弟子、宣言する
彼女が思い出したのは、指輪を貰った時の事。
マージジルマはピーリカに、今は帰れと言った。つまりそれは、いずれは一緒に住めるようにするという事で。
ピーリカはウラナの部下が持ったままでいるトレーの上にカップを置いて、ウラナに宣言した。
「やっぱり止めます」
「そんな未来はあり得ません。マージジルマ様と結婚して下さい」
「誰が結婚を止めると言ったんですか。パパを召喚するのを止めると言ったんですよ」
「何故? 早く結婚したいでしょう?」
「……師匠を信じてみようかと」
ピーリカの少し照れた表情に、ウラナは全てを察したと言わんばかりに。
「なるほどなるほど。二人の世界って訳ですね。それなら仕方ない、二人で試練を乗り越えていただきましょう!」
口角が上がりっぱなしになったウラナを前に、ピーリカは咳払いを一つ。
「まぁ頑張るとしましょうか。とりあえず師匠に仕事を与えましょう。わたしが受け持っていた黒の仕事の八割を師匠にやらせます。ウラナ君、手続きなさい」
「かしこまりました。まぁ、元々全部マージジルマ様のお仕事ですし。問題はないでしょう。むしろその他に白の仕事をほぼ一人でやっていたピーリカ嬢がオーバーワーク過ぎたんです」
「天才故に何でもできてしまう所がわたしの唯一の欠点かもしれません。さて、早速師匠の元へ行ってその旨を伝えましょう。師匠と暮らすのはパパの許可が下りないとかもしれませんが、仕事の話をしに行くのは許可なくとも大丈夫ですよね!」
嬉しそうな顔をして言ったピーリカを見て、ウラナは目を輝かせる。
「ピーリカ嬢……その理論で行けば、暮らすのはダメでもお家デートならアリかと!」
「確かに! こうしちゃいられない、早く師匠の所へ行って仕事終わらせて、お家デートをするですよ!」
ピーリカはマージジルマの元へ向かった。ウラナはピーリカを追おうとしている部下の女を押さえつけて、ピーリカを見送った。勿論ウラナにもピーリカと共にマージジルマの元へ行きたいという気持ちはあったが、めでたく結ばれた二人を邪魔してはいけないという気持ちもあって。
彼が下唇をめちゃくちゃ噛んでいた事にピーリカは一切気づかなかった。
黒の領土へと戻ったピーリカは、早速マージジルマの家へとやって来た。彼は一人掛けのソファに座り、コーヒーを飲んでいた。昔と何一つ変わらない光景に、ピーリカは思わず笑みを零す。
「師匠、働きやがれです!」
突然の訪問だが、マージジルマも追い返したりはしない。追い返した所で素直に帰るような奴じゃあないと思っているからだ。
「言われなくても働く気はある。働いてないと、多分お前の父親許してくれないだろ」
「わたしのためとは良い心掛けですね」
「俺のためでもあるだけだ」
「ふむん。まぁ、そういう事にしておいてやるですよ」
偉そうに言うピーリカだが、とてもニヤニヤしている。彼が自分のために動こうとしていると分かっているらしい。
マージジルマはコーヒーを飲み干して、空のカップを片手にソファから立ち上がった。そのままカップを片しに台所へと向かう。多分、照れ隠し。
ピーリカは彼の後を追うも、その笑みは一歩歩く度に薄れていく。仕事のための、真面目な話をしなければならないと分かっているようだ。
「でも洞窟大掃除の仕事はわたしが続けるですね、ほぼクソボルト様やおかっぱ頭に押しつけてますけど」
「……別にいいよ。俺出来るから」
代表になったピーリカは、マージジルマの代理として彼が行っていた仕事の大半を引き受けていた。洞窟での大掃除も、ファイアボルト達に教わりながら何度か行って来た。洞窟内にいる罪人の素性も大体把握している。
だからこそ、かつて師匠が大掃除を嫌がっていた理由ももう分かっていた。
「ダメです。わたしがやります」
「何でそんな事お前にさせなきゃならねぇんだよ」
マージジルマは流しにカップを置いて、ピーリカに顔を向けた。彼の表情は、悲しみのせいで少し歪んでいる。
「聞かれるんですよ、師匠がどこに行ったのか」
真剣な表情をしていたピーリカ。それは、世界で一番愛らしい弟子ではなく、魔法使い代表としての顔だった。
