弟子、魔法をかけられる
こじんまりとした玄関の前。ピーリカは何故か扉に背を押し付けて立つマージジルマに声をかけた。
「師匠、ドアは優しく閉めなきゃダメですよ」
「うるせぇな、それより部屋行ってろ」
「理由もないのに師匠のいう事など聞きません」
プイと顔を背けたピーリカ。マージジルマも、このクソガキが素直に言う事を聞くとは思っていない。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ピーリカの背中で光る魔法陣。次の瞬間、彼女の体はふわりと浮いた。ラミパスは自身の翼を動かし、マージジルマの頭の上へと移動する。
「うわっ、何故かわいい弟子を呪うですか!」
「本当は無理やりどっかに閉じ込めても良かったんだろうけど、それだとお前脱走しそうだし。降ろしてほしかったら大人しく部屋行くって言え」
「説明しろです!」
「変態が来た。部屋に隠れてろ」
「変態? この世に師匠以上の変態がいるのですか?」
「俺は変態じゃない」
『ちょっとマー君、何で閉めるの!』
外から聞こえたドンドンと扉を叩く音と女の声。マージジルマは全身で扉を抑えていた。
「誰ですか」
「シッ!」
マージジルマはピーリカを黙らそうとするも、時すでに遅し。
師弟の声が聞こえたのか、女は扉向こうで声を上げた。
『ピーちゃん、そこにいるのね! 私、ピピルピ・ルピル。桃の民族代表で、貴女の恋人、ピピルピよ!』
ピーリカは首を傾げ、眉を顰める。
確か桃の民族というのは、カタブラ国の中でピーリカ達が暮らす黒の領土の隣に位置する、桃の領土に暮らす者。代表という事は、マージジルマと同じで桃の民族を守る魔法使い代表という事だ。
だがピーリカは、その桃の魔法使いとは今だ面識がなかった。代表だけではない、他の桃の民族とも会った事はなかった。
それなのに恋人とはどういう事か。ピーリカは一応、師匠に確認を取った。
「ピーちゃんってわたしですか?」
「多分」
「わたし、恋人いません。今はまだ」
「気にするな。コイツは自称、全人類の恋人だ」
「それって師匠も」
「含まれてるけど、俺コイツの事恋人だと思った事ない」
「でしょうねぇ。師匠はそもそもモテそうにないじゃないですか」
師匠の事を鼻で笑ったピーリカだが、内心めちゃくちゃ安心していた。なんせ変態とはいえ、師匠の近くにいて初めて見た女の影だ。
マージジルマは扉から片手を離し、動物を追い払うようにシッシッとピーリカを追い払う。
「失礼な事言ってないで、部屋行ってろ。ドア突破されたら舐められるぞ」
「このわたしに舐めた口を聞くなど、ふざけた女ですね」
「違う」
「違う?」
「物理的に舐めてくるんだ。しかも全身」
「全身!? ばっちいですね。動物にならまだしも、人間に舐められるの嫌ですよ」
「そもそも桃の民族ってのは、年がら年中発情してる奴らだから」
「はつじょうって何ですか」
「頭の中がエロでいっぱいって事だ。しかも相手は誰でも良いと思ってやがる奴が大半。なんなら人間相手じゃなくてもイケるって奴もいる。犬でもタコでも、その辺に転がってる石とかでも興奮する」
「それは変態だ。ただでさえモテモテ美少女のわたしですからね。逃げるですよ」
「お前がモテてる所見た事ねぇけど、まぁ逃げろ」
「師匠は逃げないんですか。まさか舐められたいと思ってるんです? 師匠も変態?」
「バカ。お前を助けようとしてやってんだよ」
マージジルマの発言に思わずトキめいたピーリカだが、それを顔や態度に出す程の素直さはない。
「……ほほう、良い心掛けですね。その調子でわたしを崇めて良いんですよ」
「誰が崇めるかよ。いいから早く部屋行け」
「分かりましたよ。わたしは優しいですからね、その位のお願いなら聞いてやってもいいです」
「大抵自分で自分を優しいって言う奴にろくな奴はいねぇ」
「わたしの優しい心を理解出来ないとは、やっぱり師匠はダメですね。全く」
浮いているピーリカは空中で器用にクロール。Uターンをし、避難しようとしていた。しかし。
『ピーちゃん! 一緒においしいお菓子を作りましょう!』
お菓子、と聞いてピーリカは動きを止めた。
マージジルマは扉越しに怒鳴り声を上げる。
「何が菓子だ、どうせ媚薬とかぶち込むんだろ!」
『あら、マー君はそれがお望みなのね。分かったわ』
「違う!」
