弟子、師匠を脅迫する
ピーリカはフカフカなお布団の上で目を覚ました。おそらく寝ていたのは二時間ぐらい。
自分がなぜ寝たのか思い出した彼女は、ぶくっと頬を膨らませて。寝かせた本人を怒りに行く。
部屋を出てすぐ真下にある螺旋階段を駆け下りて、勢いよく引き戸を開ける。
「師匠っ、くそぅ、あっちか!」
豆電球は消え、誰もいない真っ暗な部屋の中を見た彼女はすぐに階段を上った。
日差しがたっぷり入る、大きな窓のあるリビング。フクロウのラミパスは、部屋の隅に置かれた止まり木の上に佇んでいる。
ピーリカはソファに座りながらのん気にコーヒーを啜っていたマージジルマへ怒りをぶつけた。
「師匠! よくも愛らしい弟子を呪いましたね!」
「もう一度寝かせておいた方がいいか」
「そんな事をしたら師匠が毎晩わたしに水着を着せて喜んでるって国中に言いふらすです」
「やめろ。変態だと思われたらどうする」
「思われてるも何も事実でしょうに。わたしのママと会うたびにママのおっぱい見てるのバレてるですからね! この変態!」
苦かったのは飲んでいたコーヒーか、それとも罵倒か。マージジルマは表情を歪めた。
「あれは違う。お前の母親は、その、顔が直視出来ないんだよ。緊張する」
「人見知りでもないくせに何を言ってやがるですか。とにかく、これ以上何か言われたくなければ、わたしを崇めた方がお利口さんだと思うのですよ」
「……何が狙いだ」
「あぁ、今夜はシチューが食べたいなぁ」
「作ってやりゃあ良いんだろ、作ってやるよ、クソっ!」
マージジルマは怒りながらもすぐさま立ち上がり。コーヒーを一気に飲み干して、空っぽになったカップを持って台所へ向かった。カップを流しに置いて、その横に設置されている二人暮らしには十分過ぎる位大きな冷蔵庫を開ける。
自分の思い通りに動く師匠を見て、ピーリカはご満悦。
「今のわたしはご機嫌なので、ちょっとは師匠のお手伝いをしてやってもいいですよ」
「そうかよ。じゃあ庭の野菜を取って来い」
「仕方ない。わたしが行ってやりましょう」
ピーリカはスキップしながら外へ出て、家の前にある畑に目を向ける。
「……なんか萎れてますね」
自給自足のために師匠が育てている畑の野菜は、どれも瑞々しく新鮮なものばかり。葉はそれぞれ綺麗な緑色で、大ぶりな実も色鮮やか……だったはずなのに。
昨日までの畑とは随分と姿が変わっていた。瑞々しく新鮮とは何だったのかというほど萎れている。
くたびれた葉に、実の傷んでいる野菜を眺めていたピーリカの元へ、マージジルマが怒鳴り込んで来た。
「ピーリカてめぇ水道に何しやがった!」
「水道?」
「水一滴も出ねぇぞ!」
「何でわたしのせいにするですか。わたし良くも悪くも何もしてません!」
「威張るな……って、俺の野菜がひどい事になってる! 今度は何したんだお前!」
「してねぇです!」
野菜に近づいたマージジルマは、その場にしゃがみ込み野菜の様子を伺う。そしてピーリカに背中を蹴とばされた。
だがそこまで強い力でもないのだろう。マージジルマは表情を変えず、野菜の様子を見続けた。
「この萎れ方、魔法がかかってるというよりは解けた感じだな。ピーリカじゃないとすると……マハリクのババア、とうとう死んだか?」
「何でばーさん死んだって分かるんです?」
「お前初歩の初歩も分かってないんだな。カタブラ国は代表に何かあった時、国に影響が出るんだよ」
「あぁ。前に師匠がぶっ倒れた時に、地味に嫌な事が起きたのとかですね」
「おう、お前のせいでな。で、こんな急に葉が萎れたという事は、あの時と同じ。緑代表のババアに何かがあった可能性が高いんだ」
例のチョコレート事件の事は、しっかり覚えているピーリカ。だが自分のせいだとは素直に認めず、しらばっくれる。
「それわたしのせいじゃないです。チョコレートなんて知りません」
