彼女はすでに遠くの
僕が大学へ入って初めて怒ったのはこの大学に付属校があることだった。あんなに苦しい受験もしないでのうのうと大学に進学してくる。それだけでそいつらがいやになった。といっても僕は東京に来たのだし、南條楓にも会ったのだ。彼女と僕は大学のテニスサークルでであった。彼女は付属校上がりですでに多くの友人がいた。だからまだ友人があまり多くない僕にとっては話しかけづらい存在だった。でも僕は南條楓に惹かれた。それはどうしようもない飛行機事故で遺書を書かねばならないのに何も思い浮かばないようなものだった。本当にどうしようもなかった。常に彼女をみていたし、彼女につきあいをもう仕掛けようとした。でも降られるのがわかっていた。生まれながらのキャラの違いというやつだ。それは雨雲が積乱雲になるがごとく、僕と彼女の間を裂いた。大学の4年間で彼女となじんできても日常会話以上の会話を彼女とはしたことがない。だがその頃には僕にはすべてがそのように決まっているのだと思い込むようになった。これは神の予定に違いない。そう思った。かのじょはすでに彼氏がいたしそいつと結婚するのだと。ただ違ったのは就職難で僕が公務員になれずに小さな印刷の営業になり、彼女が底辺の広告代理店にはいったことだった。そこで営業として顔を毎日つきあわせていれば、下心を押さえるのも難しい。
彼女の広告代理店はブランドものの小口印刷をやっており、色にはうるさかった。だから、色をチェックするために実際に彼女と僕とで営業車で印刷工場に行き確かめた。僕はコーヒーを彼女に買って渡した。
テニスサークルの友人から電話があり、彼女が彼氏と分かれたと聞いたのは、僕の行動に大きな動揺を投げかけた。チャンスだ! 食事に誘おう。そのことばかり考えていたら仕事にミスが多くなったが、深夜に彼女の会社でコーヒーを飲みながら色校正をすることがあった。僕と彼女はとりとめとなく雑談をしていた。「だから無理だといっちゃだめだから、営業は、わかる?」「物理的に無理なのはむりだよ」「ですよ」「無理ですよ」「ねえ、もうあたしたち学生じゃないの。社会人なんだから、友達じゃないのよ」「そうですね」「ああまた色が違っちゃったな。お客様に怒られる」「困りましたね」僕はコーヒーを飲んで言ってみた。「休日とかなにしてるんですか?」「寝てるわよ。平日ろくに寝てないもん」そのときだ僕にはわかったのだ。ここで飯を誘っても彼女は断る。すべては神様の思し召しだ。
「あのさ、会社やめるんだ」
次の日辞表を出して会社をさっさと辞めた。実家に帰ると怒られたが公務員に必ずなるからと言って勘弁してもらった。集中して勉強してそれでも一回失敗して公務員になった。
仕事は印刷屋よりたらたらしていた。地元に戻ると友達はみんな結婚していた。僕一人が取り残されていた。だがこれも神様の思し召しだ。ある日携帯が鳴った彼女からだった。「あのね、あたしも会社辞めたの。結婚するんだけど、結婚式きてくれないかな?」僕は断った。「ごめん年度末だけは忙しいんだ」こうした方がいいと神様は言った。多分そうなんだろうと僕は思った。