弟子、おかわりを要求する
ピーリカは宿屋の食堂で、夕食のパンを食す。野菜や肉、チーズが乗せられて焼かれたパンはまだアツアツの出来立てだった。
一口齧ると、程よく溶けたチーズがとろりと伸びる。
「さてウラナ君、明日はオーロラウェーブの国民に媚を売って来て下さい」
ピーリカはアツアツのパンを食べながら、斜め前に座るウラナにそう言った。彼女の隣の席も正面の席も空いている。なのに彼がそこへ座らなかったのは、勿論自分とピーリカが恋仲だと思われないようにだ。
同じものを食べていたウラナが、口いっぱいに入れていたパンを飲み込んでから断る。
「そんな。ピーリカ嬢から離れるなんて僕には出来ません」
「出来るでしょう。貴様わたしの事興味ないじゃないですか」
「ピーリカ嬢の事は興味ないですけど、ピーリカ嬢がマージジルマ様以外の暴漢にでも襲われたら僕は一生後悔します」
「貴様は良くも悪くも素直ですね。大丈夫ですよ。もし貴様の言う通り暴漢が来たら、前にドラゴンを倒した魔法と同じものをお見舞いしてやります」
「あぁ、串刺しにしたやつ。それなら良いです、じゃあ一人で行きます!」
満面の笑みで答えたウラナは、再びパンを頬張る。
流石のピーリカも「良いんですか……」と呟いた。この男に好かれたいという気持ちは一切ないが、ここまで興味を持たれないと逆に複雑だった。
その後二人は「おやすみなさい」と言葉だけの挨拶を交わし。部屋に備え付けられた風呂にそれぞれ入り就寝。
どこぞの師弟のように、一緒に風呂に入ったり同じベッドに入ったりなどというハプニングは全く起こらなかった。勿論その後、外に出てデートするなんて事もない。
別々の部屋に泊まった二人の間に、何の間違いも起きる訳がなく。
「おはようございます、ピーリカ嬢。では行って参ります」
「おはようですよ、ウラナ君。検討を祈ってやります」
翌朝、それぞれの部屋から出てきた二人は軽い挨拶を交わし。ウラナは早速外へ向かい、ピーリカは朝食を取りに食堂へ向かった。
朝食を終えたピーリカは一人、今日もプラパ達のいる城へ足を運んだ。門番達も今度はすんなり城の中へ通した。
ずかずかと城の通路の真ん中を通るピーリカは、通りすがりの使用人に王族に会わせるよう命令する。使用人達は躊躇いながらも、ピーリカをある部屋へ連れて行った。昨日プラパと話をした部屋だ。
席に座って待つように言われたピーリカは「うむ」と偉そうに言い、自ら上座に座る。使用人にミルクティーを入れさせ、まろやかな味を楽しみながら待機。
しばらくすると頭を抱えたプラパがやって来た。彼はピーリカの行動にではなく、自分自身の考えの甘さに頭を抱えていた。彼女は普通ではない。よくよく考えれば翌日来ても不思議ではない程の元クソガキ相手に、なぜ自分は翌日来るなと言っておかなかったのだろう、と後悔を募らせる。
しかしプラパはマージジルマのように「何しに来やがったクソガキ!」と言ったりはしない。仮に言いたい気持ちがあったとしても、言える度胸もない。
その代わりに、王子としての言葉は告げた。
「すぐ返事は出来ないと言ったはずだが? 国王も多忙で」
「しなくていいですよ。会わせなくてもいいです、答えが出るまでずっと来ますから。ところで、カップが空になってしまったのですけれど」
ピーリカはニッコリ笑って、今日はまだまだ居座るぞと言わんばかりにミルクティーのおかわりを要求した。
苦い顔をしたプラパは、とりあえず使用人にミルクティーを入れてやるよう命ずる。それからカップの中身が満たされた事を確認し、彼女に背を向けた。
「……失礼。僕も仕事があるので、代わりの者を呼んで来るよ」
「貴様より偉い奴を希望します」
「セリーナを連れてくる」
「セリーナが貴様以上の決定権を持ってるとは思えませんが?」
