弟子、師匠をハゲさせようとする
赤、青、黄、桃、緑、白、そして黒の、七種の民族が暮らすカタブラ王国。
魔法が飛び交い、活気あるその国の安全と平和を守るのは、それぞれの民族代表である七人の魔法使い。
「ラリルレリーラ・ラ・ラリーラ! 師匠なんかぁ……ハゲてしまえぇえええ!」
そんな守られて平和なはずの国で、師匠の頭を呪った者がいた。
標高高い山奥の中、ポツンと建った一軒家のリビングで。展開される呪いの一部始終を見ていたのは、一匹の白いフクロウだけだった。
部屋の端に置かれた止り木の上に座っていたフクロウのつぶらな黄色い瞳に映る、身長132センチ程の少女。肩まで伸びた真っ黒な髪のてっぺんには、大きな白いリボンをつけている。
彼女の名はピーリカ・リララ。黒の魔法使いの弟子である。
彼女が黒いショートブーツで踏みつけているのは、三日月模様に円と線を羅列させた形の魔法陣。白く光り輝く魔法陣から出ている軽風のせいか、シンプルな黒いワンピースの裾が少しなびいていた。
顔つきも体つきもまだ幼く見える彼女こそが、今師匠にハゲろと呪った当人だ。
「よーし、これで師匠はハゲたはず。わたしを怒らせるとこうなるのです。さぁラミパスちゃん、一緒にハゲ頭師匠を見に行くですよ!」
魔法陣の外へ飛び出たピーリカは、部屋からも飛び出した。その瞬間、床の上に残された魔法陣はスッと姿を消す。
止り木から足を離し低空飛行を始めた白いフクロウを引き連れて、彼女は師匠がいつも仕事をしている地下の部屋へと向かう。レンガで出来た螺旋状の階段を、軽々しい足取りで降りていった。
窓は無く豆電球一つしか灯っていない、薄暗い部屋の中。床上は怪しげな薬品や書物で溢れ、天井上からは草花が吊るされている。そんな空気の悪い部屋の中央で、茶色いデスクに肘をつけ一枚の紙を眺めていた小柄な男がいた。身長にして、158センチ。
彼の名はマージジルマ・ジドラ。先ほどハゲになる呪いをかけられた男である。
「農産物を襲う獣を呪って退治してくれって……んなもんクワで殺せばいいだろが……金貰えるならやるけど」
今のところ異変のないマージジルマは、物騒な言葉を呟いた。
どうやらそうとう稼いでいるようだ。彼の座っている赤いクッションのついた椅子もデスクも、繊細で高級な作りになっている。薄暗い部屋の中で見ても表面の滑らかさが分かるのだから、かなり上質なものなのだろう。
だが当の本人はシワの寄った白色のローブを着ていて、自身の見た目には気を使っていない様子だった。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
マージジルマが呪文を唱えた瞬間、紙に魔法陣が浮かび上がる。これまた三日月模様に円と線を羅列させた形の魔法陣ではあったが、弟子の出した魔法陣より線が多く複雑な形をしていた。
しばらくしてスッと消えた魔法陣。次の瞬間、彼の頭上に紐で吊るされていた白い花がチカチカと点滅した。作り物の花ではなく、本物の生花だ。彼は紙を持っていない方の手を伸ばし、花を顔の前まで引っ張った。
花の根元を掴み、話しかける。
「よぉ、獣は死んだか」
『これはこれはマージジルマ様。はい、死体が転がっていたのを子息が見つけました。何とお礼を言っていいか……』
花から女の声が聞こえてきた。相手の顔は見えないが、声から察するに老婆だ。
マージジルマはニッと笑って、持っていた紙をクシャっと握りつぶした。
「礼は金で表してくれ。食い物でもいい。宝石はいらねぇ。邪魔になるから」
『えぇ。たっぷりご用意させていただきます。本当にありがとうございました』
「じゃ、期待してる」
そう言ってマージジルマは花を手放した。括りつけられている紐が伸縮し、花は再び彼の頭上へと戻る。花からは老婆の声も聞こえなくなり、光る事も止めた。
彼は握りしめていた紙を床に放り投げ、デスクの引き出しを開けた。中に入っていた大量の紙に目を向けると、一番上の綺麗な紙を手に取って引き出しを閉める。そして再び、紙とにらめっこを始めた。
「ししょーう、ハゲましたぁ?」
部屋の扉から、ピーリカがひょっこりと顔を覗かせていた。
だがマージジルマは彼女の顔を見る事はなく、紙に書かれた文字に目を通す。
「どんな挨拶だよ」
「……ハゲてない!」
真っ黒な髪の毛はフサフサ。というよりボサボサ。どちらにせよ、とてもすぐハゲそうには見えない。
「何だって急に俺のハゲを心配しだしたんだ」
言葉だけは彼女に向いているが、師匠が見るのは相変わらず一枚の紙。
