第五章 3
リタがいなくなって数分後。今度は別の衣装係がランスロットのもとを訪れた。
「すみません、ディミトリの衣装合わせをお願いします」
「ああ」
衣装係がうっとりと頬を染めていることにも気づかず、ランスロットは眉間に皺を寄せながら自分のしたことを後悔していた。
(どうして……こんなことにっ……!)
なかなか戻ってこないリタを心配して舞台裏に向かったところ、どうやら人手が足りないという話をしているようだった。彼らが毎日夜遅くまで練習していたことは知っているし、なんとかしてやりたいが――と隠れて聞いていたところ、いきなりリタが協力を申し出たのだ。
だがそれでも――という会話を耳にした途端、いつの間にか自分も立候補していた。
(本当に何をしているんだ……俺は……)
先週の深夜、リタとアレクシスが一緒の馬車で帰ってきたのを見た日から、彼女の顔がまともに見れなくなっているというのに――よりにもよって主役の二人に割り振られてしまった。どうなるのかもはや完全に未知数だ。
(言い出した以上は仕方がない。ここは役目をまっとうするしか――)
台本は今しがたすべて頭に叩き込んだし、ヴィクトリアが登場する劇ならそれこそ百回近く観てきている。多少の違いはあれど、物語の大きな流れは変わらないはずだ。
ランスロットは台詞の復習も兼ねて、冒頭のシーンから演技を早送りでイメージしていく――が、ラストの一幕になったところでかっと目を見開いた。
(……待て。もしかしてこれ……告白する場面があるやつか?)
そういえばエドワードたちが事前視察で演劇を見学しに来た時、独自の解釈を加えたものだと担当者が話していた。エドワードがふざけてリタに迫っていたことも覚えている。
(待て待て待て! つまり――)
じわじわとせり上がってきた体の熱が、頬はおろか頭のてっぺんにまで達し、ランスロットはその場でひとり硬直する。いつまで経っても動き出そうとしないランスロットを見て、衣装係の女子がけげんな顔で声をかけた。
「あの、ランスロット様……?」
「! す、すまない!」
もしかして自分は大変な役を引き受けてしまったのではないか。
赤くなった顔を片手で隠しながら、ランスロットは足早に控室に向かうのだった。
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何人かの観客が諦めて立ち上がりかけたその時、講堂内に壮麗な音楽が響き渡った。
この日のために作られた緞帳が上がり純白の舞台が姿を見せる。やがて下手側からひとりの村娘が現れ、よろめきながら舞台上にしゃがみ込んだ。
『神よ! 悪しき冥王から我らをお救いください――』
ようやく始まった、と帰りかけた観客がやれやれと腰を下ろす。
そんな観客席の様子を舞台袖から眺めつつ、リタはずり落ちてくる衣装の袖を引っ張り上げた。衣装係の子が時間いっぱいまで直してくれたが、元々これを着る予定だった子が長身だったため、どうしても布が余ってしまう。頭にかぶるフードもぶかぶか。首元のリボンも長すぎる。
(つ、ついに始まってしまった……)
すぐに場面が変わり、魔法を使った派手な舞台演出で冥王が登場する。リタが緊張で震えながら台本を確認していると、背中側からトントンと肩を叩かれた。振り返ると脚本を書いた担当者が立っている。
「出るタイミングと台詞はその都度ぼくが指示するから。もともとヴィクトリアは寡黙な設定だし、あんまりしゃべるシーンは多くないから安心して」
「は、はい……」
「あっ、あとちょいちょい戦いでヴィクトリアが魔法を使うところがあるけど、これは向こうの舞台袖に控えている魔女科の三年生がしてくれるから。リタさんはそれっぽい動きだけ合わせてくれたら大丈夫!」
(それっぽい動きって何よぉ……)
もはや何がなんだか分からなくなり、リタは台本片手に涙目になる。
やがて勇者が舞台に登場し、観客席からわずかに「きゃあっ」という歓声が上がった。おそらくランスロットに気づいた女子生徒のものだろう。だがリタのいる位置からは彼の姿が見えず、ただやきもきとした時間だけが過ぎる。
その後も舞台は順調に進んでいき、ついに勇者たちがヴィクトリアの住む森を訪れるシーンが始まった。いつ出ていけばいいのかとリタが息を吞んでいると、舞台が暗転したタイミングで担当者からぐっと背中を押される。
「ほら、今だ!」
(ひいいい~!)
ここまで来たら逃げられない、とリタはフードをかぶって舞台へと走った。泉らしきセットの前に立つと顔を隠すように観客側に背中を向ける。
すぐに淡い照明が灯り、ランスロット演じるディミトリがリタに声をかけた。
『もしかしてあなたが――この森に住む魔女、ヴィクトリアですか?』
『は、はい……』
実際はこんな綺麗な湖の前ではなく、当時住んでいた小屋に普通に押しかけてきた。
初めて交わした会話だって「あのーこの辺りに魔女がいると聞いたのですが」「あ、それ私です」という実にあっけないもので、なんだかめちゃくちゃ美化されているなあ、とリタはフードを取りながら振り返る。
しかし目の前に立つランスロットを見た瞬間、そんな雑念は一気に吹き飛んでしまった。
(か、かっこいい……!)
