弟子、反省する
時を超え、ピーリカが戻ってきたのは自分の家の前。空はすっかり夜だというのに、光っているのは月明かりだけ。家の中の電気がついている気配は無い。
勢いよく玄関の扉を開けた。やはり電気は着けられておらず、ピーリカは壁を伝いながらリビングへと入っていく。
「師匠! ただいま帰りました。過去の師匠は可愛げが全くありませんでした!」
「お前よりは可愛げあると思う。おかえり」
暗い部屋の中で、何をするわけでもなくただソファに座っていたシルエットが喋る。そんな師匠に、ピーリカは口を尖らせた。
「何で電気もつけないですか。お外も月明り以外真っ暗ですよ」
「バカ、普段電気つけられるのも黄の代表の力あってなんだよ」
「なるほど。でも過去の師匠、自分で何とか出来るって言ってたですよ。何とかして、さっさと電気つければいいじゃないですか」
「本当にバカだな、何とかするためにお前を過去へ飛ばしたんだろうが。お前、白代表はどうしたんだよ。見つからないのに帰って来たのか?」
「見つけましたよ、途中までも連れて来ました。けどあの軟弱、途中で帰っちゃって」
「だとしてもまた時間置いて、テクマの体力回復したら連れてくれば良かっただろ」
「いやでも、師匠何とか出来るんですよね。だって師匠ですもんね。見当ついてるって言いましたもんね」
マージジルマは窓から差し込む月明りを背景にしている。ピーリカから見てシルエットは分かるものの、影に隠れた師匠の表情は見えない。その黒の色が、彼女の期待を不安に変える。
「お前がちゃんとテクマ連れてくると思って見当ついてるって言ったんだよ。連れてきてねぇんじゃおしまいだな。いくら師匠でも出来ないもんは出来ねぇよ」
「そんなっ」
「このままいけば草木は枯れて、水は枯渇し、暖かな火も光もなく、この国の人間は欲が出るほどの体力も尽きて、とっとと死ぬんだろうなぁ」
ただでさえ不穏な空気に加え、暗闇が言葉の重みを増した。
「わ……わたしのせいですか」
「普通に考えてそうだろ。まぁ気にすんなよ。もう俺も怒る気なんてない。どうせすぐ死ぬからな。むしろ怒られなくて良かったじゃん」
「ダメですよ。師匠が怒ってくれなきゃ、わたし誰に怒られれば良いんですか」
「それは怒られない努力をしろよ。あ、これも怒ってる内に入るのかな。まぁいいや。ピーリカの事なんざ、どうでも」
自分を認めてくれる存在からの不必要宣言は、まだ幼い彼女の心を深く抉る。
「そんな、そんな……っ」
「あ、暗いから見えてないか? さっきからラミパスの奴、俺の膝上でピクリとも動かねぇんだよな。もう動物も死ぬんだろうな、きっと」
塗り重ねられていくのは、大切なものがいなくなる事への恐怖。
「……うぁあああああん、ごめんなさぁあああい」
ピーリカは大きな声で泣きながら、その場に座り込んだ。
「……ったく、ようやく謝ったか。このクソガキ」
ソファから立ち上がったマージジルマは、代わりにラミパスをソファの上に乗せた。自分はピーリカの前へしゃがみ込み、乱雑に彼女の頭を撫でる。
突然撫でてきた師匠に、少し驚きながらもまだ泣いている弟子。
最も、今泣いたのは嘘ではなく。自分ではどうしようもなくなったからだが。
息を整えながら、無理やり想いを言葉にする。
「謝るからっ、ちゃんとお勉強もするからぁっ、頑張るから、わた、わたしの事、破門にしないでください、傍に居させてくださいっ、破門やだぁああ、らみ、ラミパスちゃんも死んじゃやだよぉっ。わたしと、ししょーと、ラミパスちゃんとで、一緒に居たいです。ずっとずっと、一緒がいいっ」
姿は大人になっているものの、中身は子供のままのピーリカ。そんな彼女の姿を見たマージジルマは、暗闇である事に少しだけ感謝した。
「あー……流石にその姿で言われるとちょっと動揺するな。落ち着かないし、仕方ない。先に元に戻すか。リルレロリーラ・ロ・リリーラ」
師匠が口にした白の呪文に、思わず涙を止めた弟子。