『照れなくていいのよ。私はどんな貴方でも受け入れるわ。何ならマー君も一緒に作りましょう。三人でチョコまみれになって、全身舐めあいっこするの。ステキ!』
「それが目的か、絶対行かねぇ。つーか、いい加減そういう事すんのは一人とにだけしとけって。誰とでもいいから適当な奴と結婚して身を固めろよ。いい歳だろ。シャバあたりで良いんじゃないか。悪い奴じゃねぇし、やることやってんだろ!」
『いい歳ってね、ちょっとマー君よりお姉さんなだけじゃない。確かにシーちゃんは好きだけど、私は結婚なんてしないわ。皆の事が大好きなんだもの。マー君の事も好きよ? だから扉開けて頂戴、そしてディープな方のチューしましょ』
「迷惑!」
師匠と変態が対立している間に、ピーリカは玄関隣の部屋にやってきた。窓を開けて、家の中から脱走する。
家の前に居たのは、海辺でもないのに紺色ビキニ姿の女。腰元まで伸びた長い桃色髪に、いかにも魔女がかぶりそうな紺色三角の帽子をかぶっている。その帽子を外したとしても、身長はマージジルマより少し高め。全体がぺったんこなピーリカと違って、胸が大きくスタイルが良い。
「おい貴様、お菓子寄越せです」
偉そうな態度で女に近づいたピーリカ。
女、ピピルピは笑みを浮かべた。
「まぁ、貴女がピーちゃんね。マー君弟子とったって言ったものの、全然会わせてくれないんだもの。でも貴女から会いに来てくれたのね? 私嬉しい!」
「誰がピーちゃんですか。いいからお菓子寄越せです。あ、舐めたら呪うですよ」
扉越しに話し声が聞こえていたマージジルマは、勢いよく扉を開ける。
だが手遅れだった。
彼の視界に入ったピピルピは、にっこりと微笑んでいて。浮いているピーリカの両頬を優しく手で包み込んだ。
「リリルレローラ・リ・ルルーラ」
唱えられたのは、桃の呪文。ピーリカの両目の中に魔法陣が浮かんだ。
マージジルマは頭を抱える。
「ピピルピ、そいつをどうする気だ」
「どうって、さっきから言ってるじゃない。私はこの子とお菓子作りたいの」
「別にそいつじゃなくったって良いだろ」
「何言ってるの。ピーちゃんはこの世にたった一人しかいないじゃない。私は彼女とお菓子作りたいの。ううん、お菓子じゃなくてもいい。仲良くなれれば何でもいいわ。とにかく、まだ何も知らない無垢な子を私好みにしたいの!」
「バカ!」
ピーリカはピピルピから離れ、宙を泳いで、師匠の頭を叩いた。ピーリカの視線は定まっておらず、どう見ても正気ではない。
「わたしの恋人に何て口を聞くですか、この短足!」
「師匠になんつー口を……今怒っても無駄か。淫乱魔法、記憶残らないもんな」
マージジルマから軽蔑の目で見られたピピルピは頬を膨らませ怒る。見た目は愛らしいものの、中身はただのド変態だ。
「失礼しちゃう。淫乱じゃないの。桃の魔法は愛の魔法よ。黒の魔法は人を幸せに出来ない。そんな魔法しか知らないピーちゃんに、私は愛を教えにきたの」
「ただの操り魔法のくせに、何が愛だ」
「それよりピーちゃんにかけた呪い解いて頂戴。浮かれてると色々手を出しづらいの」
「出すなよ。ピーリカが反省して俺の言う事聞くようになったら解けるようになってる。まぁ、コイツひねくれものだから、そう簡単に反省しないけど」
「大丈夫よ。ねぇピーちゃん。マー君に謝れるわよね」
「あっ、ズル」
ピピルピに向けて大きく頷いたピーリカ。これも操り魔法のようだ。
ピーリカはマージジルマの顔を見て、ペコリと頭を下げた。
「師匠、謝ってやるです」
「偉そうなんだよなぁ……」
それでも一応謝ったおかげか、ピーリカは地面の上に降りた。背中で光っていた魔法陣はスッと消えた。
ピーリカはすぐさまピピルピに抱きつく。
「抱っこしろです」
「まぁ、わがままさん。でも可愛いから許しちゃう」
「いいから、こんな男放っておいて行くですよ」
ピピルピにお姫様抱っこされたピーリカの目はハートマークになっていた。
自分が愛されている事に喜ぶピピルピは、嬉しそうな顔をマージジルマに向ける。
「ピーちゃんったら、そんなに早く私と二人っきりになりたいのね。仕方ない子。じゃあマー君、ピーちゃん借りてくわね」
「借りるってんなら、ちゃんと返せよ」
「寂しくなったらいつでも来て頂戴。混ぜてあげるわ」
「絶対行かねぇ」
ピピルピはピーリカを抱っこしたまま、自分の家がある桃の領土へと向かって行った。