約束
「――明日、出発するんだって?」
世界統一後、帝都を離れる前日。オルバシア帝国の都、シャーナクルにある皇城内、俺にあてがわれた一室にティナがやってきた。俺と彼女はバルコニーへ出て話をし始めたのだが……彼女が開口一番に告げたのは、その質問だった。
「ああ、準備も済ませたよ」
部屋の中を見る。ベッドの横には、白いザックが置かれていた。
「ティナも、俺を止めに来たのか?」
出発前日になっても、俺を引き留める人間がひっきりなしに部屋を訪れていた。内心辟易していたのは事実だが、まあ当然だよなというあきらめの境地にも似た心情も同居していた。
「他者からすれば、今更力を追い求めても意味がないって思うところだろうけど――」
「私は否定しないよ」
蜂蜜色の髪が風で流れる。横顔が月明かりに照らされ鼓動が高鳴るほど綺麗で……戦いと共に成長した姿は、魔族にも関わらずその美貌から女神扱いとかされて、ティナ自身困惑していたっけ。
「それがジークのやりたいことなんでしょ?」
「ああ、そうだ」
「なら、存分にそれを果たせばいいと思う。それこそ、ジークへの報酬なんだから」
……ずいぶんと好意的な見解に、その時の俺は拍子抜けするくらいだった。
「ただ、私だって思うところはある」
と、顔を向けながらティナは俺へと告げた。
「一番不満なのは、一人で旅をするって表明したこと」
「自分が好きなように強くなるべく旅をするんだ。そんなのに誰かを同行させる、さすがに傲慢すぎるし俺もやりたくない」
「……ついていく、と表明した人はいないの?」
「ゼロじゃなかったよ。というか引き留められないとわかってそういう考えを持っていた人もいたな」
ティナは笑い始める。その表情を見て……俺は、安堵するような気持ちを抱いた。
オルバシア帝国に保護されてしばらくは、笑うこともなかった。力の大きさに疎まれ、かといって外に出せば他の魔族に目を付けられて利用され、兵器として運用されるかもしれない――だからこそ、飼い殺しのような形であの魔王の下にいた。
別に彼女に対し危害を加えようとした魔族はいなかったらしいが……まあ、力の大きさから手を出そうとして暴走されたらたまったもんじゃないからな。ただ、ティナは生まれてから愛されたことも、友達もいなかった。魔王の下にいた時、希望を見いだしたことが一度もなかった。
力があることで無視され、優しくされたことすら一度もなかった……度重なる訓練の中で、俺は彼女の心の内を見てしまった。だからなのか、俺は積極的に彼女を元気にするべく声を掛けた。結果として彼女は俺や仲間に恩義を感じ、優しさやぬくもりを知った故に、帝国に尽くそうと決めた。
「ティナは、当面帝都にいるのか?」
俺は質問した。元々、彼女は魔法の研究員として帝都に配属されることが決まっていたわけだが――
「うん、世界には知らない魔法がたくさんあるし、それを見たいという欲求もあるけど、当分は帝国の秩序維持を手伝うよ」
「そっか」
「……アゼルだって、それに協力して欲しいと思ってるよ?」
「百も承知だよ。それがわかった上で、俺は旅に出たいと告げた。そしてアイツは同意した」
「……そっか」
どこか諦めたような声を出した。皇帝すら引き留めても効果がない――そういうことなのだと彼女は理解した。
ティナだって、俺を繋ぎ止めるためにここへ来たのだろう。ただ、こちらの決意が固いと思って結局それを口に出すことはなかった。
風が流れる。しばし沈黙が俺達の間に生じて……次に口を開いたのはティナだった。
「……あのさ、ジーク」
「ああ」
「二つだけ、約束して欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
「俺にできることなら」
即答にティナは笑みを浮かべた……でも、その表情にどこか陰があるのを俺はすぐに察した。
