弟子、もじもじする
ブランコをこいで、たくさん動いたピーリカのお腹がグゥと鳴った。近くに時計がある訳でもなく、正確な時間は分からないものの。太陽の位置から察するに、いつもならとっくにお昼ご飯を食べている時間だ。ピーリカの腹の音を聞いたエトワールはブランコを降り、平たい地面の上で両手を構えた。
「そろそろお昼にしましょう。ルルルロレーラ・ラ・リルーラ」
彼女達の目の前に光輝いた魔法陣。先ほど同様、一本の小さな木が魔法陣の中から生えてきた。だが木の成長はピーリカ達より少し高いくらいの大きさで納まり。それでも多くの緑色の葉が生い茂り、丸い形をした桃色の果実を実らせた。実から香る甘い匂いにつれられて、ピーリカはブランコを降りて近寄った。
「良い匂いがするです」
「はい、甘くておいしいですよ。なくなったら魔法で出しますから。遠慮なくどうぞ」
「食べ放題ですか!?」
「はい。お好きなだけお召し上がりください」
そもそもピーリカが遠慮なんてするはずもなく。すぐさま実をもぎ取り、薄い皮をむく。中から顔を出したのは、薄い白にほんのり黄色がかかったような色をした果肉。一気にかぶりつくピーリカ。果汁がジュワッと溢れ、口の淵から零れた。手も服も汚れてしまったが、その実の甘さに免じて許した。
「おいしいです、褒めてやるです」
「ありがとうございます……失礼」
エトワールはコートのポケットからタオル生地のハンカチを取り出し、ピーリカの服の果汁が零れた部分をポンポンと叩く。甘い果実と低姿勢のエトワールに、ピーリカは気分をよくした。
「立派な使用人になれそうですね、わたしがお姫様になった時には雇ってやってもいいですよ」
「使用人になりたいと思った事はありませんね。それに私、緑の魔法使い代表になるので。ピーリカさんだってお姫様ではなく黒の魔法使い代表になるのでは?」
「代表兼お姫様になったっていいじゃないですか。わたし天才ですから、二つの事を同時にこなせるですよ」
「なるほど……確かに多才なのは良き事ですね。しかしお姫様とは一体どんなお仕事を?」
「いっぱいドレスを着るんですよ」
むしろお姫様になりたいのはドレスが着たいからだ。
今までお姫様に係わった事もお姫様になりたいとも思わなかったエトワールは「世の中にはまだまだ私の知らない事がたくさんあるのですね」なんて言っている。
「それよりエトワール、貴様も食べろです。おいしいですよ」
「えぇ、いただきます」
まるで自分の木であるかのように言うピーリカだが、どちらかといえばエトワールの木である。だがエトワールも気にする事なく、実をもぎ取り食べ始めた。
食べ終えて残った皮と種は土の中に植える。うまくすれば魔法を使わなくとも木が生えてこないかなと期待して。
「ごちそーさまでしたですよ」
「はい、ごちそうさまです」
まだまだ木には多くの実がついているものの、お腹いっぱいになった二人。ベトベトになった手と口元はハンカチで拭った。
「さて、じゃあ次は何して遊ぶですか? 食べたばっかりだから走ったり寝たりするのは避けたいですよ」
「ならお勉強でもしましょうか」
「おべんきょう……?」
遊ぶと思っていたピーリカは、予想外のワードが飛び出し困惑している。エトワールは困惑しているピーリカに対して困惑している。
「ご存じありませんか? お勉強とは知識を得るための」
「し、失礼な。それくらい知ってるです。ただ、そんなものしなくても死にませんよ」
そもそもピーリカは勉強が好きではない。自分は天才故、勉強なんてしなくとも何でもできると思っている。
ピーリカと違い生真面目なエトワールは、大きく頷いた。
「確かに死にませんけど、勉強をした方が皆喜びますよ。親御さんも国の者達も。マージジルマ様だって、きっと喜ぶ事でしょう」
「そうでしょうか」
「勿論。勉強は自身のためにもなりますし、人のためにもなります」
師匠が喜ぶのであれば、真面目に勉強するのも手なのだろうか。そう考え始めたピーリカ。