「覚えてるんじゃねぇか。にしても、水も出ないって事はまさかイザティにも何かあったのか?」
「イザティって、青の代表の」
「あぁ。ちょっと様子見に行くか。ピーリカ、ちょっとラミパスと一緒に留守番してろ」
「シチューはどうするんですか!」
「今それどころじゃねぇんだよ」
自分より他の女を、ババアを選んだ師匠に対し、ピーリカは頬を膨らませて怒る。そんな彼女の表情を見て、マージジルマはため息を吐いた。
「仕方ねぇ。お前もついてこい」
「……良いんですか?」
「ついてきてもどうせ役に立たないだろうけど。お前に留守番を任せても何されるか分かんねぇしな。だったらラミパス一匹に任せた方がよっぽど頼りになる」
「別に一人でお留守番位完璧に出来ます」
「どうだか」
「ま、どうしてもと言うなら仕方ない。一緒に行ってやるですよ。ちょっと待ってろです」
ピーリカはバタバタと家の中に戻り、自分の部屋へと駆け込んだ。
ベッド向かいに置かれた大人向けのドレッサーの前に座って、まずは前髪チェック。それから引き出しから子供用の甘い味のするリップクリームを取り出し、ぬりぬり。
鏡に映る自身の顔を見て、にっこり。
「よし、美少女!」
ドレッサーの脇にかけられたこげ茶色のショルダーバッグを手に取り、部屋を出た。
再び外へ出る前に、リビングへと立ち寄る。止り木の上で静かに座っていたフクロウのラミパスに、小声で話しかけた。
「ラミパスちゃん、わたしは師匠とデートです。大人しくお留守番してろですよ……なぁんちゃって、なぁんちゃって!」
ピーリカは浮かれに浮かれまくって、その場で飛び跳ねている。本人相手には絶対に言わないが、彼女は師匠の事が大好きだ。ハゲても問題ない。むしろハゲたら余計モテなくなるだろう。そんな風に考えていた。実にろくでもない。
全てを知っているフクロウは、笑い声を上げないように頑張っている。
ショルダーバッグを肩から下げて、すぐさま師匠の元へ戻った弟子。待たせたわりに大したものを持ってきてない弟子に、マージジルマはしかめっ面を見せた。
「んなもん持って来なくても良いだろが」
「何言うですか。乙女は荷物が多いものなのですよ」
「お前のどこが乙女なんだよ。それにどうせその中、ハンカチティッシュにゴミしか入ってないだろが」
「ゴミなんて入ってないです。ちっちゃい鏡と櫛も入ってるですよ。わたしは乙女ですからね、大事な大事な必需品!」
「必要ねぇってのに……まぁいいか、とっとと行ってとっとと帰って来るぞ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
マージジルマの手元に小さな魔法陣が現れ、中からほうきが飛び出してきた。
彼がほうきにまたがると、ピーリカもその後ろにまたがった。マージジルマは声からして不機嫌さを表した。
「あのな、お前はお前で自分のほうきに乗れよ。もう一人で飛べるだろ」
「あらまぁ、そんな事言って。まさか師匠二人乗り出来ないんです?」
「小憎らしい事を……もういい、大人しくしてろよ」
「はーい」
彼が地面に向かって勢いよく蹴りを入れると、ほうきが宙に浮いた。上空に勢いよく浮き上がり、高く飛んでいく。
「景色が良いですね師匠」
「のん気な事言ってんじゃねぇよ。落ちても知らねぇからな」
「分かりましたよ。大人しくしてますって。ところでこれ誰のほうきなんです?」
「知らね」
誰のものだか分からないが、自分達のものではないほうきにまたがり空を飛ぶ二人。悪気はない。黒の魔法使いはそれが当たり前なのだ。
ピーリカは落ちないように、ぎゅっと師匠の背中を掴んだ。その表情は、かなり嬉しそうな笑顔。
そんな表情の見えてないマージジルマは、額に眉を寄せ。しかめっ面のまま空を飛んでいた。




