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ユニバース26

作者: 日上口

「○○ってさぁ……ずっとオドオドしててキモいよね。一生モテなそ~」


 僕の話だ。


「げー、〇〇と隣とか……マジ最悪だわ」


 僕が悪いんだ。


「お前マジなんの為に生きてんの? ○○」


 僕にも分かりません。


「○○、あんたなんて産むんじゃなかった」


 ごめんなさいごめんなさい。上手に生きられなくてごめんなさい。でも死ぬのも怖くて出来ない僕はダメな人間です。



「今の君は典型的な”ニートネズミ”だ」

「——ニート、ネズミ?」


 聞き馴染みのない単語に思わず聞き返す。初対面の人間に開口一番で告げられた言葉がこれなら誰だってそうするだろう。

 しかし目の前の女医は説明を続けるでもなく、こちらをじっと見つめている。一瞬目が合ってしまって咄嗟に視線を下に落とした。

 週に一度通っているメンタルクリニック。いつもの適当な年寄り担当医が急病だとかで、代理の先生がこの人らしいのだが……同い年くらいにしか見ない上に、そのくせ如何にも勝ち組というオーラを纏ったこの人と話すことは、僕にとってはあまりにも難しい。

 陽光を恨めしいほどに取り込む談話室はBGMも妙に明るく、沈黙が続くとその軽妙な音が鼓膜を不快に揺らした。しかもこれは高校の頃、僕をいじめていた奴が好きだと言っていた当時の流行歌だ。これを聞く苦痛に比べれば時間まで女医の訳が分からない話を聞く方がわずかにマシに思えた。


「ただのニートではなく、ネズミですか」

「ええ、アナタはニートネズミ」

「はぁ……な、何かの比喩……でしょうか」


 同じ単語を繰り返すだけの女医に少し苛立ちながら、何とか話を発展させようと試みる。どうやらそれは成功したようで、女医は手元に置いていたバインダーを開き、1つの紙束をこちらに渡してきた。恐る恐る手に取る。どうやら学術論文のようだ。

 どうして良いか分からず論文と女医とを交互に見ていると「読んでみろ」と言いたげに女医は顎を数度、こちらに突き出した。


「……『ユニバース25実験』?」

「軽くでいい。一通り読んでみて欲しい」


 女医はそう言うとマグカップに口をつけた。読み終わるまで話す気はないと言っている気がして、追い立てられるような心持ちでページをめくった。

 所々難解な専門用語があって少し時間はかかったが、大体の内容は読み取れた。

 初めはよくあるネズミを使った実験だと思った。ただその環境が興味深い。十分な住処、餌、水が与えられて外敵も居ない『ユートピア』に雄雌四組のネズミを入れてその繁殖の様子を観察するという実験だった。


「……これは、『ユートピア』は現代社会ですか。先進国の」

「捉え方は人それぞれだが、君がそう感じたならそうなのかもしれない」


 女医は非常に遠回しな言い方をしたが、逆にそれが自分の疑念を確信に変えた。貧富の差こそあれ、人口の大部分が住居や食料に窮することなく、食物連鎖から逸脱し外敵に怯えずに生きていける。まさに『ユートピア』だ。

 ネズミたちは楽園の中でやがて繁殖を始める。順調に繁殖は進み、一年ほどで約600匹まで増えたそうだ。だが、そこで楽園に異変が起きた。ネズミたちの一部が社会性を失い、およそ三分の二がテリトリーも作らず、コミュニケーションも取らず、そして繁殖もしなくなったのだ。

 それがニートネズミだった。

 ニートネズミはメスに相手にされず、集団行動するオスに攻撃されて居場所を無くした。

 

「確かに僕だ」

「………」

 

 かなり痛烈な皮肉だが、不思議と怒りや悲しみは湧いてこなかった。それは実験のその後を見た後だったからかもしれない。


「君をいじめた奴らは”アルファオス”だ。君の陰口で盛り上がり、陰湿な嫌がらせをした奴らは”攻撃的なメス”だ」


 アルファネズミは、狂暴で欲深く、餌場を独占した挙句メスを見境なく犯した。あまつさえ子どもやメスさえも攻撃するようになった。

 オスが守ってくれなくなったメスは子どもを守るために攻撃的になった。しかし、やがてその子どもにさえ攻撃するようになり、追い出された子どもたちはアルファオスに襲われないようにニートネズミになった。

 やがてネズミたちは完全に社会性を失って全滅した。それが『ユニバース25』実験の全てだった。


「……これを見せて僕をどうしたいんです。どうなって欲しいんですか」


 この論文を見せた女医の意図はいまいち読めなかった。慰めか、追い打ちか。それすらも分からなかった。


「別にどうしたいということはない。この実験自体も信ぴょう性は微妙なところだ。ただ——」

「ただ?」


 女医は話しながら僕の手元から論文の束を取ってバインダーに戻した。それを追うように僕は視線を上げる。女医の目元には化粧でも隠し切れない深いクマがあった。


「実験を行った人物はニートネズミだけになった楽園を見て『美しいひとたち』と言ったそうだ」


 女医と目が合った。彼女の茶色がかった瞳はガラス玉のように綺麗だった。


「おや、もう時間になってしまいました。お薬はいつも通りにお出ししますね。お大事に、○○さん」


 その後、このメンタルクリニックで彼女に会う事は無かった。半年もしない内に僕は通院を止めた。僕の生活はあまり変わっていないが、昔のことを思い出す頻度は減った。代わりにあのガラスの瞳がいつも見ているような気がするのだ。

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