弟子、脱走する
今度は呪文を成功させたピーリカ。ドラゴンの額に、白く輝く魔法陣が浮かび上がる。
水を吐き出す事は止め、ゴゴゴゴゴゴゴっ、と音を上げ体を浮かせた元噴水。重そうに見える石の体。それでも何故か滑らかな動きをするドラゴン。ピーリカを口で咥え、ひょいと自身の体の上に投げた。
「乱暴ですね。まるで師匠のようだ。まぁいいでしょう、とっとと行くです!」
ピーリカの掛け声と共に、ドラゴンは石の翼を羽ばたかせ。勢いよく、空へと飛んだ。
「噴水が!」
「飛んだ!」
兵士達の声が、どんどん小さくなっていく。ピーリカは落ちないように、ドラゴンの体にしがみつく。冷たいドラゴンに触れて、絨毯にすれば良かったと後悔した。
家の前まで戻ってきたピーリカはドラゴンから飛び降り、家の扉を開ける。
「ただいまですよー」
「ピーリカ!」
セリーナはリビングから飛び出し、ピーリカの元へ駆け寄る。ドレスの裾を摘んで、いかにもお姫様が走るスタイル。
ピーリカは扉を開けたまま、セリーナにドラゴンを見せる。
「セリーナ、これ返すです」
「まぁ、うちにあった噴水の石像じゃない」
「返すです」
「ここで返されても困るわねぇ……」
「というかこれ要ります? そんなにステキなものでもないと思うのですが、捨てても?」
「どうしても要るものでもないけど、捨てられるのも困るものだわ」
「じゃあ適当に返しておくです。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ドラゴンは上空に現れた魔法陣の中へ、吸い込まれるよう入っていく。
無事元の場所に――なんて魔法がピーリカに使えるはずもなく。ムーンメイク王国の城門前に現れたドラゴン。再び石像と化し、外へと繋がる道を塞いでしまった。
余談だが、このドラゴンの石像を移動するための作業費は、のちに師匠であるマージジルマの元へ請求される事をピーリカはまだ知らない。
魔法陣がスッと消えた事を確認したピーリカは、セリーナの様子を伺う。
「これでよし。大丈夫ですかセリーナ。師匠に変な事されてないですか」
「えぇ、何も」
「変な事してないですか」
「あら、疑われてる」
「冗談です。きっとセリーナはそんな事する奴じゃねーです」
セリーナの笑みが少し薄れた事に、ピーリカは気づかない。
「そう……じゃあ、どんな事ならするように見えるのかしら」
「セリーナですかぁ? そうですねぇ、少なくとも誰かを呪う事はしないでしょう」
「ふふ、そうね」
「そういやセリーナ、明後日結婚するですか」
「え? ううん、明後日に国を出なきゃってだけ。正式にはもう少し先よ」
「そうですか。でもそうなると、今まで以上に追ってがいっぱい来るですね。気をつけないとです」
「そうね。だから急いで……サイノスの所に行かないと」
「はい、駆け落ちってやつですね。精神的に王子ボコボコ大作戦、スタートです」
「な、なるべく優しめにね……!」
そんなセリーナの後ろで、マージジルマが廊下の壁にもたれ掛かって立っていた。
「そのサイノスって奴は駆け落ちする気ないかもしれねーだろ」
ピーリカは両頬を膨らませて怒る。
「何でそんな意地悪言うですか師匠。自分がモテないからってそんな言い方しないで下さい」
「意地悪じゃねぇよ。考えてみろよピーリカ。お姫さんの一方通行、自己満足って可能性だってあるだろうよ」
「一方通行って……片思いって事ですか? セリーナ」
信じられないと言わんばかりに、ピーリカはセリーナの顔を見た。当のセリーナは困った表情をしていて。
「私の気持ちは伝えられなかったから、片思いと言えば片思いね。ただ、サイノスも私を好いてくれていたとは思うんだけど」
「じゃあ問題ねーです。付き合っていようとなかろうと、好き同士が一緒にいるのが一番ですよ」
「ピーリカ……ありがとう」
嬉しそうな顔のセリーナに、ピーリカは満足気だ。
ただ一人、マージジルマだけがため息を吐く。
