最小限になるよう調整したところで、ようやくリタの目の前に一つの水の玉が現れる。リタがそれをちょんと割ると、同様の水の塊が今度はあまたの患者たちの胸元にふわん、と浮かび上がった。
杖が地面と平行になるよう持ち上げ、そのまま薙ぎ払うようにゆっくりと横に振る。
「白き水よ、黒き種を洗い流せ――雁の涙」
淡く輝く水粒が黒い靄に覆われた人々の傍に寄り添い、ゆっくりと体内に入っていく。みな最初は苦しそうに顔を歪めていたものの、ごぽっとむせるような咳をして水を吐き出した途端、目に見えて顔色が良くなった。
リタは杖を水平に保ったまま、最後のひとりの救助が終わるまで集中を切らさない。
(あと六人……子ども、水の量を最小限まで減らして……)
次の瞬間、リタはいきなりその場にくずおれた。とっさにランスロットが抱き支えるも相当の魔力を消費したのか、額には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。
「リタ、大丈夫か⁉」
「う、うん……。これで多分、応急処置は出来たかな……」
リタはよろめきながら立ち上がる。すると魔力の発信源を辿ってきたのか、ミリアがようやく姿を見せた。
「お母様! ご無事でしたか⁉」
「ええ。それよりミリア、状況を」
「先ほどの水魔法のおかげでみな一命はとりとめたようです。ただ体力の消費や他の臓器への負担を考えると、一刻も早く王都にある病院へと運ぶべきかと」
「私がやるわ。じき冥獣も収まるでしょうし、あなたは建物内にいる人たちの保護を――」
「それなのですが、実はエヴァンシーが苦戦しておりまして」
「エヴァが?」
「冥獣の数がいっこうに減らないのです。おそらく学園内で生成されているのではと」
「学園内って……」
あらためて上空に目をやる。エヴァンシーの雷は先ほどから絶え間なく放たれているが、空を覆い尽くしている冥獣の数はあまり減っているように見えない。それに狼型の冥獣も変わらず跋扈していた。
(以前……アニスの時も同じだった。この学園のどこかに冥王教が潜んでいる?)
なんだか嫌な予感がする。
もしかしたら何か大きな見落としをしているのかもしれない。
(どうしよう、どうしよう……。もしかしてこれが、アレクシスの言っていた――)
急減した魔力を補うかのように、心臓がいつも以上に早く拍動する。
いったいどこに。誰が。とにかく早く見つけないと――。
すると動揺で目の前が真っ暗になっているリタの耳に「せいやぁ!」という威勢のよい声が飛び込んできた。回廊の向こうからローラが走ってきて、リタやランスロットたちを見つけ出すと泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
「リタ~~! 捜しましたよ~~!」
「ローラ、無事だったのね」
「はい! 倒れた人を医務室に運んだり冥獣を倒したりで、もー大変でしたー」
いつも通りのローラを目にし、リタの心に少しだけ落ち着きが生まれる。ほっと息を吐き出していると、今度は反対側から聞き覚えのある居丈高な声が聞こえてきた。
「セオドア、いったい何がどうなっているですの⁉」
「リーディア?」
「あらリタさん。ローラにランスロット様、エドワード殿下まで」
こちらも普段と変わらぬ様子のリーディアがつかつかと足早に歩み寄ってくる。後ろには彼女のパートナーであるセオドアが控えており、集まっている面々に向かって頭を下げた。
「リーディア、怪我はなかった? 気分が悪いとか」
「わたくしは平気ですわ。それよりいったい何が起きてるんです」
「それが――」
リタが口を開いたところで今度はドス、と長剣が地面に刺さる音がした。やがて中庭側から剣を手にしたアレクシスが現れ「あれ?」と首をかしげた。
「どうしたの、みんなで集まって」
「……!」
乱れた前髪を掻き上げ、アレクシスがこちらに近づいてくる。リタはすぐさま杖を構えると、彼に向かってその切っ先を突きつけた。
「アレクシス、あなた……味方なの?」
「…………」
リタの真剣な顔を見て、アレクシスは少し寂しそうに目を細めた。
「味方だよ。……信じてもらえないかもしれないけれど」
「…………」
「心配なら首輪でも着けようか。でも、いずれにせよ早くした方がいい」
「どういうこと?」
「瘴気の濃度がどんどん増している。召喚の準備が始まっているのかもしれない」
「それを止めるには?」
「おそらく土台となっているのはあの黒い植物だ。あれの根に当たる部分がどこかにある。術者はそこにいるはずだ」
「根……」
ちらりと視線を動かす。見れば校舎の壁や回廊の天井に件の植物がびっしりと絡みついており、今なおどこかに向かってその蔦を伸ばしていた。もはや嘘かどうかで悩んでいる時間はない――とリタはアレクシスに向けていた杖を下ろし、即座に詠唱を開始した。
「草の精霊、我が声を聞き、我が願いに応じよ」
『何用かな、我が主』
「学園内で増殖している黒い植物について、その大元を探し出してほしいの」
『あれはもはや我が眷属にあらず。その根は分からぬが、傷ついた我が眷属から道筋を割り出すことは出来よう』
「……お願い」
一拍置いて、回廊近くにあった芝が風もないのにざざざっと揺れる。リタはアレクシスの方を振り返ると、こわばった表情で告げた。
「少しでも変な動きをしたら、すぐに分かるから」
「……ご自由に」
相変わらず本心が読めないアレクシスを一瞥し、リタは他のメンバーに声をかける。
「ごめん、今から瘴気の発生源に行ってくる。みんなは危ないから建物内に避難を――」
「リタ」
突然名前を呼ばれ、リタは慌ててランスロットの方を見た。彼はどこか怒ったような表情を浮かべており、無言のままずんずんとこちらに歩み寄ってくる。
「どうして一人で行こうとするんだ」
「だ、だって……普通に危ないし、何が起きるか」
「それはお前だって同じことだろ」
「でも――」
まさかの反論に戸惑っていると、ランスロットがなかば強引にリタの片手を取る。
「俺たちはパートナーだ。お前が戦うなら、俺はいつでもそれを助ける。忘れたのか?」
「それは……」
「おっと、それならわたしからも言わせてもらおうかな」