「……師匠のためにもなるですか?」
「マージジルマ様ですか? なると思います。ピーリカさんが魔法使いとして立派に成長したら、マージジルマ様だって仕事を手伝うように言ってくるんじゃないでしょうか」
ピーリカの体に電撃が走った。
今彼女の脳内では、大人になった自分が黒の魔法使い代表としてなんかすごい魔法を使い、愚民達から称えられている。父親からは『ピーリカは天才だったのかー、ほげー、今までの無礼を許してくれしー』と泣いて謝られ、母親には撫でられて。さらにマージジルマは『さすが天才のピーリカだな。俺だけだとどうにも出来ない仕事があるんだ、手伝ってくれ。あとついでに結婚しよう』とほざいている。
ハッピーエンドな妄想を脳内で繰り広げ、期待を膨らませたピーリカ。
「じゃあ……ちょっとだけ頑張ってみてもいいです」
突然の心変わりに驚きつつも、勉強をしてくれる気になったピーリカに対しエトワールはニコリと笑って。
「では一緒に頑張りましょう。お勉強道具も持ってきましたから。今準備しますね」
そう言って木の穴の中に戻ったエトワール。
その時だ。
ビュウっ、と強い風が吹いた。
「わぁっ」
突然の風に、ピーリカは少しよろめいた。木の中にいたお陰で風に当たる事はなかったエトワールは、心配そうにピーリカを見つめる。
「ピーリカさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですけど……」
「なら良かった。これからどんどん寒くなるかもしれません。ついでに毛布も出して、包まりながらお勉強しましょう」
そう言ったエトワールはリュックサックの中から毛布を取り出す。
ピーリカは木の穴に入る事なく、地面の上に立ち続けていた。確かに怪我はなかった。しかし、ただでさえ今日は寒い日で、昼には水分の多かった果実を食べた。加えて今の突風は、彼女の体を冷やすには十分だった。
ピーリカは両手を握り、もじもじし始めた。
「ちょっとお勉強の前にお手洗いに行きたいのですが。この木にトイレは」
「ありませんよ。人工的な手入れもされてない、ただの木ですから」
「じゃあどこでしろと?」
「お外でするしかないのではないでしょうか」
「そ、そんなの恥ずかしいです! それにお外を汚すなんて悪い事です」
「大丈夫です。排泄物はいずれ自然へと還ります。恥ずかしさに関してはどうしようも出来ませんので、木陰にお隠れ下さいとしか」
「本当にどうにも出来ねーですかぁっ」
乙女的にどうしても外で用を足すのは恥ずかしいらしい。ピーリカは涙目になっている。
エトワールは再び眼鏡の淵をクイっと上げる。
「それがですね、幸いな事に一つだけ回避出来る方法があります」
「何ですか、早く教えろですよ。乙女的には漏らすのもアウトなんですよぉー」
くねくねと腰を振り、尿意を我慢するピーリカ。
エトワールはスッと、師匠達が会議をしていた建物を指さした。
「そこの建物、トイレあります。会議するお部屋は立ち入り禁止ですが、トイレくらいは許すと以前お師匠様がおっしゃってました」
「もっと早く言えです!」
ピーリカは急いで建物へと入り。すぐさまトイレへと駆け込んだ。
しばらくして、すっきりした顔をしてエトワールの元へと戻って来る。
「全く、危うく乙女として大変な目に合う所でした。ところでエトワール。あの建物の中、お風呂がなかったんですけど」
「トイレ以外にも行ったんですね?」
「代表以外立ち入り禁止ですからね。いずれ代表になるわたしが入っても問題はないはずです」
「それは違うと思いますけど……」
「そんな事よりお風呂です。どうするですか」
「こうしてボイコットしている間は入れないでしょうね」
さらりと答えたエトワールに、ピーリカは信じられないといった表情を見せつける。
「お風呂に入れないなんて!」
「まさかピーリカさん、分かってなかったんですか?」
「そんな訳ないでしょう」
勿論分かってなかったピーリカだか、当然口にはしない。




