弟子、既婚者を偽る
ピーリカの顔の前に、ミルクティーの香りが漂う。プラパの前にも真珠色のカップが置かれた。
プラパはピーリカが座る椅子の後ろで立ったままのウラナに目を向ける。
「君は本当に良いのかい?」
「えぇ、お気になさらないで下さい」
ピーリカの隣に座るのはマージジルマだけで良いと考えているウラナは、一向に座ろうとしない。飲み物も拒否し、馬車から運んできた茶色いトランクを両手で持って立っている。プラパから見てウラナの佇まいは、従者に似ていた。
プラパの隣には大臣と呼ばれた男が座り、その向かい側に座っていたピーリカが口を開いた。
「結論から言います。一緒にバルス公国をやっつけて下さい」
プラパも大臣も、一斉に目を丸くさせる。
「何を言い出すのかと思えば……君の国の話は、オーロラウェーブ王国にも届いている。あのマージジルマ君が身を犠牲にして、バルス公国は消滅したんだろう? それなのにやっつけろとはどういう意味なんだ」
「消滅ではありません。封印なんです」
「封印……まさか、その封印が解けるという事か!?」
「そうですねぇ。わたしの力をもってすれば、もう十分魔法を解く準備は出来てますよ」
プラパは封印の効果が切れるのかと質問したつもりだったが、ピーリカは間違いなく解くと言った。つまり彼女は、自らの力で封印という名の『呪い』を解こうとしているのだろう。
「君はバルス公国を封印している魔法を解いて、マージジルマ君を助けようとしている。それで正しいかい?」
「えぇ。正解です。ただ封印を解いたらバルス公国の奴らが暴れるのは目に見えてますから、協力しろです」
「……それは、国王に通さなきゃいけない話だね」
ピーリカの言うやっつけろは、喧嘩や大会での話ではない。国同士の戦争の話だ。王族どころか国民全員を巻き込む事になる。流石にプラパ一人で決断を下す事は出来なかった。
カップを手に取ったピーリカは、ミルクティーの表面に映る愛らしい自分に目を向けながら言った。
「勿論、ただ言う事聞けって言ってる訳じゃねーですよ。ちゃんと報酬は与えます。一緒にバルス公国をやっつけてくれると言うのなら、貴様らの悩みを無償で解決してやります」
「その悩みっていうのは、何でもいいのかい?」
「可能な範囲なら。多少の犠牲さえあれば、死人を生き返らせる事も可能ですよ。勿論、理由もなく大金持ちにしろだとかモテモテにしろとかはダメですよ。可能ですけど、普通に気分が悪いので。師匠を助けるにふさわしい事柄にしてください。今まで解決してきた悩みも、それ相当の悩みでしたし」
「ほ、本当に?」
プラパも大臣も信じられないといった顔をしている。
想定内だと言わんばかりに、ピーリカはミルクティーに目を向けたまま彼を呼んだ。
「ウラナ君」
「はい」
ウラナはトランクを足元に置き、中を開けて紙の束を取り出した。一枚一枚の厚さの薄い紙は、ウラナのヘソ上から首下まで高さがある。
プラパは紙の束から目を離さずに問う。
「それは?」
「ピーリカ嬢によるマージジルマ様のための愛……失礼。こちらはピーリカ様の過去の実績になります」
「実績……?」
「毒に侵された沼の浄化や、海賊の圧制。流行り病は根絶し、餓死寸前の者には一生困らない程の食べ物を与え」
「す、ストップストップ。それはすごいと思う。けど、本当に君が?」
プラパの中ではどうしても、彼女はお転婆なクソガキのままなのだ。
ウラナは笑顔で頷いて、ピーリカの偉大さを口にしていく。
「はい。彼女や僕の力でどうにも出来ない時は、国内にいる魔法使いの力を借りる事もありました。青の魔法使いに砂漠に水を引かせたり、緑の魔法使いを連れて食物を実らせたり。時には魔法を使わなくとも、男手が足りない場所へ男手を貸し出した事もありました。どちらにせよ彼女が引きずるように連れて行かなければ不可能だった事です」
「引きずるように……?」
「失礼、お気になさらず」
ウラナの言葉に引っかかる様子を見せたプラパだったが、黒の魔法がどんな魔法かを知っている彼には何となく想像がついていた。
そんなプラパの隣で、オーロラウェーブ王国の大臣が申し訳なさそうに口を挟んだ。