視線を重ねて心を読むことはできたけど、俺はそれはしなかった……でも、何かを押し殺すような感情を秘めているのは理解できた。それはたぶん――
「まず一つ目。私達は……終焉の魔王と戦った仲間達は、今回の件で別に怒っているわけでもないし、呆れているわけでもない。色々聞いて回ったりもしたけど、ジークならそういう返答をしそうだとして、笑っている人もいた」
「聞いて回ったのか」
「うん。それで、さ。私達はいつでもジークを快く迎え入れるつもりだから、たまにでいいから帝都に顔を出して」
――そう言われて、はっとなった。俺は心のどこかで、自分本位の選択をしたし帝都に顔を出すのは迷惑だと思っていた。
「こう言っておかないと、ジークはもう帝都に寄りつかなくなるでしょ?」
「ああ、違いないな……ありがとう、ティナ」
俺にとって帝都は第二の故郷と言える場所になっていた。だからこそ、ティナの言葉は単純に嬉しかった。
それと共に、これまでのことが思い出される。魔族との戦い――終焉の魔王との戦い。それは熾烈を極め、多数の仲間を失った。大切な人達が犠牲となり悲しみを越えて、俺はここにいる。
「仲間達の墓参りもしなくちゃいけないし、な」
「そうだね……約束してくれる?」
「ああ、もちろん」
でも、この約束は果たされなかった。俺は千年後の未来へ飛んでしまったのだから。
ただ――
「それと、もう一つの約束」
「ああ」
「もし、私が……魔王として、帝国に反旗を翻したのなら……ジークの手で、止めて欲しい」
「……何?」
そんなこと、あるはずがない……そう断言できたが、彼女の答えは違っていた。
「私は、魔族。その事実は仲間だとしても変わらない。私達魔族は、人に、世界に挑み続けた種族。だからこそ、あり得ないと断言することさえ、備えるべきだと思う」
未来は誰にもわからない――だから、そんな発言をしたのかもしれない。
あるいは、千年後の未来で起きた出来事を、ティナは予見していたのだろうか……いや、さすがに俺が見た記憶の出来事なんて想定もしていなかっただろう。
ともかく、その時の俺は絶対にないと心の中で呟きつつも、
「ああ、わかった。今よりも強くなって、ティナに何もさせず止めてみせるさ」
どういう意図があるにせよ、俺はそう返事をして、彼女は笑みを浮かべた――
走馬灯のように過去の情景が駆け巡った瞬間、俺の剣はとうとうティナの杖を破壊した。
そして、剣が彼女の体へ――ティナを倒してしまうという恐怖感を抱きながら、俺は絶叫と共に剣を振り抜いた。
刃が彼女の体を通過する。手には確かな手応え。けれど、斬られた彼女は……傷一つついていなかった。
俺の刀身にある魔力。それを使い、彼女の体の内にある魔力だけを……終焉の魔王由来の魔力だけを斬った。この技法は敵を殺めず倒すためのもの。帝国のために戦い始めた時点から習得していて、これを使い俺は竜を、エルフを、そして天上の神々を倒した。けれど終焉の魔王相手に使う余裕はなかったし、そもそも以前の俺ならできなかったはず。
だが、帝都を離れて一年……その歳月で鍛錬した成果により、極めて特殊な力を持つ終焉の魔王……それに由来する力であっても、使うことができた。
だからこそ、俺は彼女の命を絶つことなく……いや、まだわからない。表面上、彼女の体に傷はついていない。しかし、加減を誤れば自我すらも消し飛ばしてしまう技術であり、俺は固唾を飲んで結果を見守る――
斬撃の衝撃で、ティナの動きが止まった。杖は砕かれ床に落ち、乾いた音が廃城に響き渡る。
そして……ティナの瞳に、光が宿った。虚ろで焦点の合っていなかった視線が、明確にこちらを射抜いていた。
俺は剣を振り下ろした体勢のまま、彼女と目を合わせる。そして、
「……ジーク?」
ティナの言葉を受け、正気に戻ったのだと俺は認識する。そこで、
「約束を、果たしに来たよ」
俺の言葉を受け……本物なのだと理解した直後、彼女の瞳から涙がこぼれた。




