師匠、抱き枕にされる
それも割と力強く、でも苦しくない程度に、ギュッと。
しかも彼女の手は彼の手の上に重ねるように乗せられていて、足も絡ませてきている。
マージジルマが背中に感じたのは、柔らかい胸の感触。ぬくもりというより、熱さだと思った。これで手を出すなというのは、生き地獄以外の何者でもない。
ピーリカからすれば、どうせ相手にされてないんだからこれ位大丈夫だろう。なんて気持ちでいるのだが、その思いこそ今のマージジルマには伝わってない。
「ふふ、こうしてみると小さい師匠も可愛いじゃないですか。可愛いかわいい師匠、誰にも譲ってやらねーです。わたしの師匠、好き、好きですよ、だーいすきです」
彼が起きていたら絶対に言えないであろう事を言いながら、ピーリカは彼の後頭部に頬すりをした。
だが彼は起きている!
目を閉じているとはいえ、耳まで真っ赤になっているのに何故彼女は気づかないのだろうか。
「おやすみなさい、師匠」
もう満足したのか、ピーリカはそのままの体制で師匠と同じように目を瞑る。疲れと暖かさとで、すぐさま眠りについた。
マージジルマは疲れと暖かさは同じようにあるはずなのに、逆に目が冴えてきた。耳元から聞こえてくる小さな寝息のリズムは、彼の心拍音を高く上げる。
むしろこれで終わりなのか、と無駄に想像力を働かせて脳を休ませる事も出来ない。
母親の服を着ているせいか、どこか懐かしい香りの中に、自分と同じ石鹸の香りが入り混じり。知っているはずなのに嗅いだことのないその甘い香りに嫌な気持ちは全然なく、むしろ心の底ではもっともっとと欲している。これ以上嗅いだらおかしくなりそうな香りを吸い込まないように、手だけ彼女から離して自身の鼻と口を覆った。
このまま目を瞑っていれば、自分も自然と寝てしまうだろう。そう考えたマージジルマは、そのままの状態で体だけ休ませた。
無論、心は全く休まらない。
それから一時間後。二人は依然変わらぬ体勢で寝ていた。一向に眠れそうになかったマージジルマだが、時間が経って気持ちに少し余裕が出てきたようだ。自身の顔から両手を離す。
マージジルマはゆっくりと足を引き抜いて、体を動かし彼女と向かい合う形で止まる。彼女の腰元に腕を回し、胸元に顔を埋めた。これ位なら寝相が悪かったせいだと誤魔化せると思ったのだ。
二人は正面から抱き合う姿になった。マージジルマはひっそりと、いつか本物になるであろう恋人気分を味わった。
もっとこの先の事も、なんて頭の中では考えたりしたマージジルマだが。そう簡単にはいかないとも分かっていて、それ以上の動きは出来ない。だが悶々とする気持ちはまだ残っている。
「し……しょう」
やましい事を考えていた中。突然ささやかれた自分の呼び名に、思わず体がビクッと跳ねたマージジルマ。
その動きに反応したピーリカは、寝ぼけながら力いっぱい彼を抱きしめて。マージジルマの太ももの間に自身の左脚を挟ませた。
「んー……なんですか、わたしは、ここですよ」
「ちょっまっ、擦れ、おいっ」
「うるせーですよぉ……」
「マズいって、離、んっ」
マージジルマが少し彼女から離れようと抵抗するたびに、ピーリカは寝ぼけながらグイグイと自身の体の方に押し付ける。その擦れ合う体同士に、息苦しい熱が籠り。マージジルマは思わず、体を震わせた。
「――っ、ア……ンタ、まさか起きてっ」
体を起こし彼女の顔を見るも、起きている様子は全く無い。
それどころかピーリカは、幸せそうに仰向けで寝ている。月明りで照らされた彼女は、持ち前の美しさもあってひどく魅力的に見えた。寝ていてこんなにも美しいものなのだから、起きていたらどうなっていたことか。