「勿論。彼女に政治的決定権はない。だが、君の友人ではあるだろう?」
「なるほど。良いでしょう、セリーナと遊んでいてやります。ですが貴様らの答えを聞くまで、わたしは国を出て行く事はないので肝に銘じていろですよ」
「分かった。でも……セリーナは見ての通り、前に君と遊んでいた頃と同じ体ではない。決して無理はさせないでくれ」
「分かってますよ。貴様も随分しっかりしたですね」
まるでプラパを子供扱いしていたと言わんばかりに、ピーリカはしみじみと言った。
そんな彼女に、プラパは背筋を伸ばして告げた。
「当たり前だろう。日々王族として恥じぬ行動を心掛けている。それに僕だって、もうすぐ父親になる身だ。今まで以上に強き心を持たなければ」
プラパの言葉に、ピーリカは何故か困惑した様子を見せる。
「待ちなさい。貴様父親になるんですか?」
「僕が父親にならなければ大問題になるじゃないか!」
「そ、そうですか」
「とにかく、セリーナを連れてくるから。大人しくしててくれ」
「い、いいでしょう。連れて来なさい」
***
ピーリカの許可を得たプラパは、早歩きで部屋を出た。
彼女はあれでも一応、客扱いだ。
王族たるもの例え客があれだとしても、客を放置しておくなど無礼な事は出来ない。
とはいえ国を治めるための仕事を抱えたプラパが、ずっと彼女の相手をする訳にもいかなかった。
ここは適任者に場を任せよう、プラパはそう判断して妻のいる部屋の扉をノックして開けた。
セリーナはベッドの上で横になりながら、本を読んでいた。ベッド横へ来たプラパに気づくと、本を閉じて彼に顔を向ける。
「どうしたのプラパ」
「セリーナ、悪いけどピーリカの話し相手になってもらってもいい?」
「あら。ピーリカ、やっぱり来たのね」
「やっぱりって?」
「また明日って言われたもの」
「そういった事は僕にも言っておいてくれないか?」
「ごめんなさい。まさかプラパにはまた明日って言って無かったとは思わなくて」
「……ではまた、とは言われたけどね。翌日だとは思わなかったよ」
「ピーリカだもの。来てもおかしくないでしょう?」
「来てから気づいたよ」
「落ち込まないで」
セリーナは、暗い顔になった旦那を励ましながら体を起こした。彼女がベッドから降りると、ゆったりとしたワンピース型の寝巻の裾が一緒に落っこちた。
「ピーリカの話し相手ね。いいわよ、それ位なら出来るから。彼女とはお茶会の約束もしてあるし。お天気も良いから、せっかくだからお庭でお話させてもらっても?」
「構わないけど、無理しないでね。もう、一人の体じゃないんだから」
「ふふ、分かってるわよ。ところで、そろそろプラパも息抜きしたら? 何か言いたい事があるんじゃないの?」
「君に負担をかける訳には」
「かけてくれないと、私は逆に不安になるの。大人だろうと父親だろうと、弱さは見せて良いものよ」
二人の顔が互いの目に映る。
セリーナの言葉を聞いたプラパは、途端に涙目になって。
「っもぉおおおおおおおおおおおおお何なのあの子はーーーーっ!」
彼女に抱きつき、弱音を吐いた。
「それでこそプラパよ」
セリーナはプラパの背中をさすりながら、嬉しそうに笑っていた。
***
プラパを宥めたセリーナは、薄紫色のドレスに着替えて部屋を出ていく。ちなみにプラパは目元を赤くさせながら、自分の仕事へと戻って行った。
セリーナはピーリカの待つ部屋の前に足を運び、扉を開けてまずは顔だけを覗かせる。
「ピーリカ、暇つぶしの相手になって頂戴」
「おやセリーナ、暇なんですか」
「そうなの。せっかくだから景色の良いお庭でお話しましょう。貴女が今までしてきたお仕事の話とか聞きたいわ」
「仕方ないですね。話してやるとしましょう」
そう言ってピーリカはセリーナに笑顔を向けた。
それは仕事用ではない、友人との再会を心から喜んでいる笑顔だった。




