弟子、冤罪をかけられる
そう呟いたかと思えば、ピクルスはスッと、その場から消えた。
ピーリカはため息を吐いて、ウラナの元へ戻る。
「ピクルスが起きました。この世界は黒の魔法で作った呪いですからね。夢の中での出来事は全て、本人が不幸だと感じるものと決まっているのです。ただあの子は、起きた後も不幸な子です」
「そうですね、可哀そうに」
「可哀そうと思われてしまう事も彼女は嫌がってると思います。さてウラナ君、わたし達も起きますか。いや、やっぱり起きなくても良いんですよ。そうすればしばらくの間、二人きりですね」
ピーリカに笑みを向けられた瞬間、ウラナはピクルスと同じように消えた。ピーリカは手のひらをグーにして、やり場の無い怒りを込める。
「このわたしと二人きりでいることを悪夢だと思うとは。本当に失礼な奴ですよ!」
夢の中に入った二人も、現実へ戻るには悪夢を見なければならない。
ウラナのせいで抱いたすごく複雑な気持ちのせいで、ピーリカも無事、その場から消える事に成功した。
目を覚ましたピクルスは、周囲を見渡す。馴染みのある、自分のベッドだ。
本当に夢だったのだろうか。それにしては、何だかリアルだったような。なんて思いながら体を起こす。
夢だったとしても、祖父が自分を戦場に立たせないという考えはあり得えそうな話だった。
かといって、父親や叔父がどうにかしてくれるとも思えない。そして、自分がどうにか出来るとも思えなかった。
まだ日は登り切っていないのだろう。部屋の中は薄暗かった。
それから三日間、ピーリカ達が城へ訪ねて来る事はなかった。もうカタブラ国に帰ってしまったのだろうかと、ピクルスはモヤモヤしていた。
何をするにも気が乗らなかったピクルスは、隙をついて城を抜け出した。
変装したピクルスがいつものテントへやって来ると、子供達に絵本を読み聞かせているピーリカの姿があった。ピーリカはワザとらしく、子供達と同じ呼び名でピクルスを呼ぶ。
「チルア」
「……来ないと思ったら、ここにいたの?」
ぶっきらぼうに言ったピクルスだが、心の内では酷く安堵していた。ピーリカがまだ帰っていなかった事に、嬉しさまで感じている。
「貴様ならここに来ると思ってましたからね。傷ついた者が癒されたいと思うのは、当然だと思いませんか?」
ピクルスは黙ったまま、入口の前で突っ立っている。
そんな彼女の足元に、子供達が駆け寄った。
「チルアちゃん、怪我したの?」
ピーリカが傷ついた者と言ったものだから、子供達は一斉にピクルスを心配していた。
子供達の優しさに、ピクルスは苦い笑みを浮かべる。
「怪我してるかもね。すっごく痛い」
子供達はそれぞれ「大丈夫?」「包帯いる?」と心配の声を口にした。
ただ一人、ピーリカだけがピクルスの事を心配しない。
「人間は傷をつけて成長するんですよ。チルア、貴様は今のままで良いんですか?」
「……よくない。けど、どうにも出来ないじゃん」
「全く、やらない内から諦めるなですよ。良いですか、よく見てなさい。諦めない者の姿を見せてやります」
そう言いながら、ピーリカは外へ出て行った。ピクルスや子供達も、追いかけるように外へ出る。ピーリカは両手を前に出して、口を開く。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ピーリカが呪文を唱えた瞬間、レンガの上で大きな魔法陣が光り輝いた。
その上で、突如現れた三十人程の男女が尻もちをついた。
「どこだここは!?」
「なんて水ぼらしい」
綺麗な服を着た者達は、自分達に似合わない居場所に怪訝な表情を浮かべている。ピクルスは慌てて俯いて、顔を隠す。彼らは皆、王に招待されていたパーティーの参加者だった。
その中の一人が、ピクルスに気づいた。
「ピクルス?」
ピクルスを呼んだのは、紛れもなく彼女の父親。その隣には、この国の王も居た。
返事をしないピクルスの代わりに、ピーリカが答える。
