弟子、お姫様にあーんする
リビングへと戻ると、師匠が両手に掴んでいた皿を机の上に置いていた。
「ん、出たか。ちょうど出来たぞ」
机の上に並べられた湯気踊るスープ。黄緑色の葉と黄色い豆が入っていて、見た目はとても質素。先ほどの香りの正体は、これ。
その横には平たい皿に乗った丸いパン。
小さな女の子であるピーリカは、パンを半分に千切ってマージジルマの皿に乗せる。
「師匠、これあげるです……いっぱい食べて大きくなりやがれです……」
珍しくおずおずとした様子の弟子。マージジルマはすぐに感づいた。
「お前どこで何食ってきた」
「し、師匠には縁遠いスイーツですが、わたしの意思じゃないです。悪い奴らに無理やり食わさせられたですよ」
「知らねぇ奴から食い物貰うんじゃねぇよ」
「食わさせられたです!」
「はいはい。とっとと食え」
「本当なのです……いただきますですよ」
ピーリカは椅子の上に座ると、早速スプーンを手に取った。スープをすくい、口の中に一口流し込む。素朴ながらも優しい味が、口の中いっぱいに広がった。
「ん、何してるですかセリーナ。早く座って食べろです」
「え、えぇ。いただくわ」
ピーリカの隣に座ったセリーナは、ピーリカが美味しそうにパンをほおばる姿をジッと見つめて、ようやくスプーンを手に取る。
「おいしいですよ」
「そうよね、すごく美味しそう」
そう言っているものの、セリーナの手は震えている。
彼女達の真正面に座ったマージジルマは、同じようにスープを一口飲んだ。視線をスープに向けたまま、セリーナに言う。
「いーよ。疑うのも無理ないし、俺は傷つかない」
「いえ、その……すみません」
スプーンを持つ手を少し下げ、俯くセリーナ。ピーリカは口に入れていたパンを飲み込んでから口を開く。
「セリーナ、師匠を疑ってるですか? 大丈夫ですよ、師匠はロクデナシですがご飯の腕は悪くないです」
「誰がロクデナシだ。つーか、お姫さんが疑ってるのは味じゃない。毒が入ってるか入ってないかだ」
「毒!? んなもん入ってたらわたし食べられません。同じ釜の飯ですよ」
「バカ、俺達呪いの魔法使いだ。個人の飯に毒入れると思われたっておかしくないだろが。お姫さんだし、そういう教育されてんだろ」
「おぉ、なるほど。んん、いえ。わ、分かってましたよ?」
どうしてすぐバレる嘘をつくのか。思いはしたが、マージジルマは口にはしなかった。
ピーリカは自分の皿に入ったスープをすくう。
「でもそれなら、わたしが食べたご飯食べればいいですよ。大丈夫、わたし病気持ってません」
「えっ、で、でも」
「あーん」
ピーリカはセリーナの顔の前にスプーンを上げた。確かにピーリカの食べたものなら、毒味は済んでいるのと同じ事。
はしたないかもしれないが、空腹には勝てない。
「あ……あー」
パクリと口の中に運ばれたスープ。
食べさせてもらったというのは、少し気恥ずかしさもあった。毒の味は全くしない。薄めの味付けだが、体には良さそうだ。
マージジルマはジッとピーリカを見つめる。
その視線に気づいたピーリカは、顔が赤くなる前に憎まれ口を叩く。
「何です師匠。師匠には師匠のスープがあるでしょう。そんなに見ないで下さい。浅ましい」
「別にスープが欲しい訳じゃねぇ」
「じゃあ何です」
「……ピーリカがままごとしてるようにしか見えねぇなと思って」
「ほほう。わたしがママですね。悪くないです。セリーナが子供で、師匠は犬でいいですか?」
「いいわけあるか」
ここで師匠をパパと言えないのがピーリカの可愛い所である。
セリーナは自分の目の前にある皿に手を添えた。
「ありがとうピーリカ。もう自分でいただくわ」
「はい、ゆっくり食べろです」
安心したピーリカは、ちまちまとパンを食べ始める。表面は少し硬いが、中はふっくら。ジャムやバターをつけなくとも、素材の甘味が香りと共に舌を楽しませる。
セリーナも同じものを食べているが、背筋を伸ばしパンを手でちぎって食べている。その姿はまさしくお姫様。
「ごっそさん」
誰よりも早く食べ物を胃袋に流し込んだマージジルマ。この男は時間すら無駄にしたくないのだ。一人立ち上がり、皿を片す。
洗う所まで済ませ、水で濡れた手をタオルで拭いた。
「ごちそうさまでしたですよ」
マージジルマは食器を運んできたピーリカを、再びジッと見つめる。