彼女の足元に現れた魔法陣が光ったおかげで、優しく笑った彼の表情が見えた。
大人の姿のピーリカは光に包まれて、あっという間に子供の姿に戻る。
「……師匠? 白の魔法も、使えたんですか?」
「たりめーだろ。俺が白の代表なんだから」
「えっ?」
「とりあえずあれだ、寝てろ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ピーリカの足元で再び魔法陣が光る。
「えっ、し……しょう……」
急激に襲ってきた眠気の中。
ピーリカが最後に見たのは、笑いながら口元に人差し指を当てたマージジルマの姿だった。
***
ピーリカはほっぺに泣き跡を残したまま、うつ伏せになってスヤスヤと床の上で眠る。マージジルマは暗闇の中、ピーリカが肩からかけているショルダーバッグの中をまさぐる。ハンカチを手に取り、乱暴にピーリカの顔を拭いた。目元、ほっぺ、口元と順々に。
触れられた事は分かったのか、ピーリカは眠ったまま口を開いてハンカチをパクッと咥えた。
「あっコラ」
ピーリカは眠りながら、はむはむとハンカチを食べようとする。マージジルマは彼女の口の中に無理やり自分の指を入れ、ハンカチを吐かせた。
いまだに寝ているピーリカは、ハンカチの代わりにマージジルマの指を噛みだした。だがさほど力は強くなく、言うならば甘噛み状態。もし彼女が今起きたら、千切る勢いで噛むか、吐き出して「汚なっ」位言うと思われる。
マージジルマの指先には舌と唾液でぬるっとした、生暖かい感触。
彼がピピルピのような性格であれば、間違いなくピーリカの服を脱がせ始める所。
だがこの姿の彼女には見向きもしていないマージジルマは、噛まれていない方の手でピーリカの頬を強めに撫でまわした。
「んんんぅ」
ピーリカは寝たまま嫌そうな顔をして、マージジルマの指を口から離す。
ハンカチをペイっと床に放り投げたマージジルマは、弟子を抱きかかえベッドのある部屋まで運ぶ。またベッドの上に落とし、ピーリカが「ふにゅっ」と鳴いた。
布団をかけてやったマージジルマは、普段の憎たらしい顔からは想像もつかない程穏やかな寝顔を見つめる。
穏やかとは言え、どう見ても子供の寝顔。
あの頃とは違って、動揺や劣情は感じていない。
感じないったら感じない。
本当に。
嘘じゃない。
自身の頬に少しばかり熱を感じるのも、きっと気のせい。
自分の気持ちを誤魔化しながらも弟子がぐっすりと眠っている事を確認したマージジルマは、一人部屋から出てリビングに戻る。部屋の扉を閉めて、椅子の上に座る白フクロウに話しかけた。
「おい見たかテクマ、あのピーリカがちゃんと謝ったぞ。よっぽど自分じゃどうしたらいいか分かんなくなったんだな。ざまぁみろってんだ。あー、なんかスッキリした」
暗闇の中、返答をする者はいない。
マージジルマはソファの前に戻り、ラミパスの羽をブチっと一枚引き抜いた。勢いよく羽を大きく広げた白フクロウは、マージジルマの肩へ飛び乗った。
『痛いじゃないか! 君、自分が何をしたか分かってるの? 人間に例えたら髪の毛を一本引き抜かれたのと同じだよ!』
「その程度の痛みでピーピー騒いでんじゃねぇよ。話しかけてるのに返事が無かったから、またお前の本体が気絶してんのかと思ってやったんだ。むしろ感謝しやがれ」
『もっと起こし方があるでしょ。それに気絶なんてしてない。他の白の民族と一緒に、ハンモックに揺られてお昼寝してただけだ。あれっ、もう夜だ!』
「てめぇ良いご身分だな」
『体の弱い白の民族だもん。良い環境で過ごさなきゃ死んじゃうもーん』
「お前そう言っておきながら年々元気になってきてるじゃねぇか! 十年前からずっと死ぬ死ぬ言ってたくせに」
『医学が進歩してくれたからね。これでもまだお薬一日に二十種類以上飲んでるんだよ?』
「ったく……まぁいいよ。それよりピーリカが寝てる内に国の呪い解くから。ちょっと見ててくれ」
『あれ、まだピーリカには教えないんだ。本当の白の代表がマージジルマくんだって事』