「知らねーからな」
「何なんですか師匠は。さてはわたしがセリーナとばっかり仲良くしてるから寂しいですね。仕方ない、かまってやりましょう。お手」
師匠に向けて右手を出したピーリカ。マージジルマは彼女の言動を無視し、キッチンに立った。流し裏に設置された大きな冷蔵庫を開く。
「無視するなです。今日のご飯は何ですか」
「野菜と豆を煮たやつ」
「いつものですね。でもいつもと同じじゃダメですよ。セリーナの分も必要なのです。材料ちゃんとあるですか?」
冷蔵庫から黄緑色の葉の球を取り出したマージジルマは、にんまり笑う。
「ある。むしろちょっと得した。その分くらいなら泊めてやってもいい」
「得って」
「お前が連れて行かれた後、姫さんと街の前を通ったら何故か民族共が食料くれた。タダでいいって」
「それ何か勘違いされてませんか。セリーナが師匠の彼女だと思われてるんじゃ」
「そうかもな」
「そんな、セリーナに迷惑かかるじゃないですか。否定しに行きましょう」
「そうしたら食料返さなきゃだろうが。勘違いした奴が悪いんだよ」
「タダに惑わされるなです!」
「うるせぇな。それより風呂にでも入ってこい。お前、何か薄汚れてる気がする」
自身の体を見回し、ピーリカは頭を触る。暴れまくったせいで、確かに汚れているかもしれない。これじゃあオシャレ魔女の名が廃る。別に誰かがそう呼んだ訳でもないけれど。
「汚れていても可愛いわたしですが、キレイな方がもっと可愛いですからね。入ってくるです。そうだ、セリーナも一緒に入るです」
「おー、そうしろそうしろ」
勝手に話を進める師弟に、セリーナはうろたえる。
「ありがたいけど、替えのお召し物もないし」
「何だ師匠、結局服買ってあげてないですか。ケチですね」
葉の球を流しに置いたマージジルマは「ケチじゃねぇっての。ちょっと待ってろ」と言い別室へと向かった。しばらくして、白い布を持って戻ってくる。
「何ですそれ」
「俺の服」
「師匠のボロボロシャツなんか貸せるはずないでしょう。それとも何ですか、若い女の子に自分のシャツ着せて喜ぶ変態なのですか。そんな事セリーナにさせないで下さい。仕方ないですねぇ、可愛い弟子が犠牲になってやるですよ」
ちょっと着たい欲もあったピーリカは手の平を師匠に見せる。マージジルマは彼女を無視し、セリーナに自身の服を押し付ける。
両頬をパンパンに膨らませたピーリカを見て、セリーナは申し訳なさそうな顔をした。
「えっと、ごめんなさいね。ピーリカ」
「セリーナは悪くないのです。でもセリーナ、下着もないでしょう」
「えっ、えぇ」
女性下着の話が出ても、マージジルマは全く動揺していない。それくらい彼女達を女性として見ていないのである。
「一日くらい同じの着てたって死にゃあしねーよ」
「これだからデリカシーのないクソ男は。女の子なのですよ。一度着た下着を洗濯せずにもう一度着るなんて不衛生です。そうだ、ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
セリーナの身長と同じくらいの楕円形の魔法陣が現れる。ピーリカはセリーナの背中を押し、魔法陣をくぐるよう促した。
セリーナは言われるがまま魔法陣をくぐり抜けた。特に見た目は変わっていないものの、とある違和感に気づき、勢いよくしゃがみ込んだ。顔を真っ赤にして、胸元を両腕で隠す。
「あっあっあの、ピーリカ? これって」
「もうちょっと待って……あ、出ました」
魔法陣の中から、白い物体がぺいっと放り投げられた。フリルのついた、上下セットの女性用下着。師匠も呆れている。
「なんつー呪いかけてんだよ」
「だってこうしないと用意出来ないです。それとも師匠が買ってくれたですか」
「そのままでいい」
「酷い男ですよ。さ、セリーナ。これを着るです。ツルツル生地の大人用の下着ですよ。良かったですね」
首を左右に振るセリーナ。涙目だ。