女の子は誰でもステキな魔法使い。彼女の無自覚な桃の魔法が、マージジルマに悪い事を思いつかせる。
むしろここまで寝てたら何をしてもバレないんじゃないか、と。
欲望と罪悪感が混ざりながらも、マージジルマは思うがまま彼女に触れた。
薄手のネグリジェ越しにではあるものの。最初は肩、二の腕、そして胸元。気持ち的には焦りながらも、優しくゆっくりと触れるよう心掛けた。
それこそ起きたらどうしようだとか、考えはしたが一度触れてしまった手を止める事は出来ず。
無我夢中で彼女の服にシワを作っていく。
ブラジャーを着けていても尚、むにむにと柔らかいその胸は、いくら触っていても飽きそうにない。
「んん……」
ただ触れられた事による違和感か、快楽か、理由は分からないがピーリカは声を漏らしていた。後者と受け取り生唾を飲んだマージジルマはそっと、余裕のない顔をしながら彼女の唇に近寄っていく。
その時だ、ピーリカの右腕が勢いよく上がった。
「ハチミツフラッシュ!」
「ぐぁっ!」
突然受けた謎の攻撃。というかピーリカが普通にマージジルマの顎を殴ってきた。だが起きている様子はなく、まだ夢の中で何かと戦っている。
頬の痛みが現実を教えてくれて、ムードなんてものは消え失せた。
それに落ち着いて考えてみると、下手に彼女を傷つけるような事をして嫌われたくもない。
まだまだ長い夜。ベッドから出たマージジルマは、何故か新しい下着を持ってトイレへ籠る。
しばらくしてトイレから出ると、手に持っていた下着を風呂場の浴槽内にぶち込み。
そのまま家からも出た。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラぁっ!」
マージジルマは外に出るやいなや、黒の呪文を口にした。どうやら気を紛らわすために魔法の練習を始めたらしい。
ただ精神的に落ち着いていないのか、彼が発動したのは黄色い花を白色の花に変える呪いや、十倍の大きさに変化させる呪い。
この呪いと呼ぶにはあまり意味のなさそうな呪いの魔法は、可哀そうな事に明け方まで続いていた。
翌朝、ピーリカは美味しそうな音で目が覚めた。恐らくこれは、鳥の卵が焼かれている音。
上半身を起こし、辺りをキョロキョロ見渡す。ベッドの上には自分一人。
抱き枕にしていたはずの男は、どこにも見当たらない。
目元を擦って、ゆっくりとベッドから降りる。部屋を出て、いつも二人で食事をとっているリビングへと向かった。
「おはようですよ、師匠」
「……おはよ」
振り返ったマージジルマの顔を見て、ピーリカは驚いた。
「わぁ師匠、なんかクマがついてますよ。どうしたんですか」
結局一睡もしなかったマージジルマは、のん気な事を言うピーリカに思わずイラついた。
「寝不足だよバカァ!」
ピーリカは信じていない様子だった。彼が寝ていたかどうか、ちゃんと確認していたからだ。師匠が寝ていたからこそあんなにも甘えられたのだから。むしろ起きていたのであれば困る、と言わんばかりに眉を八の字に曲げた。
「何でですか、師匠ちゃんと寝てたじゃないですか。わたし確認しましたよ」
「それは、その。夜中に起きたんだよっ」
「知りませんよ、そんなの。それより、とっとと朝ごはん食べて、会場へ向かうですよ。遅刻したら大変!」
「アンタなぁ……将来絶対覚えてろよ!」
「何を怒ってるんですか! 天才のわたしが師匠を忘れる訳ないでしょう!」
全く言っていいほど相手にされていないような気のしたマージジルマは、自身の服の裾を掴み。
このどこへもぶつけられない気持ちを、これから出会うであろうライバルへ向けようと決めたのだった。




