弟子、お姫様に別れを告げる
俯いた弟子は部屋に入って来るなり椅子のひじ掛けの上に尻を乗せ、師匠に寄りかかる。
「おかえり。重い」
「うるせーです」
ピーリカは明らかに元気のない声で答えた。マージジルマはあえて空気を読まない。
「お姫さん喜んでたかよ」
「喜んでましたよ。最も、相手は死んでましたけどね」
「あぁ、やっぱり」
「……もしかして師匠、知ってたですか」
「白の民族って時点で、予想は出来てた。あの民族、すっげぇ虚弱体質なんだ」
「何で教えてくれないですか。嫌な人ですね」
「死んでるかもって言ってもお前信じないだろ」
「そんなことないですもん……師匠、死者蘇生って出来るですか」
「この世で一番の嫌われ者なら出来るけど、好かれてる人は出来ねぇよ。幸せになっちゃうだろ」
「セリーナの幸せは、王子の不幸でしょう?」
「そう考えれば蘇生出来る。ただ王子がお姫さん諦めて別の女を好きになった時、お姫さんの前からサイノスは消える。それでも良いんならの話だけど。お前そんな嫌な奴になれんの?」
それを聞いて、ピーリカは黙った。
自分だって、師匠がこの世から消えたら嫌だ。
セリーナはもう、それを体験している。
いくら自分が呪いの魔法使いと言えど、友達にそんな悲しい事をもう一度体験させるほどピーリカの性格は悪くない。
そう、友達なのだ。
冷静に思い返せば、セリーナも嘘をついていた訳ではない。全てを言っていた訳でもないけれど、物事を良い方に考えていたのは自分だ。
だからこそ、この胸の内のモヤモヤは一体どうしたらいいのだろう。
小さな体には少し大きすぎる気持ち。
ピーリカはセリーナを城から連れ出しサイノスの元へ連れて行った。仕事としてはそれで成功。それなのに全く嬉しくないのは、やっぱり友達だからなのか。
そんな事をグルグルと考え込んでいる彼女に、師匠からの助け船。
「お姫さんの事嫌いかよ」
目を大きく見開いて、ピーリカはひじ掛けから降りた。
嫌いではない。むしろ大好きだ。
大好きだから、正直に言ってもらえなかった事が悲しくて。
大好きだから、このままでいるのも嫌だ。
「……そんなはずないでしょう。ちょっと行ってくるです」
ピーリカは元気よく家を飛び出して行った。マージジルマは止める事なく、小さく笑った。
***
パレード隊の元へ戻り、なんやかんやパレードを終えて。ムーンメイク王国に別れを告げたセリーナとプラパは馬車に揺られて、港へと向かう。馬車はパレードに使われていたものとは違い、屋根のついた立派なものだった。
セリーナは窓の外を見つめている。しばらく見る事の出来ない景色を目に焼き付けている。
不安はない。むしろ楽しみだ。今も自分の隣に座り、何を話すべきか考えすぎて黙りこくっているプラパのおかげもあって。
サイノスにも別れは告げた。届いたかは分からないけれど。
後悔はしていない。はずなのに。
頭の中で小さな魔法使いが動きまくっている。
どうせもう会えないもの。嫌われた所で何ら問題はない。それでいいじゃない。
無理やり自分にそう言い聞かせて、セリーナはただ変わる景色を見続けた。
「セリーナぁああ!」
古びたほうきに乗って、弾丸のように風景の中に入り込んで来た小さな魔法使い。
「ピーリカ……?」
セリーナは思わず立ち上がり、窓から顔を出す。
ピーリカは彼女が自分の顔を見た事を確認し、大きく口を開いた。
「バァーーーーーーーーーーカ!」
「えっ、えぇっ?」
突然の罵倒。だがピーリカにとって、それは愛情表現。
「良いですか、初恋がほろ苦いものだと言うのなら、砂糖ぶちまけてグッチャグチャにかき混ぜてしまえばいいだけなのですよ!」
「な、なに言って」
「自分が苦く辛い想いをしたから、セリーナがわたしにあんな事を言ったのも分かってます。わたし天才なので。でも、わたしの初恋はセリーナの初恋とは違う。わたしの初恋はわたしのもの。だからこそ、まだ始まったばかりのわたしの初恋は、これからどうにかする事だってできるです。根拠なんてありません。それでも、わたしはわたしを信じてますから。誰に何と言われても、諦めてなどやるものか!」
「ピーリカ……」
「時間はかかるかもしれないし、実る頃には大人になっちゃうかもしれないけど。それでもいい。どんな事があろうとも、わたしの初恋は苦くならなかったって照明してみせるです。次セリーナがこっちに帰って来る時は、わたしは師匠を虜にしてひれ伏せてやるです。だから、期待しぶっ」
ピーリカは木にぶつかった。ぶつかった時に、ゴッと立てた鈍い音が痛みを連想させる。
「ピーリカ!」
残念ながらピーリカは、人を幸せにする魔法は使えない。
人を喜ばせるためには、自力でどうにかするしかないんだ。
セリーナが一番望んでいるのは、きっと、いつも通りの可愛い自分。
そう思ったピーリカは鼻の頭を赤くさせ、ニッと笑って。グーにした手の親指だけを空へと立てる。
「またねっ!」
ピーリカの笑顔のお陰で、安心と嬉しさが募った。まるで砂糖のように甘い、幸せな気持ち。
セリーナは彼女に向けて笑顔を返す。ただどうしてか、目から涙が溢れて、斜めに零れ落ちる。
言葉に想いを乗せて、そっと呟いた。
「……ありがとう」
ピーリカの姿が見えなくなるまで、セリーナは窓から顔を出していた。
見えなくなって腰を下ろしても、涙が途切れる事はなかった。
セリーナの初恋が間違っていた訳じゃない。悪かった訳でもない。うまくはいかなかったけど、彼女にとっては大切な思い出。捨てられない、捨てる気もない、だけど一度整理したかった、大切な思い出。
ピーリカにも嘘をついていた訳ではないけれど、結果としては裏切ってしまったようなもので、やはり心のどこかでは後ろめたさがあったらしい。
だからこそピーリカの笑顔という魔法のせいで、想い溢れて。涙零れて。
そんな彼女へ、隣から差し出されたハンカチーフ。
「セリーナ、これを」
受け取ろうとした彼女の手を、プラパはハンカチーフごと包み込んだ。
「……プラパ?」
「セリーナがあの人の事を忘れられないのは、よく知っている。忘れろと言うつもりはないし、そのまま好きでいて構わない。けれど……ほんの少しだけでもいい。僕の事も好きになってくれないかな!」
真っ赤な顔した彼のその顔はどう見ても、親に言われたからでも、国のためにでもない。
「何、言ってるの」
「や、やっぱり無理?」
「もう十分好きよ!」
セリーナは勢いよくプラパに抱きついた。涙は流していたものの、その表情は笑顔だった。
初恋は実らなかった。けれど、初恋と同じくらい大切な想いをくれる人が傍にいてくれるのだから。
彼女の恋物語は、ハッピーエンドと言ってもいいじゃないか。
***
ピーリカは師匠の元へ戻った。鼻を赤くし土で汚れた弟子を、普段のマージジルマなら怒っていたかもしれない。ただピーリカがニコニコと笑っているものだから、彼も思わずフッと笑って。
「コーヒー飲むか?」
「わたしミティーがいいです」
「何だそれ」
「知らないのですか? 甘くておいしいオシャレなお紅茶ですよ」
「うちにあるわけねぇだろ、そんなもん」
「これだから師匠は」
いつも通りの日常へと戻っていく。