「その通りです。この子はピクルス、あだ名でチルアと呼ぶ者もいます」
もはや王子のあだ名などどうでも良かった。彼らの興味は、目の前にいるピーリカにある。かなりの美貌を持ち、王子に求婚されていた女だ。忘れるわけがない。
ピーリカはピクルスの前に立ち、皆に聞こえるよう大声で言う。
「貴様はこのわたしに結婚の申し入れをしましたね。その返事をしてやるですよ」
「い、今?」
突然の返事に、ピクルスは思わず顔を上げた。
ピーリカはスッと笑みを消し、冷たい表情でピクルスを見下した。
「このわたしに求婚するだなんて、おこがましいにも程があるですよ。せめてこの荒んだ土地をどうにか出来るような、強き者でなければ。今の貴様はその条件にあてはまらない。五秒だけ猶予をやります。どうにかしなさい」
「ど、どうにかって、五秒はいくらなんでも無理だよ」
「無理? そんな事すら出来ないなんて。がっかりです。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ピクルスの足元で光り輝いた魔法陣の中から、渦を巻くように風が吹く。
「うわぁあああああああっ!?」
やがて威力を増した風は、ピクルスの全身を包んだ。
「チルアちゃん!」
「ピクルス!」
彼女を心配する声は上がったが、あまりにも強すぎる風の威力に、誰も助けには入れなかった。
風と共に舞う石や小枝が、ピクルスの体に当たり。勢いと共に、服や肌を傷つけた。
しばらくしてピクルスの足元にあった魔法陣が消えた。それと同時に、風の威力が和らいでく。
ピーリカはニッと笑って、ピクルスを指さした。その場にいた者達が一斉にピーリカの指の先に目を向ける。
「わたしに相応しくない男など、この世に要りません。わたしは心優しいので、虫やカエルにする事は避けてやりましたよ」
指の先にいたのは、ボロボロになったピクルスだ。目が回ってしまったのかフラフラとした足取りで、しまいにはペタリと地面に座り込んだ。
髪はボサボサになり、服もズタズタに裂けている。特に胸の部分が大きく破れ、隠していた膨らみが露わになっていた。正気を取り戻したピクルスは、慌てて両腕で隠した。
「王子が女性になってしまった……」
「何てことを!」
ピクルスの姿を見たオーロラウェーブの国民達が、ピーリカに恐怖や怒りの目を向ける。
ピクルスは首を左右に振った。本来その視線を向けられるべきは、ピーリカではない。
「違う、違う……そうじゃない!」
ここで祖父が最初からピクルスが女である事を言ってくれれば、ピーリカの冤罪は晴れる。
ピクルスは期待を込めて、祖父に目を向けた。
王は苦い顔をしながら、足元を見ている。
とうとう決意したのか、顔を上げた王は。ピーリカに怒りの表情を向けた。
「この悪しき魔女め! 許さんぞ!」
ピクルスは黙ったまま、ゆっくりと首を横に振る。勿論、その顔に笑みはない。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ピーリカは黒の呪文を口にする。王の目の前で光った魔法陣から、モクモクと立ち込める黒煙。やがて雲へと姿を変えた煙は、瞬く間に上空を支配した。雲の中から現れた、緑色の皮膚をした巨体の男。波打つような白髪に、口から生えた鋭い牙。明らかに普通の人間とは違うその姿は、ひどい威圧感を放った。
王は腰が抜けたのか、その場に座り込んだ。
「あ、あぁっ……」
「貴様、さっき許さないとか言いました? 許さなかったらどうする気なんです? やれるものならやってみろですよ」
バックに恐ろしい者をつけて脅迫するピーリカ。
王だけではない。ピクルスの父親も、他の者達も。
大人達は、手を出して来なかった。
そう、大人達は。
「チルアちゃんを苛めるなっ!」
子供達は一斉に、ピクルスの元へ駆け寄る。ピーリカ達からピクルスを庇うように立って、両手を広げた。
ピーリカは子供達の姿を見て、一転。ニッコリと微笑んだ。