普段の黒い騎士服とは違う、青と白を組み合わせたまるで王子様のような衣装。髪もいつもとは違う風にアレンジされており、舞台照明もあいまって全身がキラキラと輝いて見えた。これでは女子生徒が声を上げてしまうのも無理はない。
『私はディミトリ。こちらは修道士のシメオンです。私たちは冥王を倒すために旅をしています。どうかその類まれなるお力を、私たちに貸していただけないでしょうか』
『冥王を? 恐ろしくはありませんの?』
『もちろん怖くないと言えば嘘になります。ですが罪のない人々が命を奪われ、眠れぬ夜を過ごしているこの惨状を見過ごすことが出来ないのです』
『それは――』
口調もシチュエーションも実際とはなにもかも違う。でも、ディミトリはいつもまっすぐ前を向いていた。みんなを救いたい、平和な世界を取り戻したい――そこに込められた思いだけは三百年以上経ってもそのままだ。
リタは小さく息を吐き出すと、そっとランスロットの目を見つめ返した。
『分かりました。……私も、あなたと一緒に冥王を倒したい』
リタは過去を懐かしむように目を細める。ランスロットは一瞬驚いたように固まっていたが、すぐに手を差し伸べた。
『ありがとうございます。麗しきヴィクトリア――』
二人の手が触れ合ったところで照明が落ち、次のシーンへ進むためいったん幕が下ろされる。
裏方たちが大急ぎで舞台背景を入れ替えているところに、舞台袖にいた担当者が出てきて嬉しそうに拳を振り上げた。
「リタさん、ランスロット君、良かったよー!」
「あ、ありがとうございます」
「しかしリタさん雰囲気あるね。本当にヴィクトリアみたいだったよ」
「あはは……」
そりゃ本物なのでと言うわけにもいかず、リタは適当に笑ってごまかす。
次のシーンのためにいったん舞台袖へ――と移動しようとしたものの、どういうわけかランスロットが手を繋いだまま離そうとしない。
「あ、あの、ランスロット?」
「…………」
(な、何?)
これまでにないほど真剣な眼差しで見つめられ、リタはじんわりと額に汗を滲ませる。もう一度声をかけようとしたところで、担当者の小声が飛んできた。
「ふたりとも、次のシーンはそっちから入って!」
「は、はい!」
その言葉にようやく我に返ったのか、ランスロットが驚いたようにぱっと手を離した。そのまま二人揃って舞台袖に捌けたはいいが、リタの心臓は不自然な挙動を繰り返している。
(ラ、ランスロット、どうしちゃったの?)
あんなに避けられていたのに、とリタが混乱している間にもするすると舞台の幕が上がっていく。照明の下に歩み出たランスロットは、すぐさま勇者ディミトリに変貌すると高らかに拳を振り上げた。
『さあみんな、行こう!』
道行く先の街の人々を助け、憎き冥王の配下たちを鮮やかに成敗する。その際に魔法を使った派手な戦闘シーンが繰り広げられ、リタは担当者に言われた通り、終始『魔法を使うフリ』に徹していた。
こうして一行はアルバ・オウガの地にたどり着き、ようやく冥王と対峙する。
『冥王よ、今日がお前の最期となるだろう』
『人間の分際で生意気な。力の差を思い知らせてやる!』
実際はこんなわざとらしい口上などあるはずがなく、本拠地に住む配下たちを剣と魔法で蹴散らしながら玉座のある部屋へと転がり込み、なし崩し的に戦闘が始まった。あの時は、冥王に会う前にやられるかと思った……とリタは遠い目をしながら杖を構える。
だが先ほどまで勝手に放たれていた魔法が、なぜか待てども待てども現れない。
(あ、あれ? たしか舞台袖にいるって――)
さりげなくちらちらっと目で探す。すると舞台袖の片隅で、ヴィクトリアの魔法演出担当女子が顔を真っ青にして座り込んでいた。短時間でそれなりの魔法を使い続けたから、魔力切れを起こしたのだろうか。
(いけない――)
リタは一瞬で思考を巡らせると、冥王役の男子に向けていた杖を下ろし、ドン、と舞台に突き立てた。
「風の精霊よ! 我が声を聞き、我が願いに応じよ!」
台本通りのヴィクトリアの台詞。だが今だけは『本物の』詠唱だ。
「春の風、子羊を癒し、冬の風、荒れ狂え!」
風の精霊リンドビットの『無茶言う~』という怠惰な返事があり、舞台袖で倒れていた女子生徒が風によって医務室へと運ばれていく。同時に講堂内に猛烈な嵐が吹き荒れ始めた。
(うん……やりすぎたわね)
女子生徒の救助とヴィクトリアの魔法シーンを一度に両立させようとしたのだが、急いで唱えたせいか普通に大嵐になっている。想定をはるかに超えた魔法に担当者が呆然とする一方、客席は『さすがオルドリッジ! 演劇までものすごい迫力だ!』と大興奮だ。
「えーーっと、『今です! 勇者様!』」
「あ……『ああ!』」
このまま勢いで押し切るしかない、と無理やりランスロットにパスを出す。彼もまた突然の暴風に驚いていたものの、すぐさま続く台詞を口にした。