見るからに逞しくなった弟子を見て、マージジルマにも安心してふざける余裕が出来た。
「お前……めちゃくちゃ顔いいな」
「何を当たり前な事を。まぁ師匠が会いたいなら止めませんが」
「いいや、結構。会いたくもない。ちなみに、ソイツには何て答えてたんだ?」
「喋るな、と」
彼女の答えを聞いて、マージジルマはようやく心休める場所を見つけられた。ピーリカを抱きしめて、彼女の頭を撫でながら、喜びそうな言葉を言ってやる。
「天才」
ピーリカからしてみれば、突然のハグ。
褒められただけでも嬉しいのに、ハグに頭なでなでまでついて来ちゃうなんて。
「わたしが天才なのは、いつもの事じゃないですか」
そう言いながら、ピーリカも抱きしめ返す。
二人きりの、いい雰囲気。普通のカップルであればそのまま寝室にでも向かうのかもしれないが、残念ながら彼らは普通のカップルではない。
窓の外から聞こえて来た声がぶち壊す。
「ピーリカーっ!」
「くそぅ、今回は戻って来るの早かったですね」
ピーリカの父親は勝手に玄関の扉を開け、家の中へ入って来る。ハグする二人を見るなり「あ゛ーっ!」と汚い声を上げて、無理やり二人を引きはがした。
「早く帰るし!」
「うるせーですね。パパはまたどこかに飛んでろですよ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ!」
部屋の中が静まり返る。何故か黒の魔法が一切発動しない。大人になってから失敗する事などほとんどなくなっていたピーリカは、思わずうろたえた。
「なっなぜ!? 天才のわたしが今更失敗するとかあり得ないんですが!?」
その理由に心当たりがあるマージジルマは、恥ずかしそうに想いを口にする。
「悪いピーリカ……今ここでお前の父親がいなくなったら、多分俺幸せになるから」
「なっ!? そうか。パパの不幸より師匠の幸せが勝つんじゃあ呪いは発動しない。美しいわたしと二人きりなんてそりゃ幸せに決まってますよね! くそぅ、面倒な魔法ですよ!」
怒るピーリカの前で、マージジルマは黙っている。抱こうと思った、とは絶対に言えなかった。
「帰るし!」
呪いが使えない以上、無理やり逃げ出す策もなく。マージジルマも結婚を認めてもらうために、今は引き留めはしない。ピーリカは父親に連れられて、悔しそうに帰って行った。
だがその三十分後、ピーリカは再び彼の家へ戻ってきた。
「実家に近づけば近づくほどパパは幸せになりますからね。普通に呪えました。今、犬に追いかけられています」
「後で助けてやれよ」
「善処するですよ」
それからというもの、二人はイチャつこうとする度に彼女の父親に邪魔された。
ピーリカはマージジルマの家に来ては帰り、来ては帰りを繰り返す日々を過ごす。
例えば。ピーリカが彼の家の台所で皿を洗っていた時の事。
「下着のサイズが合わなくなりました。お胸が大きくなった気がします」
彼女の隣で洗い終えた皿を拭いていたマージジルマは、気まずそうに答える。
「あー……揉むとデカくなるって言ってたな。ピピルピが」
「……つまり師匠のせいですね?」
「……まぁ、お前デカくなりたがってたし。不都合は何もないだろ」
最後の皿を拭き、片し終えたマージジルマは。彼女の手がまだ濡れていて拒まれないのをいいことに、彼女を背後から抱きしめる。
彼の腕の上に、彼女の成長した胸が乗っかった。
「全く、師匠はしょうがない奴ですね」
口では呆れているピーリカだが、その顔が綻んでいると。
「ピーリカーっ!」
このように父親の怒りの声が聞こえる流れ。ほぼ毎日同じことを繰り返しているのに、父も娘も、ついでにマージジルマも諦める事はない。
「仕方ない、今日はもう帰れ。今の父親には言うなよ」
「言える訳ないでしょう」
こうして今日も、ピーリカは大人しく実家へと帰って行く。
その数日後。
「はははははっ、ちっせぇーっ!」
「なっ!? 何しやがるですか、汚い手で触るなです!」
マージジルマの元に身長137センチの小さなピーリカがやって来たのは、また別の物語だ。
ここで「未来からの警告編」を読み返してもらえると面白いかもしれません