ピーリカについてきた白いフクロウは、彼の右肩に止まった。それにすら反応を示さない師匠を見て、弟子は何とか彼の視線を動かそうと企んだ。
「心配はしてないですよ。今わたしは師匠がハゲる呪いをかけたので」
「何だとコノヤロー」
「でもハゲてないです」
「じゃあ失敗だな。ざまぁみろ」
「ひどい! 弟子の失敗を慰めるのが師匠の務めではないのですか」
「師匠をハゲさせようとした弟子を慰める必要なんかあるわけないだろ」
「そんな事ないです。というか天才であるわたしが失敗してるはずはないので、いずれはハゲると思います。このハゲ」
「まだハゲてもねぇのにハゲる事を前提に罵倒するのは止めろ。あと間違いなくお前は失敗してるだろうから。ちったあ自分の未熟さを理解しろ。そして俺の事を呪うな」
「理解も何も、わたしは未熟でもないというのに。それに、元はといえば師匠が弟子をほったらかしにして仕事ばっかりしてるから」
「当たり前だろ。俺は黒の民族代表だ。忙しい。そもそもお前、俺がやっとけって言った魔法の問題集やったのかよ」
彼女は当然というべく、鼻で笑って。
「わたしを誰だと思っているですか。このピーリカ・リララ、いずれは黒の民族代表となる身ですよ。あんなレベルの低い問題、やる必要性がないです」
「なるほど。つまりやってないんだな」
「時間の無駄です。そんなことよりもっと高度な魔法を教えろ下さい」
「初歩も覚えてない奴が何を言ってるんだよ。そんなだから魔法失敗するんだよ」
「わたしが失敗なんてする訳ないでしょう。仮に失敗してたとしたら、それは師匠の教え方が悪すぎるからですよ」
「言ったな? じゃあ今から高度な魔法を教えてやろう」
ようやく紙から目を放し、弟子の顔を見た師匠。
そして自分の方を見たと喜んでいる、ひねくれものの弟子。だが素直に口にする事はない。
「やっとその気になったですか。師匠はとろくさいですね。それで、何を教えてくれるですか」
「騒がしい奴を数分間眠りに落とす魔法だ」
「素晴らしい、師匠が仕事で構ってくれない時やお小言を言ったときにも使えそうですね!」
「そうだろ? まずお手本を見せてやろう。いいかピーリカ、よく見てろよ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
マージジルマが呪文を唱えた瞬間、ピーリカの足元に突如光輝いた魔法陣が現れる。
「ちょっ、師匠! かわいい弟子を呪うとは何……という……」
ピーリカはその場に座り込み、ゆっくりと両目を閉じた。
先ほどまで憎まれ口を叩いていたというのに、今では寝息を立てて眠っている。
彼女が完全に眠りについた所で、魔法陣はスッと姿を消した。
マージジルマは仕方なく立ち上がり、弟子を抱き上げる。見た目はお姫様抱っこだが、彼の心境は完全育児。しかも不本意。
弟子を抱えたまま、マージジルマは引き戸である部屋の扉を右足で蹴とばして開ける。部屋を出て階段を上ったすぐ目の前、彼女が普段寝ているベッドのある部屋まで運んだ。
行儀悪く、また足で引き戸を開けて。躊躇無く部屋の中へ入っていく。
ピーリカが起きていたら間違いなく「乙女の部屋に勝手に入るとは何事ですか!」と怒り出したであろう。勿論、怒られたとしても彼は全く気にしないのだが。
「ま、騒がしくないのも調子狂うけどな」
きっと本人に言うと調子に乗るであろう言葉を呟いた。その呟きを聞いていたのも、彼の肩に乗ったままの一匹の白フクロウだけ。
このフクロウも普通ではない。
『本人に言ってあげればいいのに。マージジルマくんも素直じゃないよね』
平然と人の言葉を発した。だがマージジルマにとっては不思議な事ではないので。
「絶対言わねーよ」
普通に返事をした。
フクロウは瞬きをしながら会話を続ける。
『この子はおだてた方が伸びるタイプだと思うけどなぁ』
「いや窮地に立たせた方が伸びる」
『そう? じゃあ今回の件は大きく成長出来そうだね』
「今回の件って何だよ」
『この子がしたの失敗なんて可愛いものじゃないから。大失敗だから』
「……何したんだコイツ」
『そのうち分かるよ。それにしても……ちょっと見てみたかったなぁ。君のハゲ頭』
「食うぞ鳥」
『ふふっ。怖い怖い』
全てを見ていたフクロウだったが、全ては教えてくれなくて。そっちの方が怖くなったマージジルマは、抱き上げていた彼女を部屋の隅に置かれた茶色い木で出来たベッドの上に落とした。
「ふにゅっ」と声を上げたものの、ピーリカは寝続けている。
まだ平和に寝ていられたのも、今だけだった事を彼らは知らない。




