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1.歩行

 雪が降っていた。灰色の雪が、降り積もっていた。その上には、足跡が幾つも交差していた。その一隊の人数以上の足跡が、積もって間もない雪の上にあり、また隠されていった。隊員たちにはもう、振り返る余裕すらもなかった。一寸先も見えない吹雪の中で皆、一度の躓きも起こさないようにと、足元ばかりを見つめていた。隊長だけがその一隊の中で、比較的余裕があった。しかしそれも長い経験が彼の身体を支えているだけに過ぎず、最も覚束ない足取りをしているのは彼だった。まるで重力が存在するかのように、誰もが一歩を生み出すのに精いっぱいだった。

 ここは地球ではない星、名もない星だった。地球からは140光年の距離にある、巨大な星だった。一隊は調査の為に、地球からこの星へと派遣されたのだ。しかし渡された装備は貧弱だった。隊員たちは誰一人察しなかったが、隊長だけは、その装備を確認しただけで真意を悟った。ロケットに帰り分の燃料が無いと知ったのは、60光年分の距離を、離れた時だった。それから隊長だけではなく、私たちに課せられた使命について、悟ることとなった。調査は口実でしかなく、自分たちは死ななければならないのだと。

 当然、一隊は抗った。隊長だけは特に意志はなさそうだったが、隊員たちの説得に折れ、この星で生き残る術を見つける為に、まだ食料などが僅かに残っているロケットを捨てて、移動を開始した。それから、丸二日が経っていた。その一隊には時間の経過を知る術などなかったが、自らの空腹度合から凡そそれくらいだろうという、目星があった。しかし休憩する術も暇も、その一隊には残っていなかった。そもそもこの星の平均気温は500度を超えていた。スーツがなかったとしたら、空腹以前に彼らは死に絶えているのだ。脱着はすなわち、抵抗の放棄であった。

 全貌など見える筈もない山脈の、果てなく続く斜面を横切りながら、朦朧とする意識の中で、隊員の一人は思った。前から三番目、後ろから数えると五番目になる隊員だ。 ……その結果が、これだ。抵抗すらも無駄だと悟らせるために、やつらは絶望を小出しにしてきたのだ。装備は単なる伏線でしかなかったのだ。燃料も、食料も、おまけにあのロケットだ。地球からこの星まで利用する空間移動は四回。その四回分の空間移動を耐える装甲しか、あれには施されていない。……あれは巨大な棺桶ですらない。添える花にすら、値しない。……あれは穴だ。昔、文献で見た。疫病で死に絶えた群れを捨てる為に土を掘り返しただけに過ぎない。私たちはあの穴に詰められ、腐敗かミイラ化かも選べずに死ぬ運命であり、今こうして歩くのも、虚しい延命処置に変わりない……

 吹雪は晴れる気配がなかった。晴れることを知らぬように、吹雪いていた。スーツには活動の最低限分の防御があったが、最低限以上の効力はなく、軋む音が乾いた内部に響いていた。息は、すっかり上がっていた。数メートル先まですら歩けるか分からないという心地を、延々と繰り返されていた。隊員たちの声は、一つも聞こえなかった。彼らには無線通信を繋げる気力すらも残されていないようだ。全く、同じ気分だった。涙が零れそうになったが、零れはしなかった。どうやら零れる水すらも、身体には残されていないらしい。

 標高1000メートル程度。足を取られはするが、道はなだらかだ。天候は悪い。しかしこの悪天候は、この星にとっての平常かもしれない。外気温は、分からない。これも質の悪いスーツの所為だ。果たしてこの星は暑いのか寒いのか、この雪が熱いのか冷たいのか、そもそもこれは雪なのかどうかも、何も分からない。

 最後方を歩いていた隊員が、ばったりと倒れる。これで残りが七人。誰も振り向こうとはしない。唯一外界調査の経験がある隊長を頼りに、道なき道を愚直に歩き続ける一隊と、その一隊から切り離された亡骸が一つ、雪山に残るだけだ。どちらにも悲しみの表情はない。亡骸は眠りにつくように、一隊はその眠りを妨げることがないように、距離を少しずつ離してゆく。歩みを止めず、慣れた手つきで、張ったワイヤーの切断を一隊は行う。そして互いが見えなくなる。吹雪の中に、消える。

 その最後方の隊員の前を歩いていた隊員は、同じように重くなり始めた瞼を押し上げながら、ぼんやりと考える。

 ……この調査は、栄誉だった筈だ。調査隊の中でも最高の栄誉である外界調査に携われる、数少ない機会だった筈だ。それが、どうだ。このありさまだ。一人、また一人と消えていく。……これは調査などではない。単なる、無謀だ。試験の壁を越えて見えた景色が、この無謀だ。これほどの無謀が、生存率60パーセントとずっと知らされていたんだ。我々が学んできたことは、全てこれの布石であり、全て無駄だったのだ。皮肉な名誉だ。名誉の上にある、本当の名誉の為の犠牲、そういう名誉に、この道なき道を歩かされているんだ。……あの歴史学で説明されてきた偉人。これからの偉人だと、教官は確かに言っていた。その偉人に、なるつもりでいた。いてしまった。違った。我々はその偉人を生む為の名もなき調査員。必要なのは努力ではなく、その最後の一枠に収まる運命を持つことだったんだ。……どうしてあの時、選んでしまったのだろう。これなら、まだ地球の方がよかった。地上の調査隊として、この調査隊に憧れを持ちながら、情を噛み締めているだけで、よかった。同じ隊の仲間たちと、本当の秘境とは何だろうと、自惚れっぽい理想論を広げているだけで、それでよかった。それでよかったんだ……

 そうして、一隊は自らの意識を保つ為に、思考を止めない。その思考を口に漏らしはしないが、それぞれの回路の順序で、似たような思考を辿る為、必要がないとも言えるかもしれない。後悔、絶望、走馬灯のような郷愁、友人、家族。そしてこの猛吹雪と、この無謀を考え出した元凶。中枢。体力の残量と、歩行可能な距離の出鱈目な概算。この一隊に対する猜疑心。そもそも、彼らは、人間なのだろうか?

 しかし前を歩く隊長は一人、彼らとは別の回路の中で思考をしていた。絶望は、なかった。ただこの環境に目を凝らし、そして打破の方法を考えていた。経験の為か、息の荒れも少ない。まるでこの配分であれば、この吹雪を凌げるまで辿り、果てにはこの星からの脱出も叶うかのように、歩んでいた。

 ……賭けるには、この星にしかない。頼れる筈のものが、頼れなかった。この星に見込みなどはない。しかし犬死よりはましだ。結局は、賭けだ。今までも何かに賭ける場面はあったが、これほど大きな賭けはなかった。……それでも、賭けるしかないのだ。そもそもが無謀な調査だった、ならば、その無謀な調査を企てた彼らの届く範囲の外にしか、道はない。……この星の調査が無謀だったのではない。この星に罪はない。これは作り上げられた無謀でしかない。おそらく、彼らはこの星のことなど問題外の物としているに違いない。……すまない。我が一隊として参加した者たち。弔う間もなく死んだ者もいる。この一隊の死は、全て私の罪だ。そして今の私には、心の中で謝ることしか出来ないのだ……

 後悔、郷愁、友人、家族。そして隊長の目には、懺悔があった。宇宙調査の経験という、最早何の役にも立ちそうにない誉を振りかざし、経験則という勘のみでここまで歩かせ、或いは死なせてしまった、隊員たちへの懺悔の目が。

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