「何です師匠。ようやくわたしの愛らしさに気づきましたか」
「んにゃ、よくやった」
乱暴にピーリカの頭を撫でたマージジルマ。驚いたピーリカはくるりと背中を向けて、逃げた。
「頭が! 汚れた!」
「何だとクソガキ!」
ピーリカは怒られても止まる事なく風呂場の方へ向かった。脱衣所に設置された鏡に映る、自分の顔の赤いこと赤いこと。
そんなピーリカの元に、スーッと飛んできた白フクロウ。
「何ですかラミパスちゃん、あぁ、餌の時間ですね。さては師匠よりわたしに食べさせて欲しくて来たですね。お利口さんです」
いや食べさせてくれるなら誰でもいい、とは思ったが喋れない設定なので黙ったままのラミパス。
ピーリカは自身の両頬をぺちぺちと叩く。熱を冷まして、ラミパスを両手で抱え師匠の元へと戻った。
「師匠、餌ください!」
「なんだピーリカ、やっぱり足りなかったのか」
「わたしじゃない、ラミパスちゃん! というかわたしが食べるのは餌ではなくご飯と言えです!」
「ピーリカもラミパスも似たようなもんだろ」
「全然違う!」
「へーへー。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
マージジルマの顔の前に現れた魔法陣。彼はその中に右腕を突っ込んだ。そして左手で流しの脇に置かれていた四角い容器を持つ。
『ぎゃあぁぁああああ』
魔法陣の中から何かの叫び声が聞こえた。だがマージジルマもピーリカも驚かない。ただ一人、少し離れた場所でまだパンを食べているセリーナだけが青い顔をしているが師弟は全く気づいてない。
腕を引き抜いたマージジルマの手の中には、赤い血滴る薄い生肉。魔法陣が消えた事を確認し、容器の中にそれを入れる。
血まみれの手を洗い、肉をペティナイフで一口サイズにカット。肉の上にピンセットを添えて、ピーリカに渡す。
容器を受け取ったピーリカは、反対の腕でラミパスを抱えた。ラミパスを止り木の上へ連れて行き、ピンセットで生肉を摘む。
「はいラミパスちゃん、あーんですよ」
生肉を啄むフクロウを見て、ピーリカはため息を吐いた。
「ラミパスちゃんは何にも悩みがなさそうで良いですねぇ……」
僕にだって色々あるんだけどなぁ、とは思っていたものの。やっぱりラミパスは喋らなかった。
ベッドよりも背の高いセリーナは、ヒザを折り曲げて横になる。一緒のベッドに入ったピーリカは、彼女の体を気遣った。
「狭いですか。やっぱり師匠のベッドを強奪してくるですか」
「大丈夫よ。気にしないで」
「そうですか。ならゆっくり休んでください」
「えぇ。ところでピーリカ……さっきのラミパスちゃんのご飯の時に聞こえた声って」
「なんで寝る前にそんな事聞くですか。おねショしちゃうですよ」
「聞いてはいけない事なのね?」
「いけない訳じゃないですけど、知らない方が幸せな事もあるですよ。大丈夫、人間ではないとだけ言っておきましょう」
余計気になったが、これ以上深入りするのもよくないと判断したセリーナ。
「何も聞こえなかった事にするわ」
「それが正解です。さぁ、早く寝ましょう。早く寝ないとお肌が荒れるのです」
「ふふっ、そうね。おやすみなさい」
セリーナは疲れていたのか、いつものお姫様ベッドと比べかなり質の悪いであろうピーリカのベッドでもすぐに眠ってしまった。
一方のピーリカは全く眠れなかった。
さっきの師匠の行動は、一体何なんだ。師匠がいきなり自分の頭を撫でるなど、今までそんな事は一度も無かった。撫でられたのは嬉しいけれど、やっぱりおかしい。けれどその理由を聞いても、きっと師匠は教えてくれない。
それに今日は、計算外な事があった。
テクマというライバルになりかねない相手がいた事だ。いくら相手が男だか女だかもよく分からないと言えど、それが恋人関係にならないとは言い切れない。
などと考えて。
「よし……セリーナ、ちょっとごめんですよ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
彼女達の体の下に現れる魔法陣。光に包まれたピーリカはセリーナの姿へと変身した。目の前に眠るピーリカの体には、セリーナの魂が入っているのだろう。
自分の愛らしい寝顔に惚れ惚れしつつも、ピーリカは師匠から真実を聞き出すためにセリーナの体で部屋を出た。