「魔法が便利なのは理解している。こちらとしても国の問題を解決してもらえればとても助かるだろう。ただ分からないんだ。正直……バルス公国が消えてから今まで、この近辺の国は非常に平和だったじゃないか。バルス公国を消してくれた魔法使いには悪いが、このままでいる方が他は誰も傷つかない。それなのに……その一人を、たった一人を助けるために平和を壊すのか?!」
カップを勢いよく置いたピーリカは、獣のような勢いで机を踏みつけ。大臣の胸倉を掴んだ。
「たった一人じゃあないんですよ。わたしにとっては、ただ一人の大事な人なんです!」
もの凄い剣幕で怒ったピーリカに対し、大臣は「そ、それはすまない」と謝った。
ウラナが大臣からピーリカを引っぺがす。ピーリカの行動が悪いと思ったからでない。コイツはただ単に、ピーリカにマージジルマ以外の男へ近づいて欲しくないだけだ。
ピーリカも大きく深呼吸をして、椅子の上に戻った。
「失礼。レディの態度にしては行き過ぎたですね」
プラパは心の内でピーリカが謝った事に驚きながらも、一国の王子として正しい振る舞いをして見せた。
「分かった。検討はしよう。だがすぐに返事は出来ない」
「良いでしょう。今日は帰ってやります」
「あぁ。外まで送ろう」
「結構です。貴様も忙しいでしょう」
「ならせめて侍女達に見送らせるよ。お客様を見送りもしないなんて、我が国では恥を意味するからね」
「そこまで言うなら仕方ない。ではまた」
ピーリカは静かに席を立つ。
机の上には空になったカップだけが残った。
侍女に連れられたピーリカは建物を出て、城の壁沿いを歩いていた。弱点を探るために周囲を見渡しながら歩いていたピーリカは、大きな窓の向こうで本を読むセリーナを見つけた。立ち止まったピーリカは窓を叩いて、セリーナに自分の存在をアピールする。
よく窓から会いに来る子ね。セリーナはそう思いながら、部屋の窓を開ける。
「お帰りピーリカ、お仕事うまくいった?」
「いいえセリーナ、今日の所は帰ってやります。ではまた明日」
「明日ねぇ。いいわ、いつでも来て頂戴」
「言われなくても来てやりますよ。喜びやがれです」
侍女はセリーナに馴れ馴れしい態度を取るピーリカに驚いていた。ウラナは友人と仲良くするピーリカに全く興味がないので、外に咲いた花を見ている。
「さぁ、早く見送れですよ」
だがピーリカは周りの目を一切気にすることなく、侍女に見送りをさせた。
城の外へ出たピーリカとウラナは、待機させていた観光用の馬車の前に立った。ピーリカは今後の予定をウラナに告げる。
「さてウラナ君。契約が結べるまでこの国に泊まりますよ」
「僕が貴女と泊まると恋仲だと勘違いされるので嫌です」
「勘違いする奴が出てくる度に、ウラナ君が本出して説明すれば良いでしょう。貴様わたしと師匠の話するの嫌いなんですか?」
「一週間は語れる程好きです」
「なら決まりですね」
渋々彼女の言う事を聞いたウラナは、運転手に行先を伝え馬車に乗り込んだ。
ウラナは彼女の対面に座る事も嫌がっていた。ここもマージジルマ様の席だ、そう思っている。
観光客に人気の宿屋へ到着したピーリカ達は、馬車を降り建物の中へ入って行く。青の領土にあるリゾートホテルとは違って、こじんまりとした建物だった。それでも部屋の中は暖炉もあり、温かみのある雰囲気に包まれている。
宿泊の手続きは全てウラナが行った。ピーリカはただ口を挟む。
「師匠から教わりました。支払いは全て経費で落としなさい」
「なるほど。いつどこでどんな時にどうやって教わったのか後で詳しく教えてください」
仲が悪そうには見えない二人の様子に、宿屋の女が笑顔で訊ねた。
「お客様、別々のお部屋を取られておりますが……同じお部屋の方が宜しいですか?」
女からの確認に、ウラナは爽やかな笑みを送る。
「はっはっは、ご冗談を。彼女は既婚者ですよ。勿論相手は僕ではありません」
「まぁ、それは失礼いたしました。それではお部屋をご用意いたしますので、少々お待ちください」
女は部屋の準備を進めるために、彼女達から顔を背けた。ピーリカは冷めた顔をウラナに見せつける。
「いつわたしが既婚者になったんです?」
「いずれマージジルマ様と結婚するんだから、今から既婚者を名乗っても何の問題もなくないですか?」
大真面目な顔で言うウラナに、ピーリカも同じ表情を向けた。
「それもそうですね」
ピーリカとウラナの関係性も、全く変わっていなかった。




