弟子、獣に追いかけられる
赤、青、黄、桃、緑、白、そして黒の、七種の民族が暮らすカタブラ国。
その国の安全と平和を守るのは、それぞれの民族代表である七人の魔法使い。
「ひょあぁあああああああ! 何で追いかけてくるですかっ、ちょっと魔法の爆発が当たって貴様の巣をぶっ壊しただけでしょう!」
守られて平和なはずのその国で、一人の子供が獣に追いかけられている。理由は今彼女が説明した通りだ。
肩まで伸びた真っ黒な髪をなびかせながら逃げる幼い少女。身長にして、123センチ。
黒くシンプルなデザインのワンピースを着、ショートブーツを履いている彼女は、いつもなら愛らしく整った顔立ちをしている。しかし今はその顔を歪ませ、草木に囲まれた山奥を駆けまわっていた。
彼女の名はピーリカ・リララ。黒の魔法使いの弟子である。
彼女を追いかけているのは、茶色く長い毛に特徴的な低い鼻をした大きな体の獣。
ピーリカは走りながらも獣を罵倒する。
「こっち来るなです、あっち行けです。いくらわたしが世界で一番愛らしいからと言って、食べようとするなですよ! どちらかと言えば貴様が食べられる側です。何故こちらを食べようとするですか。むしろ食べてはいけないと分からないなんて、とってもおバカさんです。バーカバーカ! 言っておきますが、愛らしさとおいしさは別ですからぁああああああ」
伝わらない罵倒。獣は彼女を狙い真っ直ぐ走る。
木の下に追い込まれたピーリカは、まさに絶体絶命の状況になっていた。
「貴様、このわたしを誰だと思ってやがるですかっ。わたしは黒の魔法使いの弟子である天才美少女なのですよっ。そんなわたしに牙を向けるなんて許されると思ってるんですか! ひれ伏しなさい!」
こんな状況下でもピーリカは獣相手に偉そうな態度をとる。弟子入りしたばかりの彼女には、魔法でぶっ倒そうという考えは思いつかない。だが彼女には獣より自分の方が強いという自信はあった。何故そんなにも強気でいられるのだろうか。答えは簡単、彼女はかなりの自信家だからである。
ただ、どんなに彼女に自信があっても獣はひれ伏す様子など無く。ピーリカに向かって勢いよく襲い掛かってきた。
「し……ししょおぉおおおおおお!」
恐怖のあまりピーリカは叫んだ。助けて欲しい、好きな人の名前を。
それとほぼ同時に、木の上から小柄な男が飛び降りてきた。身にまとっている白色のケープが空気を含み、ブワっと膨らむ。身長にして、158センチの男。ボサボサな黒い髪に、履いている靴も安そうなもの。見た目へのこだわりはないらしい。
彼こそが、七人の魔法使い内一人。黒の魔法使い代表、マージジルマ・ジドラ。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ピーリカに背を向けたまま、そう呟いたかと思えば。獣の真下に現れた、三日月模様に円と線を羅列させた形の魔法陣。白く輝く魔法陣から出ている軽風で、獣の毛が揺らいでいる。次第に風は強くなっていき、大きな獣の体を勢いよく――空へと飛ばした。
「プギュ、ギッ」
獣が空上の黒点と化したのも一瞬。風は止み、獣は勢いよく地へと落ちた。よろめきながら立ち上がる獣。その瞳には、既に自分目掛けて飛んできた攻撃の刃が映っている。
襲い掛かる黒い三日月型の光。獣の体に、次々と切り込みが入っていく。
点々と地面に赤い血が飛び散り、獣は小さく声を漏らしながらも相手を睨み続けた。そんな獣に対し、マージジルマはニヤリと笑みを浮かべる。
「トドメと行くか。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
再び獣の足元に現れた魔法陣。溢れ出る光が、獣の体を包んだ。
「プ、プ、ギィイイィイイイイ!」
突然苦しんでいるような声を上げた獣。体から漏れ出していた赤い血液が、黒へと変色していくのが見える。
スッと魔法陣が消えたと同時に、獣はその場に倒れ込む。息はもうない。ただ肉の塊となり、その場に転がっている。
ピーリカの目の前で繰り広げられた魔法。そんな魔法を使った男の事は、かっこいいとさえ思った。
「し、師匠」
思わず彼の事を呼んでいて、彼もまた彼女の方を向いた。
お礼を言う気持ちはあったピーリカ。しかし。
「来るのが遅いんですよ、バァーカ!」
どうも素直な気持ちが出せなかった。
マージジルマも彼女の本音には全く気付いていない。それどころか、鼻で笑う始末だ。
「勉強サボってどっか行ったバカを見つけて、助けてやった師匠様に対してバカとは何だバカとは」
サボっていた訳ではない。師匠に成功した姿を見せつけるために、こっそり隠れて魔法の練習をしていただけだ。ただ、ひねくれもののピーリカが「隠れて魔法の練習をしていた」なんて絶対に言うはずもなく。ましてや失敗して獣に追いかけられるという醜態を見られた後なのだから尚更。
「サボってたんじゃないです。この天才のわたしには必要のない勉強をさせようとした師匠が悪いんです」
「初歩の初歩すら失敗するバカに必要じゃない勉強なんてない。今のままじゃ父親ボコボコに出来ねーぞ」
