七話 山内深雪 『花占い』 part2
電話があってから約二時間後、菓子折りを持った笹島君が玄関の前にいた。
彼はお母さんに招き入れられると、そのまま私の部屋の前まで案内されてきた。
扉を開けなくていいのか、それとも開けた方がいいのか。
……正直、開けたくなかった。
怖かったのだ。クラスメイトが。
自分がどう思われていて、どんな表情をされるのか……そんな現実から目を逸らしていたかった。
扉越しにすべて終わってほしい。
要件を言い終えたらさっさと帰ってほしい。
などと思っているうちに笹島君が口火を切った。
「山内さん。突然すいません。言いたいことは手紙に書いてきたので、今すぐ読んでいただいてもいいでしょうか? あと、まあなんというか、趣味で撮った風景の写真も入れておいたので、よかったら見てください」
笹島君の言葉、その第一印象は『丁寧』である。
気づくと扉の隙間から一通の封筒が差し込まれていた。
私は恐る恐るそれを拾い、開封する。
手紙、そして趣味で撮った風景の写真と言っていたが……まったく意図が掴めない。
いや、というか……なんだろうか、この状況は。
クラスメイトの男子が電話してきたと思ったら、いきなり訪ねてきて手紙と写真を渡された……?
全く意味がわからない……ということもないかもしれないし、あるかもしれない???
大前提として、私は恋愛脳ではない。
神に誓って、そういう人間ではない
ではないが、そういうこともあるのかもしれないと思い始めていた。
ありえないと思いつつ、不安と疑念を抱きつつ、自然と胸が高鳴る。
何かが変わるかもしれないという期待が膨らんでいく。
不信感、期待感、不信感、期待感、不信感、期待感……
脳内ではそんな花占いが始まっていた。
恥ずかしいことに、この瞬間の私は結構な自信家であった。
封筒の中身は写真が一枚、そして四つ折りの紙が一枚。
ただし写真には変なメモ用紙がセロテープで貼り付けられており、こう書かれていた。
(突然の訪問で驚かせてしまい申し訳ありません。ご両親の前では話を合わせていただけると非常に助かります。風景の写真はダミーですので、ご両親への説明にでも使ってください。本題はもう一枚の方です。山内さん以外には知られたくないことだったので、このような形を取らせていただきました。騙すような真似をしてしまい申し訳ありません。しかしこれだけは信じてください。僕たちはあなたの味方でありたいと思って行動するものです。事の詳細は後ほど説明します)
そのメモを読んで写真からはがすと、通学路にある桜並木が現れた。しかし桜といっても葉桜である。おそらく去年に撮影されたものだろう。
風景写真ということは本題ではないということ。
私はすぐにもう一枚の紙を開いた。
「あの、その写真の場所まで散歩に行きませんか? 今から。天気も良さそうなので、きっといいものが見られると思います。……どうでしょうか?」
あらぁ、というお母さんの声が聞こえてきた。明らかに色恋沙汰だと思って面白がっている声音だった。
これは後になってお母さんから聞いた話なのだが、笹島君から電話があった時、彼は私との関係を盛りに盛って説明したらしい。
それはもう、勘違いしてもおかしくないくらいに。
手紙にはお母さんが想像しているような文章など書かれていなかった。
そこには全裸で縛り上げられた三品さんの画像、そして余白には微妙にズレた注意書きが赤文字で記してあった。
(念のため、この写真は児童ポルノに当たりますので速やかに処分することをおすすめします)
いやいや、問題はそこじゃない。
絶対にそこじゃない。
……いや、笹島君が気にすることもわかるけど。
わかるけど、違うじゃん。
もっと他に説明するべきことがあるじゃん。
「あの、山内さん? やっぱり駄目でしょうか?」
「まぁまぁ、深雪ちゃん。せっかくのお誘いなのだし、行ってきたら?」
お母さんの優しい声がまったく見当違いなところを通り過ぎて行った。
野球であれば空振りだが、それも仕方ないと思える。
それほどにピッチャー笹島の投げた球は魔球だった。
正直、私も困惑している。
写真の場所まで散歩に行こうと言う笹島君。
彼の言う写真の場所とは通学路の桜並木ではなくて、三品さんが囚われている場所のことだろう。
私はもう一度あのメモ書きを読んだ。
(――これだけは信じてください。僕たちはあなたの味方でありたいと思って行動するものです――)
……どう捉えたらいいのかわからない。
本当に信じていいのだろうか。
騙されているんじゃないか。
現にお母さんは見事なまでに騙されている。
この人は他人を騙すことに何のためらいもないのではないか。巧妙に私を騙して連れ出そうとしているのではないか。
でも、この写真をどう説明すればいいのか。
……わからない。
本当にこの人は味方なんだろうか。
そもそも私を助けてくれる理由はなんだろう。
それがはっきりしないせいで、どうにも信用しきれなかった。
「あの……なんで、その……えっと……」
笹島君の目的を聞こうとして声を出したものの、言葉が続かない。
外にはお母さんがいる。なんと言えばいいのかわからなかった。
「山内さん。手紙にも書きましたけど、僕たちは二人……で、やってきたんです。二人だからこそ、何とかやってこれたんです」
そう言われて私は再びメモ書きを読んだ。
そこには確かに『僕たち』とあった。
これを実行したのは笹島君だけではなく、他にも一人、協力者がいるということらしい。
「なのに今、その友人が自分を見失っている。……どうしたらいいのかわからないのは山内さんだけではありません。僕もなんです。今こうして押し掛けたのも良いことなのか悪いことなのか、僕にはよくわかりません。ただのお節介なのかもしれません」
彼が何を伝えたいのか。
正直なところ、私にはさっぱりわからなかった。
わからなかったが、彼の真摯な思いは膨大な熱量となってこの扉を貫こうとしていた。
「僕は、あなたが悪い人ではないと証明したい……ただそれだけのことなんです」
熱が私の部屋へ入ってきた。
彼の伝えたいことをすべて理解することはできなかったが、その温かさは私の体をやさしく包み込んだ。
その声音は私を説得しているようでありながら、他の誰かに対する反論のようでもあって、真心から人を思いやっているようにも感じられた。
また、それとは別に深く傷ついているようでもあった。
少なくとも彼の言う『あなた』は私のことではないのだと思った。
私は扉の鍵を開けた。
それは好奇心から。彼が今、どんな表情で扉の前に立っているのか知りたかったから。そして彼の言う『あなた』が誰なのかを知りたかったから。
しかしいざ扉を開けようとすると、向こう側から抑えられていてノブが動かない。
すかさず笹島君から声がかかる。
「ごめんなさい、山内さん。ここを開ける前に写真と手紙を持って来てください」
「えっ、な、なんで……?」
「いや、まぁその、山内さん以外の人に見られたくないんです」
「あらあら、心配性ねぇ」
「あっ、ああ、な、なるほど。わかりました」
……危ない。笹島君の忠告がなければ写真を手にしたままお母さんの前に出ていた。
私は三品さんの写真とメモ書きを封筒に入れ、さらに上着の内ポケットへ入れた。
風景写真はせっかくのダミーなので、手に持って部屋を出た。
扉の向こうには顔を真っ赤にして俯く笹島君が立っていた。
目の下の辺りがほんのり腫れていた。
お母さんも騙されるわけだと思った。