「わたし失敗した事ないです。天才なので。パパもいずれボコボコにするです」
「寝言は寝て言え。まぁ今夜の夕飯の材料が手に入ったし、今は褒めてやる」
「師匠ごときに褒められても嬉しくありません」
「可愛げのない奴だな」
「どこがですか。世界で一番愛らしい美少女なのですよ。そんな弟子がいる師匠はとっても幸せ者だと、肝に銘じておきやがれです」
「やだよ。いいから早く帰るぞ。立て」
「言われなくても立ちます」
獣の前足を掴み、引っ張って歩こうとしたマージジルマだったが。その場に座り込んだままのピーリカに目を向ける。
「おい、立ちますって言ったろ。言った事には責任持て」
「分かってるです。わたしにはわたしのスピードがあるです。口出すなです」
「……お前まさか腰抜けたとか言わんだろうな」
「天才のわたしが獣ごときに腰抜かす訳ないでしょう」
「じゃあ立ってみろ」
「今そんな気分じゃないんです。どうしてもと言うなら、師匠にわたしを抱っこする権利を差し上げます」
「素直に腰抜かしたって認めろよな」
「違います」
顔をプイっと背けたピーリカに、マージジルマはため息を吐いて。彼女の前にしゃがみ込み、背中を向ける。
「ほれ」
「何です? そんな貧相な背中を向けて。敗北を表しているのですか?」
「違うわバカ。抱っこは持ちにくいからな、おぶってやる」
「そうですか、どうしてもと言うなら」
「別にどうしてもではない」
マージジルマはしかめっ面になって弟子をおぶり、片手で獣だったものを引きずって歩く。
素直になれないひねくれもののピーリカは、彼の背中で嬉しそうに笑っていた。
標高高い山奥の中にポツンと建つ、くすんだ赤色の屋根が印象的な一軒家。庭の端には新鮮な野菜が実る畑があった。マージジルマは獣だったものを畑横の平らな場所に放り、ピーリカを背負ったまま家の中に入る。
リビングにはダイニングテーブルと背もたれのある椅子が四つ。その後ろに一人掛けのソファが二つ置かれていた。部屋の隅では、止り木に座っていた白いフクロウが彼女達を見つめている。
マージジルマはピーリカをソファの上に振り落とした。痛くはないとはいえ、ピーリカにとっては気分の良いものでもなく。
「もっと優しく降ろせです。わたしはガラス細工のように繊細なのですよ、傷がついたらどうするんですか」
「ガラス細工がどんなものか知ってるかお前」
「当然でしょう、天才ですよ」
「あっそ。んじゃ俺肉捌いてくるから。静かにしてろよ」
「わたしを一人にする気ですか!? 可哀そうでしょう!」
「庭にいるってんのに何が可哀そうなんだよ。それにラミパスもいるだろ」
止まり木の前に立ったマージジルマは乱暴にフクロウの胴体を掴むと、ピーリカの膝上に乗せた。自分に対してもフクロウに対しても雑な扱いをする師匠に、ピーリカは呆れた表情を見せた。
「もっと優しく持ってあげて下さい。ラミパスちゃんも女の子なのですよ。それに自分のペットは大事にしろです」
「女の子っつーかメスだろ。別に飼いたくて飼ってる訳でもねぇし。いいから大人しくしてろ」
マージジルマはそれだけ言うとスタスタ家から出て行った。玄関の扉が閉まる音を確認したピーリカだが、念のため確認。
「全く、師匠は本当にどうしようもないですよ」
師匠の耳に聞こえていれば、きっと戻って来て叱られる。そう思ったピーリカ。だがマージジルマからの怒りの声は聞こえない。ピーリカは師匠が外へ出て行ったと確信すると、にんまりと笑い。
フクロウの頭を撫でながら言った。
「聞いてくださいラミパスちゃん。師匠とーってもカッコ良かったんですよぉ!」
ほっぺたを赤くして話す姿は、まさしく恋する乙女。本人には言えない言葉を、フクロウに吐き出す。
「魔法で獣をポーンってやってドカーンってなって、シュッとしてバーンってしたです。わたしはまるでお姫様でした!」
何一つ伝わってこない。そう思ったフクロウだったが、喋る事を許されていない彼女は黙ってピーリカを見つめていた。
「それでねぇ、師匠はわたしをおんぶしてくれたです。これはもう師匠はわたしの事をかわいいと思っていると言っても過言ではないと思いませんか。ねぇラミパスちゃん。そう思いますよね。そうでしょう、そうでしょう」
全く思ってもいない事を思っている事にされてしまったラミパス。正直どうでもいいと思っている。
バタン。
勢いよく扉の閉まる音が聞こえた。聞こえた方角的に、音の正体は玄関の扉。
ピーリカは誤魔化すように、慌てて別の話題に切り替え。フクロウの羽を触り始めた。
「モフモフです。流石わたしが手入れしてあげているだけあるですね。わたしは何て天才なんでしょう」
毛並みを褒めているようで自分を褒める。これは誤魔化すためにワザと言っているわけではない。本気でそう思っている。あくまで話題を切り替えただけ。ピーリカは自信家だった。
扉が閉まる音がした割には、中々リビングへ戻ってこない師匠。
ピーリカはラミパスを抱え、ソファから降りる。立ち歩けるようになった事を確認し、玄関へと向かった。